攻防戦
3食魚肉ソーセージが4日続いた頃、人族軍が見えるところまでやって来た。
彼らはクチンの街を見つけて中に乗り込んだが、誰もおらず、そしておそらくは人族の街ではないと判ったためだと思うのだが、物も持ち出さず、破壊もすることなく立ち去って行った。
斥候のタマ姐さんの話では、連中はそのままダルエの北の方に向かい、偉そうな奴とその護衛らしき2人だけが元来た方角に戻って行ったそうである。
偉そうな奴と言うのは落とし穴に嵌るのを防いだ服の違う奴のことだろう。
やはり人族軍の目的は分布の拡散、すなわち別の個体群との遭遇を求めたものと考えて良さそうだ。人族の習性や考え方はわからないが、帰って行った3人は見送りか、方向性を示す要員だったのだろう。いくらサバイバル能力に長けていると言っても、種族的邂逅の可能性が無い方向に向かっては意味がないだろうし、ヒトリザル行動が繰り返し行われているのなら、群れの中には別の集団の位置を知る者がいるはずだ。
これでとりあえずの脅威は去ったと見て良いだろう。幸いクチンの街に対しては何もされなかったので、街に戻ってすぐ日常が戻ってきた。鼠は積極的に食う気にはならないが、ワニ肉でもカメ肉でも、3食魚肉ソーセージと言う献立よりははるかにマシである。
「あっ、それはハナが取っといた分ニャ」
「ハナは食べ過ぎなのっ」
「私まだ食べてないっ」
ハナとサクラ、ミケがツナ缶の亀卵とじの取り合いをしている。魚肉ソーセージが続いても気にしていないようだったが、それでも献立が変わると嬉しいものらしい。
「ほら、ミケには俺の分をやるから」
サクラとハナの勢いに押されて手を出しあぐんでいたミケに少し余った俺の分の卵とじをやる。
興奮したミケに街中でエクスプロージョンをぶちかまされてはたまらない。
「お兄ちゃん、ありがとうニャ」
ミケが手を合わせ見上げるようにお礼を言う。おぉう、その破壊力はどこで覚えた?
次の日、獲物探しに行っていたトラたちが帰って来たあと、報告があるとやって来た。見るとトラはボロボロである。
「トラどうした、なんだそのボロボロさ加減は。」
「いや、これはこの前の落とし穴を踏み抜いただけだ。報告とは関係が無い」
落とし穴って、自分も作るのに参加してなかったか? クロがこういう罠にかかったのを見たことはないから、クロは危険察知と言う観点から見ると非常に優秀なのがわかる。
「で、報告とは?」
「うん、この前とは違う感じの人族軍ぽいのがうろついてた」
聞くと、前進するでもなくうろつく人族軍を見かけたのだと言う。
「どう違った」
「まず、人数が少ない。20人くらいだった」
「それから、同じところを行ったり来たりしてた」
「同じところって?」
「ミケが開けた穴とか。穴の中にもいちいち入ってる感じだった」
「いやぁ、それでこっそりよく見ようとして穴のふたを踏んでしまってな」
穴の中に刃物とか仕込んでなくて良かったのかもしれない。動きから予想すると、今回の集団は調査団か何かだろうか。
「そのとき、見つかったりしてないよな」
「うーん、音は聞こえたかもしれないけど……」
「その時はあいつらも別の穴の中にいたからこっちは見えてないよ」
まぁ、クロがそう言うのなら大丈夫だろう。
ただ、見つかっていないと言っても調査目的が何かわからないので、警戒を緩めるわけにはいかない。前回の集団が移動していっただけならどうということはないのだが、前回の集団に対してはトラップをかけ、偽亀まで作って対応してしまっている。それを体験した集団の中から、見送りなのか3名の人族が戻ったあとにやって来た調査隊なのだとすれば、目的が我々の調査である可能性だって低くはないはずである。
だがまぁ、今のペースだとクチン到達まで1週間はかかるだろう。近くまで来たらまたトンネルに籠ってやり過ごそう。
「困ったことになったニャ」
「どうした」
「人族軍が洞窟に入り込んでしまったニャ」
「な、なんだってー」
