part 19 無色
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結局、動いてはいいと言われたものの、一日だけでもいいので安静にしようと考えた海斗はその日一度もベッドから動くことはなかった。
翌日、受付に退院すると告げに行くと、昨日海斗の様態を見に来た老人の医師が受付で大人な雰囲気の看護婦と会話しているのが見えた。
「すみません、もう大丈夫です」と言うと、「あー、オーケーオーケー。後はこっちでやっとくから、忘れ物ないように帰りなさい」と老人に言われた。本当に病院という施設の体制がこんなものでよいのかという疑問が残るが、こういうものなのだろう、と自分なりに納得した。忘れ物といっても、着ていた制服以外は私物はないので、何も持って帰るものはなかった。
制服は新しいものが新調されていたことには驚いた。気になってまた受付に戻って訊いてみると、穴が開いていたり、赤色に染みがついていたりしていた制服はとっくに捨てられたらしい。
新しくなった制服の費用は授業料に含まれているので、海斗が支払うことはなく、老人は「何度新しいのをもらってもお金はかからない」と言っていた。新しいのがほしくなったら来いとでも言いたいのだろうか。
昼頃には自分の部屋にたどり着いていた。誰が来ているわけでもなく、特に何かをすることもなかったが、なぜか帰ってきてしまった。
「しかし、こう見ると何もないな…」
独り言が口から漏れていた。
一人暮らしになると、海斗一人が生活するだけのものしかないので、ワンルームマンションでも広く感じる。海斗は冷蔵庫から飲み物を取り出し、コップに注ぐ。冷蔵庫にもたくさん食材が詰まっているわけではない。基本的に冷蔵庫には溜めておいたりはせず、一日で無くなるぐらいの量を買っているからだ。
海斗は台所に立ったまま、その場でコップの中を空にする。
「……さて、行くか」
目指すはオリジンのいる場所。
新調された制服を着替えるのも面倒なので、そのまま海斗は部屋を出た。鍵を閉め、ポケットに入れていた名刺の住所を確認する。
(そこまで遠くはないな)
となると歩きでも行けるだろう、そう思った海斗はまたポケットに名刺を直し、エスカレーターに向かおうと数歩進んだ。
その時。
「あれ? どこかにお出かけ?」
目の前の扉からにゅっと顔が出した。一瞬焦った海斗だったが、相手が誰なのかを確認すると、怪訝な表情になっていた。
「ああ、そうだけど」
「もしかして燈音とデート?」
「なんでそうなるんだよ!」
文月柚木。クラスメートであり、愛宮燈音の友人だ。
海斗の部屋から一つ部屋をはさんだところに住んでいる。同じ学校であったり、階が同じということもあってか、なんだかんだで仲良くしている隣人のような存在だ。
「へー、違うんだ。絶対にデートだと思ったんだけど」
「お前は俺がそんなにあいつと仲がいいと思うのか…?」
海斗の勝手な妄想ではあるが、隣人ってちょっと世間話したり、作りすぎたおかずを分けたりとかして、生活の手助けをするような仲なんじゃないの? と考えている。だが、この人相手に世間話、というものをしたことはない。大体は愛宮燈音と海斗の話だ。
「そういえば、あんた。昨日まで入院してたんだって?」
文月の言葉に海斗はぎょっとした。家に帰って来るまではクラスメートとは一切会っていない。誰にも話していないのになぜ知っているのだ、という質問をする前にその答えは分かった。
「愛宮が言ったのか?」
「そうよ。なんでも、結構危なかったそうじゃない」
にやにやとしながら文月が話す。どこまで知っているのかは知らないが、とりあえず文月と話していても、これまでの経験上まともな話はほぼでてこないはずだ。
「まあそうだな。でもここの病院ってすぐに何でも治せるらしいし、そんな大げさな感じじゃなかったぞ?」
「そうなんだ」と興味がなさそうに文月は答えた。「じゃあな」もう話すことはないのだろうと思い、海斗は文月の横を通ろうとする。すると、身体の半分を出して話していた文月が、通行しようとする海斗の前に遮るように立つ。
「……」
海斗は狭い廊下で、前に立つ文月の左横を通ろうとする。だがそちら側に身体を傾けると、文月も鏡合わせのようにぴったりと動きを合わせてくる。
「……」
何度も、何度も。偶然ではなく、あえて通行できないように合わせてきているのだ。周りから見ると奇妙な光景だろう。何度も同じように正面の人に引っかかって進めないのだから。道端で時々ある道の譲り合いというものがない。無言で、その動作を続ける。
「……おい」
口を開いたのは海斗だった。
「お前は一体何がしたいんだ…?」
あえて合わせるように動いてくるのは恐らくだが理由があるのだろう。まだ何か言いたいことでもあるのだろうか、それとも何か用事があるのだろうか……、色々と考える海斗だったが、文月はそうは思っていなかったようだ。
「ん? 燈音とのデートの前にちょっと…」
「だから違うってんじゃん!!」
―――――――――――――――――――
ようやく文月の妨害を振り切り、そそくさと家を出た海斗は走ることもなく、あの少女がいるとされる場所に向かっていた。
オリジン。
見た目は外国の子供、という印象があるが詳しいことはわからない。その名前もニックネームなのか本名なのかもわからない。とにかく、知らないことだらけなのだ。あの路地裏で別れたきり会っていない。
身体は動かしても、特に痛みを感じたりはしない。ほんの数日であれだけの傷を癒す方法があるとは思いもしなかった。恐らくだが、名も知らない最先端技術で治療されていなかったら全治二ヶ月と言っても過言ではないだろう。ここまで人に助けられたのは覚えがない。
「……ここか?」
その場所は人目に付く場所に建てられてあるが、病院という雰囲気は感じ取れない。周りのビル群に溶け込んでいるようだ。海斗は手で太陽に光を遮って、頭を上に向けて頂上を見る。十階建てぐらいだろうか。外装としては無機質な灰色のコンクリートとガラスで覆われている。
海斗は正面の自動ドアから建物内に入った。目の前には受付がある。だが。
(……?)
