特定小電力通信機
次の日、再度の調査隊の来襲に備えたトンネルの整備と罠の再設置を終えた俺は、念のためハナとクロを連れて警戒しながら洞窟に向かった。
「いないみたいニャ」
「気配はしないよ」
「そうか、大丈夫なようだな」
クロが危険がないというのなら、人族もいないだろうし罠なんかも設置されていないと考えてよい。言っては悪いが何もないところで転ぶことができるハナが安全だと言っても信用できない。逆に、ハナが危険だと判断すれば一目散に逃げた方が良い危険レベルである。
「それじゃあ、ちょっと行ってくる。大丈夫だと思うが、明日戻ってきたときにここに人族がいるようならそのまま暫く姿を隠すから、戻らなくても心配しなくて良い」
「判ったニャ、お兄ちゃん気をつけるニャ」
「うん、お土産待ってるから」
言っていることだけを聞くと随分違うが、考えていることはほとんど同じだろう。お土産という言葉を聞いたハナはだらしなく口を開けて眼の焦点が合っていないように見える。もう既に明日の缶詰やマタタビのことに思考が飛んでしまっているのだろう。
大学に戻った俺は相吾への報告もそこそこに、電気店街に出かけた。相吾は人族の行動を詳しく聞きたそうだったが、秋休みが終わったらいくらでも報告の時間はとれるのだ。
学問の神様として有名な神社の最寄り駅で地下鉄を降り、電気店街に向かう。
何をしにこんな所までやってきたのかというと、トランシーバーを調達するつもりなのだ。
今までハナたちに対して、マタタビや魚肉ソーセージ、猫缶などの食べ物を持って行くことでコミュニケーションを取ってきた。その結果、彼らは俺の持ち込む食物にかなり依存するようになってきている。
しかし、彼らは俺が行かなくなってからも生活していかなければならないのだ。そのとき、極端な話かもしれないが俺が持って行く食べ物の分を日常的にあるものとして生活を組み立てていたとしたら、却って困らせることになってしまう。それなら、何か生活に役立つ物を持って行ってやろうと思ったのだ。
だが、彼らは基本的に狩猟生活であり、俺が向こうの生物に詳しくない以上、どんな物を持って行くと狩猟生活の助けになるかは判らない。
そこで、通信手段があれば良いのではないかと思い立ち、奨学金が入金されているはずだったのでトランシーバーを買いに来たわけだ。なにしろ、人族連中も有効な通信手段は持っていないようだったから、有ればかなり優位に立つことができるはずである。
ただ、それだけに持ち込んだトランシーバーをサルに渡すわけにはいかない。今までの行動から考えて空間的通信手段を持っていないものの、ある意味トランシーバーがどのような物か理解するだけの頭脳があるのは確実なのだ。いくら2つセットでボタンを押しながら話さないとどのように使うかわからないはずだと言っても、分解して中身が理解できる奴がいないとは限らない。
「すみません、なるべく長距離で会話できるトランシーバーが欲しいんですが」
中央通りと鉄道が交差する所にあるビルに犇めく店の一つで、店員に声をかける。店員は中年より老年に近い眼鏡をかけたおっさんである。
「なんだ、サバゲーにでも使うの?」
「あぁ、はい。そんな感じです」
「じゃあこんな所かな、一応防水だし、条件が良いと200mくらいは飛ぶから」
「あの、条件というのは」
「うん? 見通しとか天気ね。距離が足りなかったら、中継器使うと倍くらいにはなるよ」
おっさんが出してくれたトランシーバーを見ると、2つで約1万7千円である。
「あの、もう少し安いのはありませんか」
「あるけどもねぇ、そうなるとあんまり飛ばないよ。
こっちはセットで3000円だけど、100mも飛ばないから。
トランシーバーは高くて性能が良いか、安くてそこそこの性能かしかないから。安くって性能が良いなんてのはないよ。
だから、あとはどこで折り合いをつけるかだね」
「kmっていうのは無理ですか」
