マタタビブースト
鹿島大学には秋休みがある。
教員養成系の大学では教育実習に行く学生が多いために、授業に出る学生が減ることを考えて秋休みが設けられているところもあるが、鹿島大学のような総合大学で秋休みがあるところは珍しい。
教育実習の無い1、2年生にとっては、文字通り完全な休みであり、国内や海外、あるいは異世界へ旅行するのにもってこいである。
翌日から秋休みと言う金曜日に相吾のいる研究室へ行くと、奴は三角ホーと共に、増設ポケットの新バージョンを用意していやがった。
「で、この白いツナギは何の冗談だ」
オーバーオールの尻尾ポケットと同じノリで、ツナギのサイドポケットから長さ1mほどの増設ポケットが伸びているのはいいのだが……。
両サイドから内側に伸ばしインサイドシームから股の内側に出ているから、物を入れたら完全に信楽焼のタヌキだな。
おまけに白いツナギって、おい。
「雄相手に反応を見る心構えと覚悟ができて良いだろう?」
「ポケットの物が大量に入れられてそれなりに便利なのに、大学構内で使えんじゃないか」
「着るのは問題ないんだな」
「ここは機能優先で考えておいてやろう」
向こうでファッションショーをやろうって訳じゃないしな。
「じゃあ、雌雄別にマタタビの影響をしっかり調べてきてくれ」
「まあそれは構わんが」
「あと、岩亀だったか、ああいう奴の骨とか皮とか本体とか可能であれば持って来てくれ」
「そんなものを要求する以上、危険があった時の安全装置に相当する機能はあるんだろうな」
食糧だけでなく武器と衣服まで用意してもらっておいてなんだが、危険動物のパーツを要求され、安全面で少々不安があるので確認しておく。
「デジカメ用のポケットとメモリカード入れも実装しといたからな」
「安全面の説明をしろよ」
そりゃあ長期休みで一々戻って来る必要がないから滞在調査しやすいのは確かだが、向こうに居っぱなしの間にもし何かあった場合、救助に来てもらえる保証はないのだ。
自己責任の旅に謎機能付きの装備と危険度未知数のアイテムとか、ゲームだったら絶対にスタートしないよな。
「そこまで言うなら、このアラミド繊維の釣り糸を貸してやろう。50mもあればいいな。
しなやかさや耐熱性を考えればポリイミド繊維の方が良いのかも知れんが、まあこちらで我慢しとけ」
「アラミド? ポリーミド? なんだそれは」
「お前は本当にマテリアル工学か? 防弾チョッキの原料だ」
そう言ってなにか茶色っぽい釣り糸を渡され、結び方や切り方、こすれた時の注意点についてレクチャーされた。試しに引っ張ってみると、確かにとんでもない強度がある。
夜は装備の点検と三角ホー砥ぎである。砥いでいる最中、釣り糸50mくらいでは安全が確保できないのではないかと気づいてしまったが、精神衛生上良くないので気にしないことにした。我ながら押しに弱い。
翌土曜日、一応2週間分の食糧としっかり砥いだ三角ホー、備蓄を減らしてしまった分の魚肉ソーセージとキャットフードとりささみを持ち、朝早くからトンネルを潜った。
バックポケットにはマタタビと釣り糸が入っている。マタタビは前回サクラが敏感に反応してしまったので、チャック付きポリ袋を2枚重ねにして厳重に仕舞ってある。
もはや慣れっこになってしまった洞窟を進む。
「明るくなーれ、ライト」
魔法も好調、周囲を照らしつつ問題なく進む。
大鼠が7、8匹も集まっているところがあったので、何事かと覗き込んでみると巨大なヤスデのような節足動物がうようよしており、それを鼠が齧っていた。こいつらこの洞窟でなにを食べて生きているのかと思っていたが、どうやら小型の動物を食べていたらしい。
洞窟には植物っぽいものはないから、この連中は鼠に見えるが肉食獣のようだ。大鼠をかっ捌くとすると、腹の中にはヤスデが詰まっているわけだな。
ま、鼠を捌くつもりも食うつもりもないからいいけども。
とっ捕まえるのは簡単だが運ぶのが大変なのがわかっているため、土産にはとりささみとツナ缶があればいいだろうとシカトを決め込む。
「あ、お兄ちゃんが来たニャー」