受付に人影がない。普通なら、二人ぐらい女性の人がいるものだ。
迎え入れられていない感じが心に残る海斗だが、足は受付へ動く。足音が広い空間に響く。
周りを見渡しても誰一人として人がいない。いや、人の気配すらないのだ。本当にここは子供の病院と言ってもいいのだろうか、と思えるぐらいの静けさだ。
照明は天井に規則的な位置に取り付けられており、辺り一面は真っ白で覆いつくされている。他の色となったら、受付の机の奥に見える緑色の作り物の植物と、受付のそのまた奥の両端に見える銀色の扉ぐらいだ。恐らくだが、銀色の扉はエレベーターだろう。
海斗は机に触れることができる距離まで近づき、足を止めた。
(……どうしたらいいんだ? 勝手に奥のエレベーター使って上に行ってもいいのか?)
机の上にも、その奥の受付係員が使う机の上にも呼び出す用のボタンらしきものもない。押したところで誰かが駆け付けてくれるのかも不確かなことだが。
「……まあいっか。行ってみればわかることだし」
海斗は受付の右側を歩き、エレベーターへ向かう。その時、海斗は受付の机を左手の指でなぞった。
(…………)
海斗は机をなぞった指先を見つめる。何も指についていない。水分や、小さな埃も。
となると、ここには確かに人がいる。人が訪れていなかったら、埃の一つは指についたはずだ。それがないとすれば、定期的に人が訪ねているか、または今もここにいるということだ。
海斗は銀色の扉の前で立ち止まり、どこにスイッチがあるのかと首を回す。すると、エレベーターの扉の右側に透明の三角形が二つ上下に並んでいるのを見つけた。海斗は上側に取り付けられている三角形を押す。
すると銀色の重い扉がゆっくりと開いた。海斗はエスカレーターに乗り込む。扉の反対側はガラス張りだが、コンクリートだけしか見えない。海斗は振り返ると、出入口の横隅にある、階層に向かうボタンを見つけた。そこには四つの丸いボタンが縦に並んでおり、一番下のボタンの淵が白く光っている。これが今の海斗がいる階層のことなのだろう。
海斗は光るボタンの一つ上を押した。扉は開いた時と同じぐらいの速度で閉まる。ボタンを押してからすぐに出ようと思えば、出れるくらいの速度だ。
エレベーターが上に動きだすと、背中を向けていたガラスのほうから光が差し込んできた。振り返ると街のビル群が見える。海斗は一歩前に出てその景色を眺めていた。
段々と上昇していくエレベーターによって、見えてくる高さが変わり、少し遠くのほうまで見ることができた。もし海斗が小さな子供なら、この景色を見てはしゃいでいるだろう。ほぼビルしか見えないが、身体が少しずつ上がっていきながら段々と街の景色が見えてくるのは、小さな子供だったら気持ちが昂るに違いない。
だがほんの数秒すると上昇する景色はぴたりと止まり、後ろで扉が開いた。海斗は振り返り、エレベーターを出る。すると、優しい声が耳につく。
「おや、来客ですか。珍しいですね」
まだまだ海斗の力を盛大に使えていない感じがありますね。ですが、もう少し話が経過しないと力は使われないよう…。それに、いろいろと設定が曖昧な感じも出てきて、途中で改変してしまうかも…。こういうことはしっかりと決めていないと、後々困るということを身をもってわかりました。
次にはアナリアがでるかも?