昔の話7。
それからと言うもの、どこに行くにも私とロジー、そしてナルミの三人で行動する事が多くなっていた。ナルミが保護対象だった事、そして私自身に責任と使命が課せられていた事が由来である。だがそれらは全て建前で、本心は別にあった。
私はやっと、友人と呼べる存在が出来た気がしていたのだ。
有り難い事に、ナルミはこの世界に強制的に召喚されたにも関わらず、悲観的な雰囲気を一つも感じさせなかった。明朗活発で、時に意固地で。……トア、本当にお前はナルミそっくりに育っているよ。
ナルミは明るく無邪気で、そして……綺麗だった。整った目鼻立ちも、ふっくらした頬も、全てが美しかった。
身勝手なのは重々承知の上だが、私は喚び出した対象がナルミで良かったと思った。最初に感じた苦手意識も、ナルミという人間を知っていく事で徐々に薄まっていった様に思う。
だけど約束は果たさねばならない。ナルミを好意的に思えば思う程、彼女を無事に元の世界に還さねば、という使命感に駆られた。
これはナルミで無かった場合でも同じ事。送還は、召喚師の義務なのだから。
私は警備団体の仕事と並行して、事故召喚の送還方法を調べ続けた。だが前例としてあるのはどれも、既存の召喚術失敗のパターンのみ。当然と言えば当然なのだが、個人で新たに創出した召喚術の失敗例など、記録に残っている筈も無かったのである。
ナルミが召喚されてから一月程経った冬のある夜。とっぷりと闇に浸かった空には銀色の月が煌々と浮かび、冷たい風に煽られて木々がさざめく音が聞こえていた。
いつもの様に部屋で文献を読みながら、ふと窓の外を一瞥した時、不意に手元にコーヒーカップが置かれた。穏やかに揺れる茶色い液体から、風味良い香りと白い湯気が立ち昇る。
「精が出ますな」
視界の横からひょこっと顔を覗かせたのは、ナルミだ。肩までの髪は左右に結ばれ、短い三つ編みとなり小さく揺れている。
「ナルミ……」
「勉強熱心だねーザイン君は。私の学校に居たら単位取り放題だね」
いや同じ学校には居ないか、と付け足し、うんうんと頷いている。抽象的で要領を得ないナルミの独り言は、放っておくと何処までも広がっていってしまうので、ある程度の段階でこちらから区切りを付けないといけない。
「……どうしたんだ? こんな時間に」
「私にだってなかなか眠れない日もあるのよ。あ。とりあえずこれ飲みなよ。体が冷えてると頭の回転も悪くなるよ」
「そうなのか?」
「知らないけど」
……適当な奴だ。とりあえず、有り難く頂戴する事にした。熱いコーヒーが、冷えた体に深く浸透していく。飲み慣れた缶コーヒーよりも数倍美味しく感じた。
「これ、もしかしてわざわざ淹れてくれたのか?」
「へへへ。こう見えて喫茶店でバイトしてるのよね。見た事無い豆だったけど、なんとか美味しく挽けたみたい。焙煎やらブレンドやら抽出やら、色々工夫したのよ」
自慢気に胸を逸らした後、途端にはっとした表情に変わった。
「しまった、すっかり忘れてた! 学校とか色々まぁいいかーって諦めてたけど、バイトはダメだった! 店長さんとかに凄い迷惑掛けちゃってたかも!」
おろおろと焦り始めるナルミだが……一月も経ってしまった今になって思い出しても遅過ぎる気がする。そういえば入り口に飾る予定だった絵はどうしたんだろー、と、またも話が壮大に脱線しそうになっていた。このまま聞いているのも面白いのだが、時間も時間なので、いつも通り口を挟む事にする。
「ゴメンな、俺が送還してやれないばっかりに。ナルミの人生、狂わせちゃったよな」
謝罪すればする程、心が軋む。そうなると分かっていて実行したのだろうと、自分を責めたくなる。
「んー。ザイン君、そろそろそれやめましょう」
「……え?」
ただでさえ近い距離にあった顔を、更にグイッと寄せてくる。その吸い込まれそうな夜空色の瞳が、私を捉えて離さなかった。
「ザイン君はねー。ずぅっと私に気を遣ってるよね。私がこの世界に来てからずぅっと。そりゃあ事故で間違えて私を喚んじゃったっていう話だし、責任を感じるのは分かるけどさ」
長い睫毛。艶やかな唇。当たりそうな程近い吐息が、私の脈拍を支配していた。逃げる様に目を逸らしたその先で、短い三つ編みがひょこひょこと揺れている。
「もう気にしなくていいのよ。なんかいつまで経っても壁がある感じ。もう一月もここで生活してるわけだし、せっかくだから私も観光気分で楽しみたいもの」