洞窟を出ると、これから洞窟に入ろうとしていたらしいハナ達に出くわした。トラとハナは三角ホーを持っており、トラは先端を本来の向きに固定している。クロは……ほとんど1匹丸ごとのワニモドキを背負わされている。
おっと、そう言えばクロに背負子を持って来てやるのを忘れた。
「ワニモドキを丸ごと持たされてるとか、今日は何をやったんだ」
「ワニモドキに気付いて逃げるとき、ミケの尻尾踏んだニャ」
「尖った石の上にあるところを踏まれたから、すごく痛かったの」
「この石を踏むしかないってタイミングでミケが尻尾をだしたんだよぅ」
普段のクロはそう言うヘマをする奴ではないらしい。かなりギリギリのタイミングだったに違いない。
ホーは2本あるのでサクラとミケに渡しておく。俺はホーを振り廻すとか慣れていないから、この2人に渡しておいた方が役に立つだろう。何も持たないのは不安なのでハナの剣を借りておく、壊したらごめんよ。
洞窟の鼠の集団の話をしたが、俺の増設ポケットの中身がかなりの量なのに気付いたようで、荷物が多くなるとクロが大変なので鼠狩りは明日以降に延期し、すぐクチンに戻ることになった。
クチンに到着後、もはや恒例となった食糧の引き渡しをする。
魚肉ソーセージは備蓄用に重宝されており、とりささみは味が良いと喜ばれているようだ。全員に行きわたるように配った後、自分用に持って来たツナ缶を出し、台所が破損して調理できない名目でハナに渡してやる。決して下心があるわけでも、この前のマタタビ反応調査の報酬というわけでもない。
珍しく午前早くにクチンに到着したため、せっかくだからクチン周辺の様子を見ることにして情報を集める。
洞窟とクチンの間は只の荒野だが、クチン周辺はどちらに行ってもほとんど状況は変わらないらしい。
太陽の動きが日本と同じと考えて東の方角に10日ほど行くとダルエという猫獣人の都市があるらしいが、もう何年も交流はなく、一番新しくそこからクチンに来たのがモモの両親らしい。モモはクチンで生まれており、もう20歳を超えているからかなりの年月である。
西の方角に3日ほど行くと人族の領地になるがこちらも交流はなく、危険なのであまり近づくことはないようだ。
猫獣人は自立できるようになると生まれた場所を出て別の場所に向けて旅に出る習慣があり、この旅人をノーラと呼ぶ。クチン自体、ダルエから旅立ったノーラの集団が人族の領地手前で進むのを止め、それなりに水や食料を得やすい場所に住居を定めた例外的な場所なのだ。要するに、クチンは一種の陸の孤島なのである。
周辺の様子を見るべく危険察知のためにクロと、何かあった時のためにミケについてきてもらい、周辺の様子を調査する。
猫獣人たちの主食は大鼠、最初に出会った時ハナは木の実を食べるようなことを言っていたが、川の近くに生えているナッツに相当する木の実のようだ。「果物」と呼べるようなものは食べないらしく、クチンの近くでブドウのように粉を吹いた感じの黒っぽい実を見つけたので食べられるか聞いたところ、
「食べないの」
の一言だった。
味だけでも見るつもりで採ろうかと思ったが、近くをヒヨドリくらいの小鳥が飛んでいたので止め、撮影するだけにしておいた。小鳥が食わない熟した感じの実なんて、恐ろしくて口にできない。
猫獣人は外に出ている間は食事をしないらしいが、1日3食に慣らされた俺は腹が減ったので魚肉ソーセージを2本ほど齧り、一緒に動いてくれた2人にも半分ずつやった。2人とも持って帰ろうとしたが、皮を剥がしたら保存できないと言うとあむあむと食っていた。
皮を剥いだら保存できないことを知らずに使いかけを腐らせても困るので、食べ始めたら使い切るように注意し、他の住人にも伝えるように言っておいた。
クチンと川の間では、ワニモドキや岩亀は見なかった。クロによればいないわけではないらしく、出会わなかったのは偶々らしい。また、今まで見たことはないイノシシのような奴もいるらしいのだが、これは夜行性で昼間にはまず遭遇しないと云う事である。
「今日もうちで泊まっていくニャ」
夕方にクチンに戻ると、歩きながら楽しそうにハナがまとわりついてくる。
