part 9 槍
読んでいただき、ありがとうございます。
――――数時間前、愛宮燈音はとある某カフェで友達と会話を楽しんでいた。
五月に入ってまだ一週間もしていないのに外は既に夏模様だ。一二階の店内から見える景色は青い空で雲一つない。こんなにも清々しい日は久しぶりかも、と心地よい風を浴びながら愛宮は紅茶をたしなんでいる。
このような休日を過ごすのは珍しいわけではない。むしろ多いくらいだ。もしかしたら店員に「いつものをください」と言うと、本当にいつも飲んでいるものがだされるかもしれないほどに。
ゴールデンウィークなのだから、少しはどこかに遊びに行ってはっちゃけたいという気持ちもあるのだが、学術都市は学校やビル群など、ほぼ建物ばかりであまり開放的に遊べる場所がない印象だ。海に行きたいと思っても、周りを囲うようにコンクリートの壁があるので海水はこない。
今すぐに泳ぎたい! と思っても、それを実行できるのはプールかバーチャルのなかでの海を眺めることぐらいしかできない。
『外』にでる申請書を書いて、外出してから海へ行くという方法もあるがそんな面倒くさいことをしているなら市民プールにでも行ったらいいだけの話だ、という結論になる。
わいわいと友達含めて三人でガールズトークをしていると、ふと愛宮の肩をポンポンと、後ろから誰かがたたいた。後ろを振り返ると、そこには見知らぬ女性が立っていた。
「すみません、そこの辺りに百円が転がっていってしまったんですけど見失って……。すぐに終わらせますんですこし椅子をズラさせてもらえませんか?」
何かの拍子で落としてしまったのだろうと思い、愛宮は「いいですよ」と答えた。別に断る理由でもないし、むしろ断るほうがどうかと思う。
席を立ち、椅子を机から離した。そこに女性がしゃがみこんで落とした硬貨を探す。
「んー……、ああ、ありました! ありがとうございます」
机の脚に挟まっていたのか、机の中心のほうに手を伸ばし、それを取るなり女性は立って礼を言った。
「? ああ、別にいいですよ」
そのまま女性は会計を行いにいったのか、その場を立ち去っていた。
愛宮は椅子を丸形の机に均等な位置に戻し、席に座る。
そして、座ったまま話を続けていた友人に訊いてみた。
「ねえねえ、さっきの人どこの席に座っていたかわかる?」
「え? んーと、どこだっけ?」
「さあ?」
二人ともわかってはいないようだ。愛宮の死角からあの女性は来たので、もしかしたら知っているのではないだろうかという考えだったのだが。
「まあわからなくてもいっか」
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一ノ条海斗は地面のなかから溢れ出てくる『何か』が女性の手のなかに集まり、形が現れてくる。
その形は、まるで大きな『槍』のようだ。
「かいとっ! 早く逃げるよ!」
ぐいぐいと腕を引っ張り、逃げようとするオリジンは既にこの状況を理解しているらしい。だが一ノ条海斗は身体を動かすどころか、思考回路が全く追いついていない。
「かいとっ!!」
はっ、と我に返り、先程までとは別の方向に走り始めた。とにかく逃げないと、という恐怖が押し寄せる。
――これはヤバい。
まだ何もされてはいないのに、心のなかのどこかでそう思う自分がいる。
「誰なんだ今のは!?」
走り始めて一つ目の角を左に曲がるときに海斗が訊いた。
「わからない! でも、あの人は、多分私を追いかけてきた人だと思う! きっとそう!」
二人が曲がった道に槍のようなものを持った女性が追いかけてくる。恐らくオリジンが言ったことは確かなのだろう。見知らぬ人をここまでして追いかけるはずがない。
「てか、あの光ってる棒は何なんだぁ!?」