食糧調達部隊からの連絡によれば、人族軍調査団は、あっちへ行きこっちへ戻りしていたのだが、ついに洞窟に到達し、中に入って行ったのだと言う。
「大鼠がしばらく食べられないニャァ」
「奴らが大学に行ってしまう可能性はないだろうが、占拠されっぱなしだと帰れないではないか」
それぞれの思惑は異なるが、人族連中が洞窟に籠りっぱなしだといろいろと支障が出てしまう。あくまで調査団だとすると中にずっといるということはないだろうが、中に軍隊に準ずるような集団がいるのがわかっていてはおいそれと鼠を捕りに侵入することはできない。
洞窟に入れないということは俺が食糧調達に戻ることもできないから、食糧を安定して調達する手段が無くなってしまう。ワニモドキはいつでもすぐに手に入るような食糧ではないのだ。|人族のクチン接近時に再び地下道に籠ることも視野に入れているので、魚肉ソーセージやネコ缶の安易な消費も控えておきたい。
あの洞窟は出入り口が一つだけだから、今のうちに出口のすぐ前に巨大落とし穴を作っておけば一網打尽にすることはできる。ただし、そのときは帰ってこない調査団を探しにさらに戦闘力の高い大勢の探索隊がやって来るに決まっている。最悪、戦闘状態に移行すればクチンの街も無事では済まないだろう。そんな危険を冒すわけにはいかない。
「お腹すいたニャア」
ハナは体重増加に歯止めをかけるべく普段より運動量を増やしており、獲物調達も遠回りのルートを選ぶなどしている。だから獲物調達効率は悪く、しかも早く空腹になると言うむごい状態に陥っているのだ。
だが、空腹になってすぐに食事をするようになった我々は忘れているが、空腹と言うのは身体にとって「食事をしよう」というサインではなく、「そろそろ食料を調達に行こう」と言うサインなのだ。だから、空腹になったからと言ってすぐに動けなくなるわけではない。というよりも、空腹で動けなくなってしまう現代人がひ弱なのだ。
「マタタビでも齧るか?」
「マタタビも欲しいけど、あれはあとからもっとお腹が空くニャ」
まぁ、そうだな。
「……入口を吹っ飛ばせばびっくりして出て来るかもしれないの」
「却下だ却下。あとから岩を退かすのが大変だし警戒して籠城されたらどうする」
トラやクロにマタタビブーストをかけても動かせないほどの大岩が崩れたらどうしようもないし、俺もブーストのために体力を消耗したくない。いろんな意味で酔っぱらいの相手は疲れるのだ。
「人族って食えるのかニャ」
「怖い発想はやめろ。だいたい、お前らがイメージしている人族って洞窟にいる連中か俺かどっちだ」
発言したミケたちの方を俺が睨むと、ミケと、赤い顔をしたハナがさっと目を逸らした。そう言えば、俺は1回こいつに齧られたことがあるんだった。
なるほど、相吾の危なさはこういうものだったのか。
しかし何だな、目を逸らすということは齧った時、つまりマタタビの影響下でも記憶はちゃんとあるわけだな。
さらに2日経ち、皆の空腹がだいぶヤバくなってきた頃、つまり本当に動けない者が出現し始めて地下道潜行用の魚肉ソーセージに手を付けるしかないかなというころになって、やっと人族は洞窟から出てきた。
だがこれで問題解決ではない。洞窟から出ただけで調査しつつ移動してウロウロしながらクチンに向かって来ており、鼠を捕りに行けない状況には変わりないのだ。
クチンにかなり近付いて来たようなので念のため、地下道に退避することにした。
またソーセージが主食かよ。それでも今までこのために我慢していたソーセージが食えるとあって、みんな結構嬉しそうである。お前たちは遠足前日の子どもかっ。
来た来た。調査隊なら好奇心の赴くままにいろいろいじくってくれるだろう。
罠をいくつかかけてから地下道へ行くことにする。罠は命にかかわるようなものは避け、調査を続行する気が失せるようなのが望ましい。扉を開けたら生ゴミが落ちてくるたぐいだな。
「ハナ、生ゴミとかはどこに溜めてる?」