「……ハナんちはまだ台所が修理中でご飯つくれないじゃない」
サクラがそんなツッコミを入れる。
「ニャ……」
ハナが項垂れ、猫耳がペタンと伏せられた。おお、これはかわいい。そういえば、前回は爆発事件のため魚肉ソーセージだけの朝食で講義に出ることになったのだった。
「……だから、うちに泊まろうよ、お兄ちゃん」
「うちも泊まれるの」
サクラとミケが続けて泊まれと言ってきた。ミケの隠れ具合にも興味はあるが、
「サクラ、ベッドは大丈夫なのか」
「うん、サクラがお兄ちゃんと一緒に寝ればいいんだよ」
サクラとチャトラが一緒に寝ると言う選択肢はないのか。
「うちの方がベッドが広いの」
ミケがそんなことを言ってくる。
「今回はすぐに帰らなくてもいいから可能ならみんなの家に泊めてくれ。トラとクロも良いか」
やや不本意ながらトラとクロの反応も見ることになると思ったので確認しておく。ミケはゆっくり確かめさせてもらおう。
「うん、ま……兄ちゃん、もちろんいいよ」
クロ、今魔王様と言いかけたな。
「魔王様が今回は長期滞在されるのなら、うちも泊まってもらって問題ない」
トラ、お前はO・HA・NA・SHIが必要だな。
今日はチャトラの様子を見ることにしてサクラの家に行く。
チャトラは起きて歩き回れるようになっている。
チャトラの様子を見ると血色も良く、シーツと頭を見た感じではノミもいなくていい調子だ。
ただ、体には何ヶ所かノミに喰われた跡があったので、サクラの家からノミが根絶できているわけではないようだ。
自分用のツナ缶と食卓塩を渡し、サクラに料理してもらう。
暫く待っていると、炒めたツナ入りのオムレツ風が出来上がった。卵は鳥の卵ではないということだが、気にしたら負けだ。スプーンで一口掬い、口に入れる。
「!! しょ、しょっぱいっ」
「……そ、そうかニャ」
一体どれくらい食塩を入れたのかと思い、食卓塩のビンを見ると半分ほど減っている。ハナはほとんど使わなかったはずだから、これはほぼサクラが使って減った分だ。まだ他に料理をしていないから、この量をツナオムレツに入れたのだ。
ハナの味付けがずっと薄かったので猫獣人は薄味が好みかと思っていたが、村の全員が薄味というわけではなく、ハナが薄味なだけかもしれない。
どうも猫獣人は塩味に対して無頓着なようだ。
食後、マタタビの枝を取り出してサクラに渡してみた。
「お兄ちゃん……」
さすが、ポケットのマタタビに反応したサクラである。しばらく匂いを嗅いでいたかと思うと、イスに座っている俺の膝の上に跨ってしがみついてきた。ゴロゴロしていたハナと異なり、行動が直接的である。
「やるニャ」
何をだと言う間もなく、ベッドに引っ張って行かれた。
「お兄ちゃんも脱ぐニャ」
ベッドに乗ったサクラはさっさと服を脱ぐと、俺の服も脱がしにかかった。
「……ウニャアアン」
実に積極的である。
そのようにマタタビの影響を確認していたところ、突然、
「お兄ちゃんとお姉ちゃん、何してるの」
「!!」
チャトラが入口に立っていた。
「う、いやあ、えーっと、寝る前の体操かな」
お前は夜の営みを子どもに見つかった両親か。
「ふーん、お姉ちゃんが上に乗ってもお兄ちゃん苦しくないの?」
「だ、大丈夫に決まってるニャ」
そう言ったサクラは無謀にもマタタビの枝を持つと、入口まで歩いて行ってチャトラに咥えさせた。
「これあげるからおとなしく寝るニャ」
ところがチャトラは、
「これなに?」
と平然としており、何も反応しない。マタタビは一種の媚薬らしいから、さすがに子どもには効かないか。
マタタビの効果と言うより、おとなしく姉の言うことを聞いてチャトラが寝たのを確認したサクラは、その後も
「……ウニャアアン」
を何回か繰り返したのだった。
翌朝、念のため家の外でサクラに魔法を使ってもらった。
広場の大木が1本へし折れた。
アラミド繊維は通常ケブ○ー繊維と呼ばれていますが、ケ○ラー繊維は商標らしいのでアラミド繊維と表現してあります。しかし、わざわざアラミド繊維なんて言う奴はいないと思います。