昔の話9。
「ここはいいから、お前は早く城に向かえ!」
緑青の竜を背に、ロジーは私にそう促した。
「いや、しかし……」
西地区で竜の暴走。その対処に追われていたタイミングで、何者かに城が襲われている。この非常事態に更に戦力を分散してしまう選択は、果たして正しいだろうか。
いや、気掛かりではあるが……本心は決まっている。私はもはや、ナルミの安否についてで頭が一杯だったのだ。
「ザイン」
両手に槍を構えながら、口の端を吊り上げ、ロジーは言う。
「惚れた女一人守れねぇ様な男じゃねぇだろう」
まるでからかう様に。こちらの覚悟に訴える様に。「……他の団員の前で言うなよ」
「こっちだってな、団長一人のフォローすら出来ねぇ様なヤワな連中じゃねぇよ。竜との戦闘なんて滅多に無い機会、むしろいい訓練になるぜ」
相変わらず頼もしい事を言ってくれる。いつの間にか私が率いる事になっていた警備団体だが、確かに皆それぞれ日を追うごとに腕を上げているのは事実だ。ここは信じて任せてしまってもいいのかもしれない。
何よりもしも、今城を襲っている何者かとこの緑青の竜が関係していて……召喚師もそこに居るのだとしたら、本当に戦力が必要なのはむしろ城の方だ。信じ難い事だが……召喚竜を囮に使ったという事になる。
「………………」
いや、結論を出すのはまだ早い。この二つの事象が全く無関係という可能性だってある。そうなるとむしろ事態の深刻さは増すわけだが……。
とにかく私は、ナルミの安否が最優先だった。
皆に送り出される形で、自ら召喚したカミネに飛び乗り、城へと駆け出した。城には数人の団員が待機している。彼らだって選りすぐりの精鋭だ。そう簡単に陥落する事は決して無いだろう。
『ナルミの事、ちゃんと守ってやれよ』
ロジーの言葉が頭をよぎる。あの場面でのあの言葉にはどういう意味が含まれていたのか、それは未だに分からないままだ。だが私はそれに「分かった」と答えた。そしてそれは本心だった。
ロジーに、ナルミに、そして私自身に嘘をつく訳にはいかない。
もはや私の優先事項は、ナルミ以外に考えられなかったのだ。
城の外堀には湖が広がっている。こちらの陸地と城の玄関口とを繋ぐ大きな石畳みの橋はこの城の特徴でもあり、ミノンアーチ国のちょっとした観光名所にもなっている。
騒動は、その橋の上で起こっていた。
橋の中央付近に真っ黒な服に身を包んだ覆面の男が四人。橋の両端、城側にはミノンアーチ警備団体の団員数名。陸地側には警察部隊が数名。襲撃者を橋の中央に追い込んだ形となっている。
「……ッ!!」
そこで私は、我を忘れそうな程の激昂を感じた。
「ナルミッ!!!」
四人の内の一人が、ナルミを人質として抑えていたのだ。隣の男が、小型ナイフの鋭い切っ先をナルミの喉元に当てている。
緑青の竜との関連性も、奴らの目的も何もかも不明だったが、ナルミが標的にされてしまったという事実が、現実としてそこに在った。
「ザイン君っ!」
……そこから先はあまり良く覚えていない。
怒りが理性を振り切ってしまった。
それだけの事だ。
私はカミネが持つ最大出力の放電攻撃を強行し、石畳みの大橋を崩壊させてしまっていた。細かい指示等の覚えなどまるで無いが、ナルミを守るという意識だけはカミネに伝わったのかもしれない。ナルミは奇跡的に一切の怪我を負わず、無事に保護されていた。
両端に居たそれぞれの部隊も、橋の端に居た事で運良く崩壊に巻き込まれずに済み、対象の四人組だけが湖に落下する形となった。そしてカミネの放電によって感電した四人組は、程なくして警察に逮捕された。
私の暴走と、両陣営の素早い立ち回りで、騒動はあっという間に収束する形となった。
「ナルミ、大丈夫か!?」
「ザイン君……、ありがとう。なんかドラマみたいですっごいハラハラしたわ」
こちらの気も知らないで、安心感というよりは何処となく楽しかったーと言いたげな顔をしている。
「召喚直後の反応もそうだったけど、お前はちょっと危機感が足りな過ぎるぞ」
「危機感なんてないもの」
あっけらかんと、だけど清々しい笑顔で。
「ザイン君が居てくれるからね」
深い夜空の様な瞳が、私を吸い込もうとしている。
返事に窮した私は、逃げる様にナルミの視線から目を逸らし、西地区の空を見上げた。
「あっちは……大丈夫だろうか」
最もらしい無難な心配を空に放り投げる。
照れる感情を、春の風に溶かす様に。
「やっぱりそっちに居たんだな。竜の召喚師」
城の食堂にて、野菜丼をモリモリと食べるロジー。その様子を顔をしかめて眺めるナルミ。野菜が苦手なのか、うぇーと舌を出している。ロジーの体のあちこちにはキズや包帯が目立ち、竜との戦闘が壮絶だった事を物語っていた。
「すまなかった。無理をさせたな」
