深夜の出来事2。
パサッと音を立ててシーツが落ちたと同時、俺は反射的に目を逸らしていた。こんな状況だけど……なんだか見てはいけないような気がしたのだ。
心臓が激しく脈動している。せっかくお風呂に入ったのに、激しく汗をかいてしまっているぞ。
というか、絵里ってこんなに大胆だったっけ。確かに大人しそうに見えて積極的な所があるし、ライバルへの対抗心もそれなりに強いけど。……そういえば一昨日の放課後の教室でもそうだ。テスト結果が上位の方が俺と付き合うという勝負で、絵里も千佳もまさかの同率1位だったにも関わらず、まるで千佳を出し抜くかの様に、教室に先に来たのは絵里だった。そんな強気な性格に加えて、異世界という非現実的な環境が、元の世界では出来ない様な行動を後押ししているのかもしれない。
色々と限度が曖昧になっているのは俺にも思い当たる節がある。トアの肩を抱きそうになってしまったし、千佳が伸ばした手は握ってしまったし。
……けど。
「いやいや、絵里。それはちょっとマズイって」
目を逸らしたまま両手でストップの合図を送る。これはさすがに段階が飛躍し過ぎだ。
すると絵里はクスクス笑って言った。
「あー、ドキドキしてるな。それじゃあこの実験は大成功ですね」
教師か学者のような口ぶりでふざける絵里を、俺は横目で恐る恐る見た。そしてその格好に盛大に安堵したのだ。
絵里はしっかり服を着ていた。ノースリーブにショートパンツと、これはこれで露出が多く見惚れてしまうが、暴走していたワケでは無かったらしい(当たり前だ)。勝手に焦ってあたふたしていた自分が恥ずかしい。
「……実験?」
「うん。柳君は、こんな子供みたいな私でもドキドキしてくれるかなーって」
イタズラっ子のような表情で、実に楽しそうに顔を覗いてくる。
とんでもない。子供みたいだなんて思った事も無いし、心臓が普段の4倍くらい働いたんじゃないかってくらいドキドキしたぞ。
「トアや千佳ならまだしも、絵里がこんな冗談をしてくるなんて思わなかった」
「ふっふっふ。……なんか、実験してる私の方がこの雰囲気に緊張してドキドキしちゃった」
「あはは」と笑いながらパタパタと顔を仰ぐ。そんな照れて赤くなった表情が、より一層自体に真実味を与えていて、すっかり騙されてしまった。……いや、こんな状況で落ち着いて居られる男なんて居ないだろう。
「こんな時間にどうしたんだ? 眠れないのか?」
気を取り直して尋ねる。ベッドに並んで腰掛けたこの状況は、結局の所なかなかに緊張するシチュエーションだ。距離感といい服装といいどうにも無防備過ぎて、相変わらず俺の理性が試されている。
「それ半分。もう半分は、2人っきりになれるチャンスかなって思って」
「え」
「今度は私の番でしょ?」
上目遣いで覗き込んでくる。トアとの件はまだしも、千佳とも2人っきりで話していた事がバレているみたいだ。そりゃそうか。飲み物を取りに行った千佳を待ってたんだもんな。千佳が戻るのに時間がかかって隣の部屋に俺が居なければ、想像は容易いか。
「この世界に来て2日目……もう日付が変わったから3日目かな。なんだか不思議な感じ。元の世界では日曜日って事だよね」
「そうなるね。絵里の両親は大丈夫なのか? 心配してるはずだよな」
うちはきっと全く無関心だろう。まぁ男なんてそんなもんだ。だけど娘を持つ親からすればそんな悠長には構えてられないと思う。捜索願いだって出されているかもしれないし、一緒に消えた俺に対して疑いが向けられているかもしれない。
「うちは多分大丈夫。親の関心があるのは私より妹の方だし。それよりも召喚されたタイミングがこの時期で本当に良かったね。週明けはもう終業式くらいで授業とか無いし、そのまま夏休みに入るから、勉強が遅れる事も無さそう」
宿題の内容だけ後で誰かに聞かなくちゃ、と携帯電話にメモを残す。凄いな、こんな時でも授業の遅れを懸念しているなんて。
いや、それよりも気になったのが。
「妹居たんだ、知らなかった。なんか意外だな」
「そうなの。よく言われる。私が全然姉っぽく無いからかなー。妹は私よりしっかりしてて大人っぽいし、色々と優秀なんだよ」
少しだけ寂しそうに答える。
確かに、絵里の雰囲気は姉というより妹の方が合っている。見た目が幼くて、可愛らしい印象だからだろう。だけど絵里だって、特進クラス理系成績No. 1という凄まじい優秀さを誇っているじゃないか。……いや、そもそも優秀さ云々以前に、親の関心が絵里に無いという事は幾ら何でも無いだろう。百歩譲って仮にそうだとしても、自分の娘が急に消息を絶ったら、姉妹どちらであろうが冷静では居られないはずだ。
でも。だけど。
絵里は何となく感じているのだろうか。両親が自分よりも妹に意識を向けているという事を。自分が居なくなっても気にしていないだろうと思ってしまう程に。
選ばれないという寂しさ。
俺と同じ様な不安を、絵里も抱えているのだろうか。
「ねぇ柳君」
「……ん?」
「後ろから抱き付いてもいい?」
突然の質問に言葉が詰まる。え、いやいや。そんな事聞かれても。
落ち着いてきた心臓がまた静かに鼓動を早めていく。どうしてそうなった。
「だってトアちゃんとはたくさんくっついてるじゃん。ズルいなーって思ってたの」
いや。あいつの場合、こっちの都合関係無く強引にくっついて来てる訳で。俺はいつもそれに焦っているし困っているし。
そうやって改めて、いいかどうか尋ねられても……なんて言えばいいか。
俺が見るからに困って返事に窮しているのを察してか、絵里はベッドに上がり、俺の背後に陣取って。
恭しくそっと、包む様に俺を抱き締めたのだ。