この感情は、必要以上の鼓動は、何なのだろうと思う。……いや。分からないフリをしている事は明白だった。だが私はそれの言及を避けた。そこに踏み込んでしまってはいけない様な気がしていたのだ。
「ん?」
何も言わない私を不思議がって、首を傾げるナルミ。吸い込まれそうで、それでいて内側まで見透かされそうで……私はナルミの視線に恐怖を抱いていた。それはきっと、後ろめたくやましい感情がある事の証明なのだろう。
「まぁそういうわけでさ。コーヒー飲んであったまったら、出掛けようよ」
「………………え?」
突然の提案。私はナルミ送還の為に調べ物をしているのだが……。それに時刻は23時を回っているし、大抵の店はもう閉まっているはずだ。なにより、外はきっと寒い。
「出掛けるって……何処へ?」
乗り気でない事を読み取ったのか、はたまた最初からこちらの意見など聞く気が無いのか。ナルミは満面の笑みで私の腕を引っ掴み、部屋を飛び出した。
「うぉ、なんだ」
廊下に出た瞬間、丁度そこを歩いていたロジーとぶつかりそうになった。無意識の反応なのだろう。ロジーは腰に携えていた刀に反射的に手を置いて、私達と距離を取っている。戦闘慣れした警戒心の強さが生んだ反射神経は、時にこうして身内を脅かしている。
「ロジー、どうしたんだ? こんな所で」
「いや、ザインに用があったんだが……何の騒ぎだ」
「丁度良かった! ロジー君も一緒に行こう!!」
ナルミは実に楽しそうに、もう一方の手でロジーの腕を掴み歩き出した。
ナルミがこの世界に来てから、私もロジーもナルミに振り回されっ放しだった。ナルミは思い立ったらすぐに行動に移す性格の女性で、我々はそれに巻き込まれる事が常であった。
事故で異世界に召喚され、還る方法も分からないと言われたら、私だったらどうだろうと考える。これ程までに明るく、毎日を楽しく過ごせるだろうか。
見知らぬ土地に対する不安も、我々が真実かどうかという疑心も、還れるか分からない恐怖も。ナルミからはまるでそういったネガティブな感情が見えなかったのである。還る方法を探すという約束を一月も反故にしている私を、ナルミは非難も糾弾もせずに、ただずっと信じて待ってくれていたのだ。
私は加害者でありながら、ナルミのそういった部分に惹かれていった。
自身への呵責や悔恨が渦巻く中に、微かにそんな感情が生まれている自覚が、確かにあったのだ。
ナルミに連れられて辿り着いた場所は、城の裏手に伸びるアーチ河という大きな河の岸だった。アーチ河という名称ではあるが、何も形がアーチ状であるわけでは無い。ミノンアーチが建国された当初から流れている大河で、発展に欠かせない存在だった為に国名から名付けられたという話だ。
そんな由縁と両岸に広々とした緑地公園があるという立地から、国を挙げての催し物はこの河近辺で行われる事が多い。春はお花見祭、夏は夏祭り、秋は収穫祭。
そして冬は……。
「うあー! すっごい綺麗ねー!」
立ち並ぶ木々に宝石が散りばめられたかの様な、広範囲に渡る大規模なイルミネーションである。赤、青、黄、緑と、様々な色が色鮮やかに夜を彩り、それらが河の水面に反射して、実に幻想的な景色となっていた。ちなみにこれらは深夜0時に全て消灯する。……そうか、だからナルミはあんなに急かしていたのか。
「お城の部屋からも見えるけど、近いとやっぱり迫力が違うわね。人も居ないし」
子供の様に無邪気にはしゃいでいる姿を見ると、強引ではあったけどここに来て良かったなんて思ってしまう。ナルミの楽しそうな笑顔は、罪悪感を薄めてくれる。私は、それに救われていたのかもしれない。
色鮮やかな世界に溶け込む儚い光景は、やけに現実感が無くて、そのまま何もかも消え去ってしまいそうな感覚さえあった。
ナルミは、この世界にとって何だ。
一月経った今でも、この関係は希薄だ。
まるで夢から覚める様にこの瞬間にナルミが居なくなってしまっても、違和感無く納得出来る気がしていた。
だけど……。言い様の無い恐怖もあった。
矛盾している。無くなっても不思議じゃないと理解しながら、無くなって欲しくないと願っている。空想の世界を夢見る子供みたいだ。
そうか、私は……。
「ナルミに惚れちまったな」
「ッ!?」
ロジーの一言に、私は飛び上がるほど驚いた。




