part 5 来訪者
読んでいただき、ありがとうございます。
「――っい、生き返ったぁ~」
ミラノ風ドリア(大盛り)を米粒ひとつ残すことなく食い尽くした一ノ条海斗が、椅子の背もたれにゆっくりともたれかかりながら気の抜けた声を発した。
「…もう少し料理を味わうことをできないのかしらあんたには」
目の前で愛宮燈音がため息をついて言った。愛宮の注文した『たらこパスタ』はまだお皿に残っている。
「そんなこと言われても、マジで腹減ってたんだから仕方ないだろ」
「はいはい。それで? もう食べないの?」
「いやいいよ。人の金でそんなに食べれるかよ」
本当はもう少し食べたいところなのだが、と心の中では思う海斗だが、お金を払ってもらう身で遠慮なしにレシートを増やすわけにはいかない。
「男の子ってもう少し食べるものだと思ってた」
「これでも遠慮してるんだよ」
「別にいいのに。お金ならまだ余裕あるし、カードだし」
「か、カードだと!?」
海斗が急に叫んだので少し驚いたのか、愛宮の身体が少し痙攣した。
「な、なによ」
この人口の半分以上が学生だ。だが人間、生きるためには服や食べ物、住まいが必要になる。そしてその生活資源を確保するためにはお金が必要になってくる。アルバイトをするという方法もあるが、このにいるおおよその学生は親が銀行に振り込んでくれるお金で生活しているものだ。
一ノ条海斗もそのおおよその人間だ。現金支払いがいつもの習慣である海斗にとってはクレジットカードという魔法のアイテムのようなものを持ってはいない。
「カードってどれだけ買ってもシュッってするだけで払えるんだろ!? いいな~、いつもお金に困っている俺とは全然違うんだな~、ってじゃあ毎月何円ぐらい使ってるの?」
「うーん、そうね。あたしそこまでお金使ってないからそこまで気にしてないわ」
「へー」
一度はそんなことを言ってみたいものだ、と海斗はまたもや背もたれにもたれかかりながら、ドリンクバーで自ら注いできた飲み物を飲み干す。
「あ、なくなった」
「入れてきたら?」
どれだけ飲んでも二〇〇円さえ支払えばいいこのサービスで多少の満腹感は得られるだろうと思った海斗は「じゃあ、お前のも入れてきてやるよ」と言って自分のコップを片手に愛宮のコップを手に取る。
「何がいい?」
「じゃあコーラで」
海斗はテーブルを離れ、機械が何台か並ぶカウンターに足を進める。そこそこ大きいこのファミレスには結構な飲み物の種類がある。ホットコーヒーからメロンソーダ、コーラやミックスジュース、なかにはココアやコーンポタージュまである。
一応ビールも飲めるように機械で冷やされているが、まずセルフサービスでもコップに注いでいる人を見たことがない。むしろ、注いでいる人がいると、この学生のなかでは逆に目立つ。未成年が飲酒するなんてもってのほかだ。すぐさま店員に奥の部屋に連れ込まれるだろう。
「えーと? コーラはどこだ……これか」
海斗は機械の前にコップを置く。氷が両方のコップの底に残っており、片方のコップには赤いストローが差し込まれている。手の中が結露した水で濡れているのが手を離したときに分かった。
慣れた手つきで海斗はコップを定位置に設置し、ボタンを押す。勢いよく出てきた黒い飲み物がコップのなかで水滴を弾き飛ばしながら注がれていく。
ふと海斗は周りに人がいないか確認した。誰かが順番待ちをしていないかを確認するために。このまま続けて自分の飲み物を入れると人を待たせてしまうため、後から入れようと思ったのだがその必要はなかった。
周りに誰もいないと確認した海斗は、黒い液体がたっぷりと入ったコップを定位置から外し、二つ目のコップを同じ位置に置く。飲むものはどれでもよかった海斗は適当に目にとどまったボタンを押し、飲み物を注いだ。
その時だった。
「ねえ」