走りながら横目で追いかけてくる女性の持つ『槍』のようなものを見て海斗が叫んだ。別に誰かに答えを求めたわけではない。彼女の片手に持たれている長さ三メートルほどの光り輝く『槍』のようなものが、逃げる二人にどのような脅威があるのかが分からない。
能力者、ということは分かる。海斗がみる限り、恐らくA~Bランクであることには間違いない。
だが、一ノ条海斗の隣を走る少女が言葉を返す。
「あれは北欧神話の黄金の槍! グングニルだよ!」
「はぁ!?」
訳も分からない単語が急にオリジンの口から飛び出してきた。彼女の名前も知らないくせに、その片手にある危険物の名前は知っているらしい。
二人はビルの間を右往左往しながら逃げ惑う。なんだかこの風景つい最近もあったような…? と、海斗は短絡的な思考の中、考えていた。
「なんだそれ!? ぐんぐりるぅ!?」
「違うよ、知らないの!? 北欧神話の主神、オーディンが持っていたとされる槍で、狙った的は外さないという…」
「そんなのどうでもいいから!」
その時。
海斗の右頬の横を、閃光が音速の速さで突き抜けて行った。
「ひゃっ!」
オリジンの女の子らしい声が耳に響く。だが足は止めない。
頭上を光の槍が突っ込んでいったのだからそれ以上の反応をすると思っていたのだが、今はそんな悠長なことを考えていられる余裕はない。
(…やばい)
ほぼ紙一重といっても過言ではない。もう少し身体が右に傾いていたら海斗の頭は間違いなく消し飛んでいただろう。
突き抜けて行ったは刃先が目の前のビルにぐっさりと刺さり、コンクリートが地面に落とした板チョコレートのようにひび割れている。二人はそのビルの手前の小道に逃げ込んだ。
十数メートル進んだ後、そこで海斗は立ち止った。
「かいとっ!?」
「大丈夫だ! お前は先に逃げろ!」
「で、でも…!」
「いいから行け! お前が狙われているのに立ち止ったらダメだろうが!」
少女は少し考えた後、海斗を横目に心配しながら走っていった。
遅れて女性が路地裏に入ってくる。話せる範囲まで走ってきた後、女性は立ち止った。オリジンの姿はもう見えない。それに気づいたのか、海斗の目の前にいる女性が話しかけてきた。
「……『あの子』は?」
よく顔をみるとやはり海斗と同年代か、それ以上にみえた。長い黒髪はリボンかゴムバンドでポニーテール仕様に結われているが、それでも骨盤の上部ぐらいまではある。白色のワイシャツと、足のラインにぴったりとくっついたデニムの足元は少しだけ折り曲げられている。
「逃げたよ」
「そうですか」
即答だった。
「ところでそれはどういうことですか?」
身構える一ノ条海斗を見て、女が訊いてきた。質問をさせてもらえる暇も与えてくれない。その言葉が海斗の心をビクつかせ、一歩後ろに退かせる。
「…さあ? 自分でもなにやってんのかわかんねえよ」
その時、海斗の右頬が直線上に切れて血が出ていることに気付いた。針を刺すような痛みがするが、それは大した問題ではない。
「逃げる時間を稼ぐ、といういう算段なのですか」
「まあね。こちとら最強の能力使いの攻撃を何回も避けてきているもんで」
別に一ノ条海斗は殺したり打ち負かしたりするのではなく、ただ単に時間を稼いで隙をみて逃げればいいと考えていた。それに、先程の黄金の槍はまだ壁に刺さったままだ。女は槍を取りに行かずにそのまま角を曲がってきた。――あれさえなければ何とかなる、と思っていた海斗だったが…。
「だったら、少しは楽しませてほしいですね」
その女はにやりと微笑んでいた。
手に黄金の槍を持って。
「…へ」
拍子抜けた声が海斗の口から漏れ出た。
「あら? 魔術を見るのは初めてかしら? この街には異能というものを学生は操ると聞いたのですが…」
「ま、じゅつ?」
「ああ、申し遅れました。私の名前は九条神奈と申します」
海斗よりも高い位置にある頭を軽く下げながら彼女は言った。