お祭りの後で。
お祭りを後にして、俺達は城に戻ってきた。部屋に戻る途中、ヒストさんに見付かったトアは奥の部屋に連れて行かれてしまった。恐らく今頃説教を受けているのだろう。安静にしてろという忠告を無視したからだ。一緒になって病院を抜け出した俺達も同罪かもしれないが、絵里と千佳は「頑張ってねー」と言い残しトアを引き渡してしまった。こっそり俺と2人っきりになって花火を見ていた事を、相当根に持っているらしい。
「柳君、今度は私とも2人っきりの時間を作ってね」
可愛らしい口調で訴えてくるが、絵里の目はまるで責めるように細く切れ長になっていた。
「ってゆーかトア、本当に抜け目ないね。いきなり、お財布落としたかもーとか言うから怪しいとは思ったけど」
千佳が唸る。確かにトアの機転の利き方は凄いけど、今回に関しては金魚掬い勝負での約束があったからなぁ。俺にはトアを責める事が出来ない。考えれば、約束通り2人の時間を作るにはあのタイミングしか無かったかもしれない。
すっかり覚えてしまった道順を通り、借りている部屋に帰ってきた。絵里と千佳は準備してそのままお風呂に直行するらしい。俺も一息ついたらそうすると伝え、部屋の前で別れた。
……さて。当たり前の様に戻ってきたけど、いつまでもお客様で居る訳にもいかないよな。多少の滞在を予定するなら絵里の言う通り、何かしらでお金を稼ぐ必要性も出てくる。
当面の問題はラシックスだ。俺達が干渉したせいで悪化してしまった関係性をどうにか修復、若しくは改善出来たらいいんだけど、リッシュもケミーも一筋縄では行かない雰囲気が滲み出ていた。あんな様な連中が集まってグループを形成しているだなんて、俺にはその全貌の想像がつかない。
と言うか、あの時にも思った事だが、リッシュの恋路に俺が横槍を入れる資格なんて無いんだよな。あくまでも2人の問題というか。俺自身、偉そうな事を言える立場じゃないというか。俺の心配事と言えば、あいつの暴力的な行為とか思想でトアが傷付いたりしないかって部分なわけで。そういう意味で俺は、リッシュにトアを渡したくないって気持ちになったんだ。だけどそれだって結局は俺の勝手で余計なお世話でしかない。
「うーん……」
俺はリッシュに撃たれそうになったし、斬られそうになった。あんな危険な奴にトアを譲る気は無い。これは間違いなく俺の本心だ。何故か芽生えた敵対心に複雑な気持ちになるけど、俺はそれを大切にしたい。必要性とデメリットを模索する中でしか生まれない俺の意思が、珍しく自分の感情を主張しているのだ。俺だけがそれに寄り添う責任を持っている。
だけど今回の件に関して問題なのはリッシュじゃなくてむしろケミーの方かもしれない。
そもそもケミーの標的は俺だった。リッシュのあの質問の意味がその事についてなのか確証は無いけど、仮にそうなら、俺は誰かの指示で狙われた事になる。結果的にトアが被弾してしまった後に、今度はリッシュが俺を襲ってきたのは謎だけど。
……やっぱり、ちゃんと話さなきゃダメだな。まずは話し合いだ。リッシュがトアについて、そして俺についてどう考えてるのか知らないと。それと……一番大事なのは、ケミーに指示を出した人物について。どうやらそいつは俺の命を狙っているみたいだし、リッシュはその人物の見当がついてる様子だった。いつまた俺に危険が迫って、その結果誰かを巻き込むとも限らない。せめて誰なのかくらい特定しておきたい。
「やれやれ。元の世界に帰るのは、いつになるんだろうな」
昨晩寝落ちしてしまった為にお風呂に入れず、朝、部屋に備え付けのシャワーを浴びた事を思い出した。そういえば話によると、ここのお風呂は大浴場の様に広いという噂だ。せっかくなので利用したい。
色々と整理しようとしていた思考を一旦中断し、お風呂に入る準備を始めた。
この世界に来て2日が終わろうとしている。長いような短いような。どうだろう、俺はここでの生活に順応出来ているだろうか。異世界と言えども、ここが元の世界とそう大差無い文化を形成しているおかげで大きな戸惑い無く過ごせているのかもしれない。
窓の外は暗闇が包み、空には隙間を埋めるように散りばめられた星が瞬いている。
夏祭りの余韻が溶けていくような、とても穏やかな夜だった。
噂通り豪華な大浴場は、俺1人で利用するには勿体無い程の広さだった。これだけの規模の城だが、居住している人はそんなに多くないのかもしれない。時間的な要因もあるのかもしれないが、完全に貸切状態だったのだ。なんだか落ち着かないなぁと思いつつも疲労のせいか長居してしまい、出る頃にはすっかりのぼせてしまっていた。
部屋へと戻る前に夜風にでも当たろうと思い立ち、バルコニーに赴いた。ここは先日会食の際、抜け出してヒストさんと話をした場所だ。確かその時、トアが半年前まで塞ぎ込んでたって話を聞いたんだよな。
バルコニーにはお洒落な椅子とテーブルが設けられている。そこに誰かが座っているのが見えた。
あれは……。
「千佳」
「あー、柳だ。お風呂上がり?」
実に嬉しそうな笑顔でこっちを振り返る。先日同様、お風呂上がりの千佳は妙に色っぽくて緊張する。上気した頬は赤く、艶やかに湿った髪からは柔らかく良い香りがする。
「柳も涼みに来たの?」
「まぁ。……あれ? 絵里は?」
「部屋に居るよ。私は飲み物を取りに来たの。そのついで」
「ほれ」と缶ジュースを差し出してくる。先日ヒストさんが教えてくれた食堂から拝借したようだ。そしてどうやら俺の分もちゃんと用意してくれていたらしい。優しいやつだ。
テーブルを挟んで俺も椅子に座り、缶ジュースを受け取る。アーチェジュースと書いてあった。これはまた未知の飲み物だ。
「気持ち良いねー、お風呂上がりのここの夜風は。実は昨日も来てたんだよ」
そうだったのか。確かに風が涼しくて気持ち良い。お祭りで賑わっていた城下町も、今は明かりの数も減り、静かで落ち着いた雰囲気に戻っている。
「久しぶりだよね、2人っきりになるの」
千佳が城下町の明かりを眺めながら呟いた。
「実はずっと狙ってて、でもなかなか上手くいかなくて、モヤモヤしてたんだよ」
「そう、なんだ。なんかゴメンよ」
言ってくれればいつでも……と言い掛けて口を噤んだ。俺にそんな事を言う資格なんて無い。
「でもトアを見てたら、そんなんじゃダメだなって思った。強力なライバルが更に増えちゃったわけだし、これからは私だって積極的に行かないとって」
外の方を向いている千佳の顔は影になっていて、どんな表情でいるか分からない。開けるタイミングを逃してしまって、缶ジュースのプルタブに指を掛けたままである。
「あのさ」
千佳がこっちを向いて言った。その顔はお風呂のせいか真っ赤に染まっていたから、きっと俺がそうなっているのも同じ理由からだろうと思う。きっと。
「柳、私の事を選んでよ」