どこからともなく声が聞こえた。だがその音の発信源は海斗の身にとても近い。さっき確認したはずだが、ともう一度ボタンを押したまま辺りを見渡す。
するとまた、同じ声の持ち主に声をかけられた。
その声は一ノ条海斗の下方から聞こえた。
「その黄色い液体が出ている機械はなに?」
炭酸飲料水が出ている機械を指さして少女は疑問を問いかけてきた。
だが、少女の姿を見て海斗は驚愕した。
ちんまりとした身長に腰ほどまである髪。ヘアバンドなどで縛られていない髪の毛はとても幻想的な明るみを帯びた金色で、湿っている感じがする。瞳は翡翠をはめ込まれたかのような、鮮やかな色だ。
それよりも。
「…………」
「なに?」
ぼーっと、自分を見られているのに気付いたのか、突然現れた少女はさらに問いかける。
無論、海斗が今もなおボタンを押し続けているこの機械がどういうものなのかが分からないわけではない。問題は別にある。
「…な」
「?」
「なんで君はそんな格好をしているのかなぁ~…?」
白い布を身体に巻くその少女は生足をだしたままでその場に立っている。『白い布』といったが、詳しく言うと研究員が着用するような白衣のようだ。大きな白衣の裾は地面に擦れて汚れている。袖も、腕を上方に曲げていなければ完璧に覆ってしまうぐらいの大きさだ。
「これは…拾った」
「なんで?」
既に一ノ条海斗の思考回路は狂い始めている。
「なんでって…裸を見られたくないから?」
「いやいやいやいや!!」
自然とボタンから手が離れ、狙っていたかのように注ぎ続けられていた炭酸飲料水がコップの淵すれすれで止められた。
「いくらなんでもその恰好はおかしいでしょ! それに、ちゃんとした服ぐらい家にあるだろ! そんな…」
「家なんて、ない」
「…は?」
その言葉は一ノ条海斗の常識を完璧に打ち破られた。
もし街中で目の前にいる少女が見つけられていたら、まず捨て子や『学術都市』のなかに迷い込んだ子供と認識されるだろう。だが、それはこの『学術都市』ではありえないことだ。
この街は高さ五〇メートル以上もある分厚い壁によって外部からの侵入は一部のゲートを除いて遮断されている。ゲートといっても開放的な公園の入り口とは全く異なる。警備員が常時滞在しており、監視カメラで二十四時間録画されているとも聞く。正規の手続きを踏まない限りは中へ入ることも、外へ出ることもできない。無理矢理にゲートを通過しようとする者は問答無用で取り押さえられる。
『学術都市』に滞在して少し経つが、このような子供を見たのは初めてだった。
家がないと言っていたが、そんな貧相な身なりをしている理由が関係しているのだろうか。海斗は腰を下ろし、少女の身長よりも頭を低くする。易しい声で海斗は話し始めた。
「もしかして自分の寮の場所が分からなくなったとかかな? それなら探すの手伝ってあげるよ。えーとだな、まずは学校の名前教えて――」
「逃げてきたの」
一ノ条海斗が話し続けるのを遮るように少女は言葉を発した。言葉の意味を少し時間をかけて理解した海斗のなかに、更なる疑問が増えていく。
「……? それは家から、ってことかな?」
「ちがう」
きっぱりと、明白な瞳で少女は海斗の目をじっと見て答えた。
そして。
「わたし…、は…………」
ふらふらと、少女の身体が揺らいだ直後、膝を床に落として地面に座り込んだ。
「お、おい? どうしたんだ?」
突然倒れたので焦ったのか、海斗はぐらりと倒れそうになる少女の肩をつかむ。海斗は、熱でもあるのだろうか、と考え、その場で叫んで店員を呼ぼうとした途端――、
「お…………………おなかへっ………た……………………………」
目の前の少女から、理解し難い言葉が途切れながら聞こえた。この状況で、空腹を訴えられるとは思いもしなかったからだ。
とある謎の少女との遭遇。
そして今日、五月二日。
この日を境に一ノ条海斗の日常が、変わる。