「無理無理、そうなると特小じゃなくて無線機だね。サバゲー用に免許申請する人もいるみたいだけど」
「はぁ」
それから何軒か店を回ってみたが、「安くて良いものはない」「どんなに条件が良くても300m」「距離は出力より受信性能で決まる」と、どこの店でも言われることは一緒だった。
結局最初の店が一番安かったので、2つ1万7千円を出して生活防水機能の付いたトランシーバーを購入した。値切らなかったからか、おまけとしてアルカリ単3電池を2台分付けてくれた。
その後、駅に戻る途中にある業務用の肉を扱っている店で業務用の魚肉ソーセージと巨大なランチョンミート缶詰を仕入れた。豚肉のブロックなんかもかなり安く売っているのだが、保存、運搬する手段がない。大量に買い込んで洞窟に出た時にサルがいたら戻るしかないわけだが、それを食いきる自信も友人も持っていない。
「おーい、相吾」
大学に戻って相吾を訪ねた。
「また随分大量にソーセージを買い込んだな」
「うん、しばらく行けないからな」
「ほう。で、そっちの箱は何だ」
「ああ、これはトランシーバーなんだが……。相吾、これ改造できないか?」
「どんな改造をしろと?」
「いや、出力をあげたり、アンテナの性能を良くしたり」
「お前な。特小なんて、出力を上げても受信性能がそのままなら距離は延びないぞ。かといって、アンテナの交換は違法だ。知ってるか、トランシーバーのアンテナを付け替えると前科が付くんだぞ」
「ほわっ?
いや、使うのは異世界なんだが」
「そうは言ってもな、やり方を説明したら向こうに行って自分でできるのか?
俺がやらされるとしたらこっちでの話だから、立派に違法改造だよな?」
言われてみれば、確かに改造して貰ってそれを持って行くわけに行かないようだ。こちら(の世界)で、改造した瞬間に違法になるらしい。
「それにな、もし何らかの方法で法をくぐり抜けて改造できたとしても、出力を上げたら電池の持ちが悪くなるだけだと思うぞ。予備は買ったのか」
そう言えば、おまけを付けて貰ったので交換用の電池を買うのを忘れていた。
「ちょっと生協行ってくる」
生協で酒と電池、それとマーカーを買って戻ったら、なぜかトランシーバーが箱から出ていて、相吾に
「いいか、絶っっ対に日本で使うなよ。」
と念を押されてしまった。別に使うつもりはないが、うん、相吾くんありがとう。調子に乗って自爆装置を付けられないかと聞いたら首を絞められた。
相吾には撮影済みのメモリーカードを渡し、新しいのを受け取ってデジカメにセットした。しばらくあっちに行けないので、ソーセージとともにデジカメを預けておくつもりだ。あと、トランシーバーは2つしか買っていないが、よく考えたらもう1つある方が便利であることに気がついた。
次に行くとき時間を決めておけば、洞窟に出たときトランシーバーで連絡が付いたらハナたちが洞窟にいる、つまり人族がいない証拠になる。しかし、そのためには片方を俺が持っていなくてはならないわけで、片方を俺が盛っていたら俺がいない間は彼らにトランシーバーを使って貰うことができないのだ。
ま、いいや。次に行くときまでに3つ目の同型トランシーバーを用意しておけばよいのだから、無理に買いに行くこともあるまい。周波数だけいじって変えないように言っておこう。
翌日、大量のソーセージなどを袋ポケットに入れ、洞窟に出るといきなり二足歩行する者のシルエットに遭遇した。驚いたが、ライトで照らしてみるとクロとトラだった。人族がいないことを伝えて俺に安心して貰おうと、朝早くからずっと待っていてくれたらしい。人族がいないことはわかったが、出ていきなりだったのでかなりびっくりした。洞窟の出口で待っていてくれても良かったのに。
ソーセージをトラに、缶詰をクロに持ってもらい、クチンに向かった。
