表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
修羅場の続きは異世界で。  作者: ピコピコ
第1章
74/87

昔の話13。

「聞いちゃったのね。私の心臓の事」

 ナルミは淡々と……しかし悲観的な素振り無く、呟いた。

 降っていた雨はすっかり止んで、沈みゆく夕陽が薄く広がる雲の向こうで鮮やかに焼けている。病室内は緩やかなオレンジ色に染まり、輪郭をくっきりと落とす影が何処か淋しげな印象を与える。

 トアはロジーを連れて大庭園に遊びに行った。恐らくまた戦闘訓練の真似事をしているのだろう。せがまれて仕方無く教えているロジーだが、なかなか様になってきたと以前笑っていた。

 今ここには、私とナルミの二人だけだ。

「ナルミ、知っていたのか? 自分の病気について」

「知ってた。勿論。この世界に来る前からの事だもの」

 そうだったのか。……10年以上も、そんなものを一人で抱えながら生きていたのか。

「どうして教えてくれなかったんだ。知っていたら、もしかしたら何か対処が出来たかもしれない」

「うーん……」

 ナルミは困った様に顔を歪ませて、トアが大量に剥いたアーチェの実の一つを摘まんだ。

「何て説明したらいいのかしら。難しいわね。隠してたつもりは本当に全然無いんだけど」

 アーチェの実を頬張りながら、丸い瞳をキョロキョロと動かす。……私はナルミを責めているわけでは無いのだ。だから、ナルミが最適な言葉を見付けるまでひたすら待つ。

「……心臓に異常が見付かったのが、私が大学三年生の時。健康診断で心雑音とか不整脈があって発覚したって感じね。その発見がちょっと遅かったみたいで、その頃にはもうそれなりのサイズになってて手遅れだったみたい。余命半年って言われたわ」

「半、年……」

 作り話の様でとても信じられそうに無かった。だって、ナルミは今も元気でここに居るのだから。その時点で余命半年……であるにも関わらず、ナルミは無事に10年以上も元気に過ごしていた。本来であればそれは喜ばしい事なのだろうが……。

 今ここに来て、その病魔が改めて牙を剥いている。

「余命宣告されてから半年後っていうのが、この世界に来て最初の冬。体は本当に何とも無くて、悪い夢だったんじゃないかって思った程だったんだけど、それでもやっぱり不安になった。私はこの冬を越せずに死んじゃうのかなーって」

 ……そうだ。あの日、イルミネーションを見に行った最初の年。夜も遅いというのにナルミは私の部屋にやってきた。

『私にだってなかなか眠れない日もあるのよ』

 宣告通りに、体調が急変してしまうかもしれない不安と恐怖。この世界の誰も知ってくれていないという孤独感。あの言葉の裏には、そういうサインも含まれていたのかもしれない。

 頭が急激に熱くなり、頭痛に似た衝撃に襲われる。

 私は、私自身への怒りが収まらない。

 私の知らない場所で、ナルミはこんなにも辛い思いをしていた。これ程情けなく悔しい思いをした事が、未だかつてあっただろうか。

 好きな女一人守れていなかったのだ。不安や恐怖など無縁で、強い女だと決め付けていた。その内側では病魔に侵され、人よりも身近にある死にただただ怯えていたんだ。

「そうか、その時……ロジーと話したんだな」

 丁度そこに通りがかったというロジー。ナルミから『もうすぐ死んじゃうんだ』と告げられながら、それを追求出来なかった事を悔やんでいた。だけどそのたった一言でも、吐き出せたナルミは少しだけ救われたのかもしれない。

 ……我々は無力だった。呆れる程に無知だった。

 底抜けに明るいナルミに救われて、日常が彩っていた。そんな本人に対して、何をしてやれていただろう。

 愚かにもこんな事になってから、私は私の罪を心から憎んだ。

 情けない……。

 召喚法を築き、誰よりも術に精通しようと鍛錬に努め、新たな召喚術の創出などに妄執し……結果私は、取り返しの付かない傷を自らに刻む事になった。

 かけがえの無い大切な人を、苦しめる事になった。

 許せない。私自身が。

 自身を責めて好転するのなら、いくらでもそうしよう。だがそれすら……、


「ザイン君」

「……っ」


 闇が、渦巻いていた。まるで暗く厚い、息苦しくなる程の深い曇天の様だった。

 そこに、一筋の光が差し込んだ気がしたのだ。柔らかく暖かいオレンジの光が、鮮やかにその闇を貫いた。

「……そんな顔しないで」

 私の視界は一体どこに行っていたのか。彷徨っていた私の目線が、その時改めてナルミを正面から捕らえた。ナルミは夕焼けを浴びて実に柔らかく、まるで幼いトアをあやす様な、優しい顔をしていた。

