病室にて。
「この辺に並んでる絵は、ピサロとかモネとか印象派の絵画って感じ。印象派は基本的に屋外で制作してて光の表現とか筆の使い方が特徴的なんだよ。時期的には19世紀後半のフランスが発祥で、最初は結構馴染めなかったんだって。病院みたいな閉塞的なイメージのある空間にこういう絵画が飾られてると元気になるよね。そういう意識は異世界でも同じなのかなー」
「千佳ちゃんほど詳しくないけど、ピサロだったらエルミタージュの丘が好きだな」
「あー、いいね。エルサーの干し草とかもいいよ」
廊下を早足で歩きながら、壁に飾られた絵画を眺めて絵里と千佳が盛り上がっている。優等生ならではの見解。単純に絵について感想を述べるよりも楽しそうな2人を見ると、知識がある事は素晴らしいなと思う。世界をより深く、鮮明に理解する事が出来る。
知らないという事は、時として危険な事だ。
去り際のロジーさんの言葉が耳に残る。
『ザインよ。またあの悲劇を繰り返すつもりか』
あれはどういう意味なんだろう。過去に何かがあったのだろうか。
ロジーさんが去って少し経った頃、ヒストさんから看護師を通してトアが目覚めたと連絡があった。その為、早足で病室に向かっている途中である。
ロジーさんの話のせいか上機嫌になった絵里と千佳は楽しそうに歴史と文化について話していたが、病室が近づくにつれて少しずつ口数が減っていった。まるで、振る舞っていた明るさを失っていくかのように。
拳銃で人が撃たれて、出血をした。俺でさえゾッとしたその光景を見て、きっと2人だってショックだったはずだ。それなのに、不甲斐ない俺を守る為に、召喚術でケミーに立ち向かってくれた。恐怖も不安も無いわけないのに、それを感じさせない明るさで俺を支えてくれている。
有難く、頼もしいと思いつつも、自分の情けなさを改めて実感する。
俺はここに来て、情けない所ばっかり見せてしまっているなぁ。
病室に着いて扉を開けると、トアは真面目な顔でヒストさんと何か話していた。だが、俺と目が合った途端に顔を綻ばせ、すぐさま満面の笑みへと変わる。
「ヤナギっ! 心配して来てくれたのね!」
両手を真っ直ぐ俺に向けて伸ばしてくる。ベッドに座った状態で無ければ、俺に抱き付いてくるんじゃないかという勢いだ。
「ほら、ハグ待ちよ」
……出来るか。
「トアちゃん……良かった、大丈夫みたいだね。撃たれて気を失ってるの見て、死んじゃったかと思って凄い心配したよ」
絵里がさらっと恐い事を言う。するとトアはばつが悪そうな顔をして「えーと」と頬をポリポリと掻く。なんだ?
「実は……えーとね。あの時、私……別に気を失ったりなんかしてなかったのよね」
「「「えっ!」」」
俺も含めて3人が声を上げる。
「いやー。すっごい痛かったのは間違いないんけど、倒れ込んだらヤナギがぎゅーっと抱き締めてくれるもんだから。なんかとりあえずこのままでいっかなーって思って」
頭に手を当てて「てへへ」と笑う。
あの局面をそんな風に利用していたのか。方向性は別として、トアのこの土壇場での応用力というか機転の利かせ方は凄まじいな。そんな余裕のある状況じゃ無かったのに。……単純に自分にとってのメリット最優先主義なだけかもしれないが。
「なにそれ! ずるいー!!」
千佳が叫ぶ。ここ病院だぞ。絵里は唖然とした表情で、信じられないといった様子だ。
「仕方無いじゃない。離れたくてもヤナギがあまりに力強くて離してくれなかったんだから」
おいこら嘘吐くな……と言いたい所だが正直あまり良く覚えてない。気が動転していたし、本当にそうだったかもしれない。
とは言え。
「トア、庇ってくれてありがとな。俺がもっと気を付けていればトアが怪我する事なんて無かったかもしれないのに。本当にごめん」
頭を下げる。そもそも俺のせいで怪我をさせてしまったのだ。感謝してるし、申し訳ない気持ちで一杯だ。
するとトアはまるで花火のようにパッと顔を赤く染め、そっぽを向いてしまった。……ん? なんでここでそんな反応なんだ?
「別に、私がしたくてした事よ。そんな改めてお礼なんか言わないでよ、照れるじゃない」
照れている。謎だ。普段もっと大胆な事をしてくるのに、褒められるのは弱いのだろうか。
「次またこんな事があったら、その時は私が柳君を守るからね」
服の裾を引っ張りながら、上目遣いで絵里が主張してきた。可愛い。いやいや、もうこんな事あって欲しくないし、絵里に怪我なんてさせたくない。
「あ、私だってそうだよ!」
張り合うように千佳も参加してきた。待て待て。俺の為に誰かが怪我をする展開なんて望んでないぞ。
「女の子が3人揃うと賑やかですね」
笑いながらヒストさんが茶化してくる。他人事だと思って。渦中の俺の身にもなってほしい。
「ひとまずトア様、ご無事で何よりです。これより私とグラウンは城に戻って、後処理や今後の体制と方針についての緊急会議を執り行います。業務に置かれましては、お身体が万全に戻ってからで結構ですので、今しばらくはご休養ください」
「わかったわ」
そうしてヒストさんはグラウンさんと共に出口の方に向かった。その際、再びトアの方に向き直る。
「先程の件、トア様の事ですから大人しくと忠告した所でどうせ無駄でしょう。ですが、くれぐれも無理のなさらぬようお願い致します」
そしてその目線は俺に移り。
「トア様を、宜しくお願いします」
そう言い残して出て行った。ヒストさんも大変だなぁとしみじみ思う。
「私達が入ってきた時、ヒストさんと何を話していたの? すごく真剣な表情だったけど」
「安静にしてなさいって言われたのよ。いつまでも子供扱いなんだから。……そんな事よりヤナギ、提案があるわ」
怪我して入院してるんだから子供扱いとは違う気がするが。それよりも既視感があるぞ。これはもしや……。
「お祭り、私と2人っきりで見て回りましょ」