侵入者+α1。
静まり返る室内。グルルと唸りながら、蒼い竜は俺を見据えている。
まるで、次の指示を待つかのように。
「咆哮が……止まった。もしかして、柳の声に反応して?」
千佳が恐る恐る竜の顔を覗き込む。詠唱した本人とは思えない怯えようだ。
いやいや、単なる偶然だろう。だって俺は召喚に全然関わってないし。俺が使役出来る理由が見付からない。
だけど、とりあえず収まってくれて良かった。耳鳴りがまだ続いているけど。竜の咆哮なんてこんな近距離で聞くもんじゃない。
「その赤き銅色の皮膚と、気高き翼を携え……」
カッパの子の声が聞こえてハッとした。蒼天の竜の咆哮が終わって、召喚作業を再開したんだ。
そしてその詠唱内容にさらに衝撃を受ける。赤き銅色の皮膚……? これってもしかして、あの赤銅の竜の召喚なんじゃ……。
カッパの子の足元に描かれた図形が光り出した。人の事を言えた立場では無いのだが、荒野であれ程の迫力だった竜をこんな室内で喚び出すなんて無茶苦茶だ。ザイン国王は平気なのだろうか。俺がこの城の主だったら外でやろうと提案している所だ。
そういえば、さっきの定例会議で赤銅の竜はラシックスが関係してると言っていた。
じゃあこの子は、ラシックスのメンバー? というか、赤銅の竜は今野生化しているんじゃないのか? 召喚しようとしているのは、それとは別の個体?
様々な疑問が巡る中、カッパの子が詠唱を終えようとした。
その時だった。
「そこまでだ。ケミー」
落ち着いた口調の男の声が聞こえた。と同時に、カッパの子の目の前に凄まじい勢いで何かが突き刺さる。
細長い棒状の物体。それは刀だった。その銀色に光る鋭利な刀身は、真っ直ぐ床に突き刺さり、描かれた召喚図形を砕いていた。
波が引くように、溢れ出ていた光が徐々に失われていく。予想は出来たけど、やっぱり図形を破壊されると召喚出来ないんだ。
「あ、リッシュ」
ケミーとはあの子の名前だろうか。カッパの子が、俺達の後方を覗き込んで呟く。
振り返ると、そこには男が立っていた。大きな黒いコートと、首には黒いバンダナ。そのどちらにも、この国特有と思われる特徴的な紋様が施されている。歳は20代半ば程だろうか。顔立ちは整っていて美形だと思うが、俺としてはその厳つさはヤンキーそのものといった印象だ。
こいつが……リッシュ。
召喚術を利用する犯罪集団ラシックスのトップで、トアのストーカー。
半壊した一室に、絵里と千佳が召喚した蒼天の竜が居る。そんな状況にも関わらず現れたリッシュは、落ち着いた佇まいと余裕のある表情で、その雰囲気から只者では無い事が容易に想像出来る。
「やはり……お前か、リッシュ。この子はラシックスのメンバーだな。何が目的だ? トア様をあんな目に遭わせて」
グラウンさんが鋭く睨む。左手でノートを開き、いつでも召喚術を使えるよう構えている。
「リッシュ。お主がトアに会いに時折顔を見せているのは知っている。だが今まではここまで好戦的では無かったはずだ。奇襲のような真似は止めて貰いたいんだが」
ザイン国王も牽制するようにリッシュを睨む。だが、当の本人は2人を意に介さず歩き出し、俺達の間をすり抜けるようにしてカッパの子の前までやって来た。
「あーあー、くだらねぇ真似しやがって。トアが死んじまったらどうすんだよテメェ」
クラスに居た不良そっくりだ。ガラが悪い。はっきり言って非常に苦手なタイプである。
「リッシュ、違う。トア姫狙ってない。僕はあいつ狙った」
指を差される。振り向いたリッシュの凍り付くような冷たい視線にゾッとし、反射的に目をそらしてしまった。
そうだ。そもそもなんで俺を狙ったのか。リッシュにとって恋敵になるからか? そんな理由で始末されては堪らないぞ。
そういえば、もう一つ気になる点がある。先ほど蒼天の竜の召喚途中で、あのケミーって子が危険だと言って標的にした相手。何故あれは絵里だったのだろうか。図形は完成していたし、詠唱をしていたのは千佳だ。もし召喚を止めたかったら狙うべきは千佳じゃないのか? 若しくは今みたいに図形そのものを破壊するか。いずれにせよ、絵里を仕留めたって何も変わらない気がするんだけど。
……あれ?
待てよ。もしかして……。
「ケミー。そんな事はどうだっていい。それよりテメェに聞きたい事がある」
ガッとケミーの右手首を掴む。その拍子に持っていた傘が地面に落ちた。その音は馴染みのある傘そのものの軽い落下音で、ハリネズミの突撃を受け止め、異様な形に変質する奇怪な武器だったなんて到底信じられそうにない。
掴んだ手を持ち上げながらケミーの顔を近距離で覗き込み、地の底から響くような静かな声で尋ねた。
「答えろ。誰の指示だ?」
ここからはリッシュの後ろ姿しか見えない。だけどその低い声に威圧される。他の誰にも、口を挟む隙を与えさせない。
パサ……とフードが外れ、初めてケミーの素顔が露わになった。その顔は中性的で、見ても尚男なのか女なのか判別出来ない。だがその表情は明確に感情を示していた。
目を見開き、怯えている。
口も震えているが、それでもケミーは何も言わなかった。ただ、リッシュの視線から目を逸らせないかのように、一点を凝視して止まっている。
「……はっ。まぁいいさ。おおよその見当は付く。くだらねぇ」
そう言ってケミーを突き飛ばすように解放し、リッシュは歩き出した。
そして、地面に転がっていた拳銃を拾い上げ、そのまま流れるような動作で真っ直ぐそれを構える。
一瞬のためらいすら無かった。
リッシュは、俺に向けて発砲した。