別にトランシーバーとデジカメの使い方を教えてそのまま戻っても良かったのだが、クチン周辺でのトランシーバーの通信可能距離も見ておきたかったのである。
「この缶詰ものすごく大きいニャ」
「開け方は今言ったとおりだが、指を切るなよ」
業務用ランチョンミートの缶詰から目を逸らさないハナに念を押しておく。こいつは何も危険がないところで失敗する天才だからな。
大量のソーセージを備蓄用に分配し,一部はタマ姐があらたに確保した朽ち抜けた木の洞に仕舞っておく。クチン近くのトンネルの中にも少し備蓄しておいたが、前回人族に踏み込まれているので全部をトンネルに置くのは避けたかったのである。
分配が終わったところでトランシーバーの使い方のレクチャーと通信実験である。
まず、受信送信の説明と操作を示し、20mほど離れて会話させる。
『聞こえるニャ?』
『聞こえるのー』
携帯電話と異なり、送信と受信が同時にはできないわけだが、不思議なことに被ったりせず見事に使いこなしている。
操作に慣れて来たようなので、次第に距離を取り、どれくらいまで会話が可能か試してみた。
100m、楽勝。200m、余裕。300m……500m……まだまだ可能。ここから先は俺が相手を見通せないので距離はわからないが、最終的にはクチンと洞窟入り口の間でも会話が可能だった。移動時間から考えて2km以上あるはずだが、相吾はいったい何をやったんだ?
これなら2つ3000円のやつでもよかったんじゃぁ……。
デジカメはミケに渡しておいた。クチン周辺の生物と、人族の動向を中心に好きなものを撮ってかまわないと言っておいた。画像を後で分析すれば、植生を始めとする生態系と、人族の動向が両方わかるはずだ。
マタタビも持ってきたが、はっきり言って危険物なので少しだけにした。
夜は、ハナの家に泊めて貰った。
「お兄ちゃん、しばらく会えないニャ?」
「そうだな、土日に来れないこともないが、学園祭の手伝いもあるしバイトしないとソーセージも買えないからなぁ」
「うにぁあ、お兄ちゃんがいないと寂しいニャ」
「うん、2ヶ月もすると冬休みだから」
かわいいことを言うハナの頭をぽんぽんと軽く叩くように撫でながら、今後の予定を伝える。それにしても、スケジュールをみればつくづく大学生ってのは休みばっかりだな。
マタタビは、「お兄ちゃんがいないなら使わないニャ」と言うので、チャック付きポリ袋に入れてハナに預けておいた。
翌朝、ドーンという音とともに起こされると、ハナが台所を少し破壊していた。尤も、屋根が飛ぶほどではなく、鍋がいくつかひしゃげたに止まった。それでも、折角揃えた鍋が使い物にならなくなったので本人は思いっきり落ち込んでいた。
その後、今回もクロとハナを連れて洞窟に向かう。クロはトランシーバーを持っており、早速の実用的運用である。途中、ワニモドキを目撃した場所の位置情報であるとかを送信しており、実際にかなり役立つことが証明できていたと思う。このとき、地名が付いているわけではないのに場所を正確に伝達できていたところを見ると、彼らはかなり詳しく地形を把握しているようである。
別れ際、トランシーバーはオーバーテクノロジーなので絶対に人族の手に渡らないように気をつけることと、61日後の午前中に再び来るので、同じ周波数に合わせたトランシーバーを持って洞窟内にいて欲しいことを伝えた。
「わかったニャ。お兄ちゃん、待ってるニャ」
「兄ちゃん、またね」
「うん、もし人族がうろついてたら危険がないように動くんだぞ」
「もちろんニャ」
「じゃあ元気で、61日後に会おう」
戻ってから、デジカメの予備電池の交換方法を言っておくのを忘れたことに気がついた。それなりに撮影していれば、さすがに2ヶ月は保たないだろう。壊れる可能性があるから基本的にトランシーバーやデジカメは無理に開けるなと言ってあるので、撮影できなくなった時点で諦めて放置するだろうか。
トラあたりが電池の交換に気づいてくれない……だろうな。