「生ゴミってなんニャ?」
考えてみればクチンでは生ごみなど発生しない。満腹になることは珍しいので食べ残しなど出ないし、基本的に骨まで齧る。もし食べられないような硬い骨があるとすれば武器にすらなるのだ。さらに食材の皮を剥くということもほとんどない。魚肉ソーセージの皮さえ食べようとしたぐらいだ。
「じゃあ、金ダライとか」
「?」
「これくらいの大きさで水を入れる……」
「鍋ニャ?」
結局、クチンにある材料で目的に会うようなトラップはほとんど作れないという結論に達した。せいぜい落とし穴に糞をしておいたぐらいである。日数が無かったので大した量は入っていないが、作成に関わった者が皆、「落ちたくない」と口を揃えて言う程度の量は入っている。
あとは、かなり減ってしまった感のあるカプサイシンを要所にセットする。建物にセットすれば効果的であるはずだが、ヘタに飛び散ると住人にとっても危険なので、風下になりやすい側の街はずれにあからさまに怪しい箱を転がし、その中に巨大スプーンのような物に入れて引っ掛けた。箱を覗いたり動かしたりすると、バネの様に跳ねて動かした者に降りかかる仕組みだ。
この箱を2つ作り、3つ目を作ろうかという段になって、いよいよ連中が接近してきた。
3つ目を造っていたら間に合いそうもなかったので、2つ目を作ったところで適当に設置して、地下道に撤収した。
ほぼ予定通りやって来た人族たちは、クチンを詳しく調査している。
「やった、落とし穴に落ちたよ」
高台からクチン方向を見ていたタマ姐とトラから報告が入る。えんがちょトラップが作動し、落ちたくない落とし穴にハマった人族がいるようだ。
さらに、目が辛いトラップも作動した模様だ。
「あっ、逃げ出した」
人族は逃げ出したらしい。しかし、クチンから逃げ出したわけではなく、どうやらえんがちょトラップに引っかかった個体から逃げているらしい。確かに、クチンには体を丸ごと洗うシステムは常備されていない。チャトラを洗うだけでも結構苦労したのだ。そんなところで糞まみれになったらたまったものではないだろう。
「あぁっ」
「どうした」
「こっちに向かってる」
トラップに引っかかった個体は、そのままでは背中に付いたものを自分で取ることはできない。そのため逃げた連中を回りこんで追い掛けたらしく、追い掛けられた連中が地下道の方に向かって来てしまったのだ。
うわ、地下道の入口見つけやがった。このままでは地下道内で出くわしてしまうので、俺達は別の出入り口から逃げ出した。くそぅ、食糧を少し残してきてしまったぞ。
見た感じかなりの調査欲求があるようで、入り込んだ人族はなかなか出てこない。
こうなったら仕方がない、風向きを見て風上から最後のカプサイシンをはたきこんだ。黙視できないほど少量とはいえ、風に乗って地下道内を広がっていくだろう。
これには人族もたまらなかったらしく、飛び出すようにようやく引き揚げて行った。地下道に戻ってみると、運び出せなかった食料は食べ残しと少々の欠片しか残っていない。食糧を見つけて食べていた時にカプサイシンに曝されたのが良くわかる。人族が持ち込んだ物を食べ散らかした跡も残っていた。片付けていけよ、もう。
「ハナ」
「ウニャ、目がチカチカするニャ」
まぁ、ハナ達にとってはまだだいぶ高い濃度のカプサイシンが残っているだろう。俺はハナに食べ残しを指差して、
「これが生ゴミだ」
と説明した。
その後戻ってくる気配がないということは、調査隊はクチンの調査または抵抗勢力の調査が目的だったと思われる。満足のいく結果だったのだろうか。
もし、我々の動向を知るのが目的だとすると、結果は出ていないはずだから2次、3次の調査隊がやって来るかも知れない。
警戒は続けた方が良さそうだが、日付を数え間違えていなければ秋休みもあと4日。次にまとまった休みが取れるのは冬休みだな。できればなるべく間を開けずに来たいものだが、長くて3連休ではダルエにも行けないだろう。