 私は、どんな顔をしていたのだろう。

「違うのよ、ザイン君。私が言いたいのはそういう事じゃないの」

「……え?」

「昔話した事があるよね? 自分探しの旅に出たいと思ってて、親とか友達にもそういう話をしてたって。だからこの世界に召喚された時も、不安よりむしろ夢が叶って良かったなーって思ったって」

 そういえば話していた。あの会話ももう10年も前の事になるのか。その告白は、私が抱くナルミへの罪悪感を薄め、結婚を決意するに至ったきっかけの様なものだった。

「あれ本当はそんなポジティブな理由じゃないのよ。むしろ全然ネガティブなの」

「…………」

「私の病気が分かってから……家族の空気がなんだか暗くなっちゃってさ。両親は些細な言い合いが増えたし、私もちょっと自暴自棄というか、投げやりみたいな状態になってた」

 鮮やかなオレンジは次第に雲に紛れて沈んでいく。紫から夜の闇へ。窓の外に見える空は、実に幻想的な光景を魅せていた。

「本当、修羅場って感じだった。それで思ったの。私が居なくなればいいんだなって。余命くらい、誰も私を知らない場所で穏やかに暮らしたいなって」

 そんな……と言いかけて、口を噤んだ。

 私に何が言えるだろう。その境遇はきっと私の想像を絶する。浅はかな慰めなど、私自身の自己満足にしかならない。

 ナルミは優しく笑っている。辛い過去を思い出しているだろうに、その瞳に悲観はまるで見当たらない。

「環境が変わればちょっとくらい好転するかもなんて、淡い期待もあったわね。……そう思ってたらこの異世界に呼ばれたの。情けない逃避願望が発端だったとは言え、望み通り全然知らない場所に来ちゃった。すぐに帰れないって事が、逆に色々吹っ切るいい機会だったとすら思えたわ」

 病室が、夕闇に溶けていく。薄暗い空間に、まるで毛布に包まれる様な、優しい声が響いていた。

「あの冬の日に泣いてたのは、本当の本当は、不安だったから……だけじゃないの」

 大庭園に設けられた外灯が点灯する。

 その時。


「幸せだったからなの」


 すっ……と、ナルミの頬を光が伝った。外灯に照らされたそれは、音も無く床に落ちる。恐らくそれと同じものが、今度は私の目を熱く滲ませた。

「優しい人達に囲まれて、いつもそばにはザイン君が居てくれて……幸せだなぁって。このまま生きていたいなぁって、そう思ったら泣いちゃってたのよ」

 触れたら壊れてしまいそうな程か細い、だけど優しくて繊細な声を、私はただただ大切に聞いていた。

「でもそうしたらこんなに長く生きれたじゃない。あの日から10年も。ザイン君と結婚してトアまで生まれて……私は本当に幸せだった。だからもう満足なのよ」

 この世界に来る前……元の世界での状況は修羅場だったとナルミは言った。崩壊しつつある家庭環境。絶望に苛まれるナルミの体。どこか遠くへ逃げてしまいたいと思う程、追い込まれていたのだ。

 この世界に召喚されて、どういう訳か余命が伸びた。今日の今日まで、言われなければ気付けない程、ナルミは実に普通に過ごしていた。

 そしてそんな日々を、幸せだと……そう言ってくれた。

「修羅場の続きが異世界で始まったってだけ。でも私はもう受け入れてる。この世界で私は第二の人生を存分に楽しんだの。だから抗わないで残りの命をあるがままに過ごそうって……そう思ったの」

 凛とした表情で、力強い笑みを浮かべた。私に言える事など、初めから何一つ無かったのだ。

 ナルミの底抜けに明るい性格の正体が分かった気がした。勿論、空元気や病気の反動などでは決して無い。全て受け入れ、心から楽しんでいるのだ。

 自分の運命を。残りの余生を。

 ナルミは特別強い女性だと思っていた。でも実際は、病気に打ちのめされ、不安に泣いたりする、ごく普通の女性だったのだ。

 ……だけど、やっぱり強い女性だった。

 私はこの偉大な女性の優しい声を、美しい顔を、脳裏に焼き付けた。そして改めて誓うのだ。

 なんとしてでも送還術を構築し、必ずやこの人を救ってみせると。

 暗がりが落ちる病室。途端に弱々しく見えたナルミが、小さく呟いた。

 それはまるで……遺言の様に。


「トアを、どうかよろしくね」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