侵入者3。
「させないわっ!」
それは、引き鉄が引かれる直前の事だった。
優先して護衛されるべき立場のトアが、陣形の最後尾から、一気に最前線に飛び出してきた。その手にある小さいノートは、まるで火の玉のような柔らかい光に包まれている。
「トア様っ!」
「その瞳に秘めたる赤を空に、そして大地に……」
ヒストさんの制止も聞かず、間髪入れずに早口でブツブツと呟き始める。直後、開かれたページが輝きを増した。
「召喚術……」
千佳が呟く。恐らくトアが持っていたノートもサモニカ同様、召喚図形の描かれたものなのだろう。召喚師にとっての護身用ナイフみたいなものか。
それにしても、一連の流れが非常にスムーズだ。これが召喚術の天才と言われるトアの実力なのだろうか。
光の中から飛び出したのはウサギだった。だが、これもまた通常のそれとは違う特徴を持っている。両耳と4本足が燃え盛っているのだ。長い耳と赤い目を確認しなければ、ウサギだと気付けるか怪しい。
部屋の中が一気に明るく、そして熱くなる。ウサギ本人は熱くないのだろうか。
これはこれで常識ではあり得ない状態なので、どうにも恐ろしい光景なのだが、術師がトアなのでむしろ頼もしい。
……だけど、両者ともに異質な生物や武器を従えている様はやはり普通では無い。改めて、ここは異世界なんだと痛感する。常識や価値観の違うこの世界に恐怖する感覚を、俺は忘れてはならない。このままこの世界の日常に染まったら、元の世界に戻った時、俺はきっと狂ってしまっている。
「この子はバービット。最高速度はチーターだって追い付けないわ。でもそれ以上に脅威的なのが……」
飛び出したウサギは地面に着地すると同時に、カッパの子に向かって跳躍。その勢いで縦に凄まじい回転を繰り返し、炎の輪っかとなった。
そしてそのまま、鉄カゴに突撃する。
「いっけぇ!!」
ガッ……ドン!!!
衝撃音の数拍後に、爆発。辺りは煙に包まれた。凄い、これがバービットの特技か。こんなの生身の人間ではひとたまりも無い。
煙から飛び出したバービットを確認すると同時に、トアは詠唱と共に送還した。
あまりの手際の良さに感服する。トア……召喚術どころか、戦闘も慣れ過ぎてやしないか。
次第に煙が晴れてシルエットの輪郭が浮かぶ。そして戦慄した。
相手は……変わらずにその場に居たのだ。数センチも動く事無く、その場に佇んで、平然としている。格子から突き出している右手に炎の塊が接触したのに、火が燃え移ったりもしていない。
「そ、そんな……」
ここで初めてトアが動揺を見せ、後ずさる。おいおい、やめてくれ、そんな絶望的な表情は。
いつだって自信満々で強気で、誰にも負けないくらいの元気があるトアじゃないか。
「くすくす……だから僕は、パラちゃんと一緒なんだ」
その時、絵里が力強く叫んだ。
「あ、あの竜は? 昨日の蒼い竜! トアちゃんなら図形も詠唱も覚えてるんでしょ!?」
蒼い竜……そうだ! あの時、赤銅の竜を圧倒して見せた蒼天の竜。確かにあの竜なら何とかなるかもしれない。
「ダメよ。あの規模の召喚にはそれなりの図形サイズが必要だし時間が掛かる。それに、例え召喚出来ても私に従ってくれるかどうか」
何かしらのルールがあるのか。そもそも俺達は、たまたま絵里と千佳の知識とその場にあった図形と古文書で、なんとなく召喚術を使えてしまった。だけど儀式や方法について、詳しくは何も分かっていないのだ。
召喚出来て言語が共有化されていても、使役出来ない場合があるみたいだ。そういえば昨日召喚した際も、蒼天の竜に対して主な目的や要件を伝えた訳では無かった。その存在だけで、赤銅の竜を追い払ったのだ。
「くすくすくす」
「……っ! 貴様、何者だ。名を名乗れ!」
グラウンさんが再度尋ねるが、相変わらず何も語らない。同じ構えのまま、不気味に佇んでいるだけだった。
向けられた銃口。
掲げられた、今はもう異形となった傘。
楽しそうに笑う声。
振り返るトア。
そして。
パァン!
ついに。
引き鉄が引かれた。
花火のような、乾いた大きな発砲音と同時に、トアが俺に飛び込んで来た。
痛烈な痛みと共に、俺は地面に突き飛ばされていて、瞬間。
鮮血が舞った。
「………………え」
何がどうなったか、分からなかった。
天地がひっくり返り、視界が定まらないまま、全てがぼんやりとしている。そして、雑音の一切が聞こえない。
世界が。
真っ白になった気がした。
やがてトアから鮮やかに噴き出るその真紅の液体が視界を埋めていって。
その色だけが、俺の世界になった。
トアが、身を預けるように俺に覆い被さって来る。
……あぁ、昨晩と同じ状況だ。トアはいつも大胆なんだ。
だけど、なぜだろう。この心臓の高鳴りは、昨晩のそれとは質が違うように思える。
気が動転して、汗が噴き出る。視界がぐるぐると回っている。
自らの血で赤く染まりながら目を閉じた彼女は、ただただ綺麗で可愛くて。
訳も分からず、俺は力強く彼女を抱き締めていたのだ。
力なく沈んでいくトアを、抱き締める事しか出来なかったのだ。




