朝の出来事。
ーーどっちがいい? 柳
頭の中に響く、残酷な要求。
沈殿した感情がかき混ぜられるかの様に、恐怖と不安で汗が滲んでいく。
ーー選んで。柳が決めて。
ドンドンと、大袈裟な程の音量で内側から心臓が鳴っている。まるで急かされている様な焦燥感に、必死で両耳を塞いだ。
選ぶ? 俺が? そんなの無理だ!
強く言い返したいのに、まるでせき止められたかの様に声が詰まる。汗と同時に涙すら滲みそうだった。
どんな選択が正解だろう。誰もが幸福になる選択は。あの人が求めている選択は。
俺の意思とは遠く離れた見えない場所で、死に物狂いで模索している。最良の答えを。
そこには……無いのだろうか。
俺の願いは。
俺の。
大切は。
「柳ーーー!! 起きてるーー!?」
「ヤナギ!! 無事なのっ!?」
ドンドンとドアを叩く大きな音と共に、女の子2人の騒がしい声が響き、目が覚める。覚醒しかける頭を叩き起こす様な、あまりに無遠慮な目覚ましだ。
重い瞼をこじ開けながら体を起こす。……そうか、夢を見ていたのか。急き立てられる様にうるさかった心臓の音は、どうやらこのドアを叩く音だったらしい。くそぉ、おかげで嫌な夢を見てしまった。あんまり覚えていないけど、酷く恐い夢だった。
そもそも無事って何の事だよ……と疑問を抱いた直後、隣を見て息を詰まらせた。
絵里が寝ている。
「……………………」
そうか。昨日の夜、絵里と話をしてそのまま寝ちゃってたんだ。朝になって千佳の部屋に絵里が居ないから、あの2人が凄い勢いで俺の部屋に来たのか。
目をこすりながら絵里を見る。絵里はまだすやすやと寝息を立てている。夜遅かったし、起こすのも悪いよなぁと思いつつ、まじまじと顔を覗いてしまう。
寝顔、初めて見るけど……可愛いなぁ。
あどけなく無防備なその姿に、思わずドキドキしてしまう。ノースリーブとショートパンツから伸びる、真っ白い素肌にも目が奪われる。
俺が臆病者で良かったなんて思う。これがもしクラスのヤンキー寄りの連中、それこそリッシュみたいな性格の男だったら、あっという間に襲われてしまうぞ。
俺は絵里の体に触れない様に気を付けながら毛布を直した。この無防備な危機感の無さは、きっと信頼の表れだ。それを俺が裏切る事なんて出来ない。
……だけど。
その小さくて華奢な存在が、酷く頼りなく見える時がある。儚くて脆い泡や光の類の様に、ふとした時に消えて無くなってしまいそうな。
「…………」
などとそれらしい言い訳を並べてみたけど、そんな事は本当は何の理由にもなっていない。これはきっともっと単純な、男の衝動みたいなものなんだろう。
「……抱き締めたくなっちゃうな」
昨晩、絵里がしてくれた様に。この大切な存在に触れたい。ただそれだけの欲求だ。
そこで我に返り、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。何をしみじみ呟いているんだろう、俺は。思わず口に出してしまっていた言葉に自分自身が信じられない。
とりあえずあの2人に応答しないと。まるで逃げる様にベッドから離れてドアに向かおうとした……その時。
「……いいのに」
聞き逃してしまいそうな程か細い声が、布団の隙間から溢れた。振り返るが、絵里は毛布に絡まって顔を埋めていて、表情が窺えない。
「ヤナギー! 無事なのーー!?」
何も思い付かないくせに何かを言おうとして、直後に飛び込んできたトアの声に心臓が跳ねる。……まったく、この世界に来てから心臓への負担が酷い。
元の世界に帰る頃には、少しはメンタルが強く成長しているといいな。
「……で。人が監禁されて部屋から出られないのをいい事に、ヤナギと一晩中何してたワケ?」
ギロリと、トアが俺と絵里を睨んでくる。サンドイッチの様な物を口一杯に頬張っているが、その鋭い眼光は可愛らしいイメージを払拭する程に険しい。
「絵里、あんたが部屋を出てったの気付いてた。なんとなく柳の所だろうなぁと思ったけど、私も2人で会ってた手前、見逃す事にしたんだよ。……まさか、朝まで同じベッドで一緒に居るなんて思わなかった」
サラダにドレッシングをかけながら、驚き半分文句半分といった様子で、千佳も睨んでいる。
絵里とは結果的に朝まで2人で居たわけだけど、勿論何もやましい事などしていない。なのにどうにも肩身が狭い。普段こういった糾弾を気に留めない絵里も、何となく申し訳なさそうに委縮している様に見える。……いや、もしかしたら眠いだけかもしれない。
ここは昨日と同じ朝食会場である。テーブルにはサンドイッチやサラダ、プペンその他の果物など、色とりどりに料理が並んでいる。会場は昨日よりも人の出入りが少なく、テーブルの数も減っていた。そうか、召喚された初日に宴会があったんだったな。それ関係で宿泊していたお客さんが、昨日である程度帰ったのだろう。定例会議の時の、あの大騒ぎの件もあるし。
宴会時の大賑わいを思うと、今のこの静けさは少し寂しく感じる。
アーチェのジャムを塗ったトーストを齧る。クロボーと迷ったが、確かお祭りでトアが食べていたクロボーのクレープは苦そうだった。昨日の夜、千佳が用意してくれたアーチェのジュースは甘めで美味しかったので、こっちを選んだのだ。……うーん。この世界のどうでもいい方面の知識が増えてきたなぁ。順調に染まってきているこの状態を喜ぶべきか否か。
なんて気を紛らわせてみようとするけど、2人の追及は終わりそうにない。内緒な、と絵里に言った手前、千佳の話をしてましたなんて言えないしなぁ。
「ごめんなさい。でも、それぞれ2人っきりになれた。これでおあいこでしょ?」
絵里がロールパンを頬張る。委縮しているのか眠いのかどっちか分からないが、俯いた顔は上目遣いとなり、まるで許しを請う様な表情になっている。これはズルい。
だが女子2人には通じなかったみたいだ。
「全然違うわ! 屋上で花火見るのと朝まで同じベッドに居るのとじゃ、全然釣り合ってないわよ!!」
「正直に言って! どこまで行ったの!? 柳にくっついたりしてないよね!?」
「……ぎゅってした」
「「はーーーーーー!!??」」
そして大騒ぎが始まった。もはやいつもの事だが、その度に俺はどうしたらいいか分からなくなる。なにせ止めようが無いからだ。原因は俺だし。
「私だって、手を握って暖めてくれたもん!」
「なにそれいつよ! ズルいわよ!!」
「良く言うよ! あんた一番くっついてるくせに! 同意無く強引だけどね!!」
「あ。私の方がくっついた面積広いかも」
面積って何だ。そんな張り合い方があるのか。
本当は今日のこれからについて話し合いたかったんだけど。
ひとまずこの騒ぎが収まるまで、俺は静かにお腹を満たす事にした。