「気にすんな。お前はそっちで為すべき事を為した。脅威が分散すれば戦力も分散する。あれが最良の方法だったさ」
言いながらパスのドレッシングを付け足す。やっぱりそれが一番好みらしい。ナルミはプペンの実を食べながら、目を細め野菜丼を睨んでいる。理解出来ない、といった表情だ。
一連の事件の実態は大方の予想通りだった。あの四人組の中に召喚師が居て、竜を囮に使い城の襲撃を試みたのだ。白状させ送還させる事でどうにか事態を収束させるに至ったが、恐らく問い詰めなければ送還義務を放棄していただろうと、ヒストが苦い顔をしていた。
竜を放ったのが西地区だった事にも理由があった。商業施設が立ち並ぶ東地区や、工業地帯の北地区、居住エリアである南地区などで竜が暴れていたら、懸念される被害の規模と深刻さから、警備はより強固なものとなっていただろう。近隣国や異界の住人からの援軍を要請する程の大掛かりな事態となれば、それは連中にとってむしろ弊害になる。
だから自然保護区である西地区を選んだのだ。適度な戦力と手薄な警備の分散を見込んで……ミノンアーチ国が保有する武力のみで対処出来るであろうと判断する、最適な範囲を狙って。
「それほど計画的で、的確に隙を突く様な……しかも竜を従えちまう連中だったわけだ。結局そいつらの目的は何だったんだ?」
「そうか、ロジーは怪我の手当てで直後の会議に参加して無かったんだよな。……話によるとあの連中は、ナルミを人質に取ってこんな要求をしてきたらしい。『紺碧の竜の古文書を渡せ』」
「……紺碧の竜の古文書」
それは約一年前、違法行商人から押収した証拠品の一つで、ヒストが我々の元に持ってきたものだ。私が召喚術の創造に手を掛け、結果としてナルミをこの世界に喚び出してしまうきっかけとなった代物である。
「もしかして、危惧してた取引の関係者とかか?」
「どうやらそうみたいだな。古文書は国内の裏オークションに出品される予定で、莫大な金が動いていたらしい。連中の狙いは古文書の奪還と我々への報復。もしも組織的な関与があるとすれば、また襲ってくるかもしれない」
「……ったく。現時点で古文書の売買を規制する法律なんて無いんだから、違法入国や裏オークションなんて手段を使わずに堂々とやりゃあいいんだよ。後ろめたい事をやってるから捜査の対象になるんだ」
ロジーが文句を吐き捨て、その分を取り戻す様に豪快に野菜丼を掻き込む。ナルミの目が先程より開いて、半分以下になった野菜丼を興味深そうに見つめていた。もしかして美味しいのかな、とでも思っているのかもしれない。
「そもそも個数自体少ないものだからな。だがいずれ法の制定が必要になるかもしれない。動く金額が並じゃない」
「正義のヒーローは危険な任務をこなすけど、その任務が更なる危険を呼ぶのだね」
突然口を挟み、難しい顔をしてうんうんと唸るナルミ。今回その危険な任務に巻き込まれてしまったわけだが……。
ナルミの言う通り、もしも今後携わる事件がどんどん凶悪さを増していって、その度にナルミを身の危険に晒す様な事があれば……私はそんな状況耐えられない。守り抜くつもりではいるが、如何なる時も確実という保障など無い。
例えば今回、竜が囮では無く直接城に放たれていたら? 件の古文書が敵の手に渡って、紺碧の竜すらも召喚されてしまったら? 私は果たして、怪我の一つを負わす事無く、ナルミを守り切れただろうか。
私は恐怖を感じた。何度も戦場に立ち、武器や獣を向けられても臆さなかった私が、ナルミを想い恐怖したのだ。
「ナルミ……あのさ」
私は、間違っていた。ナルミを大切に想うのであれば尚の事、一刻も早くナルミを元の世界に送り還すべきなんだ。私の感情などどうでもいい。私達に関わる現状は、ナルミにとってあまりに危険過ぎる。
「すっかり遅くなってしまったけど、ナルミを送還するって約束……ちゃんと果たさないとって思うんだ」
ナルミを召喚してから半年も経ってしまった。すっかり居るのが当たり前になって、私もロジーも周囲の人間も、ナルミの存在に違和感を感じなくなっている。だけど……。
「無理矢理この世界に喚び出して、そこで危険な目に遭わせてしまった事、本当に申し訳なく思っている。検証や分析は継続的に行っているが、今回の件でその緊急性を改めて痛感した。必ず、早い段階で結果を出す。何度も同じ話をしてすまないが、半年以内には理論の構築を……」「ザイン君」
ふと、真面目な顔でナルミが私の発言を遮った。幼い印象を与えるふっくらとした頬と整った目鼻立ちが、非常にアンバランスで妙に目を奪われる。
「実は私ね、元の世界に還れなくてもいいと思ってるのよ」
「………………え?」
「きっと両親も友達も、心配なんかしてないわ。ちゃんと説明してきたし」
目を丸くする私とロジーを尻目に、ナルミは晴れやかな笑顔に変わり、言った。
「私は、目的を果たしたのよ」