ヒトリザル
結局ミケの家に泊めてもらったのだが、ベッドで寝たはずがひどく体力を消耗した気がする。
朝になっても哨戒中のタマ姐さんから連絡が来なかったので、一応警戒しながら偽岩亀ポイントまで向かう。
タマ姐さんはちょうど亀の背に相当するところのこちら側に身を隠し、3人くらいは並んで座れそうな岩の上で接近してくる人族を哨戒していた。
偽亀に近づいたトラがひょいひょいと身軽に岩を登り、タマ姐さんの隣で向こう側を覗く。
次いでハナが偽亀に走り寄ると、岩に跳びついた。そのまま駆けあがろうとしたが、あと少しと言うところでべちっと言う感じで岩にへばりついたかと思うとそのままズルズルと岩盤を滑り落ちてきた。
「ニャッ?」
ハナはこんなはずではないとばかり再び走り寄ると駆けあがろうとして、しかし同じようにズルズルと戻ってきた。
「ハナ、お前もしかして」
「な、何ニャ?」
「太った?」
「ニャーー、そ、そんなことないニャ。ちょっと体重が増えたまま……ち、違うニャ、体重が増えた後すぐには減らなかっただけニャ」
ハナ、それを太ったと言うんじゃないか。
「お兄ちゃんが甘やかしておいしい方のご飯をたくさんあげたニャ」
「……ハナは亀卵も一人でほとんど食べたらしいの。食べ過ぎなの」
いや、まぁあれは俺がまだ亀の卵に慣れていなかったからだが。
「うにゃぁぁ……」
そんなやり取りをしていると、上の方から小石がコロンと落ちてきた。上を見るとトラが人指し指を立てて口の前に持って行った後、両手の掌を顔の横にくっつけている。顔の横に耳がある連中、つまり人族が来たらしい。
人族連中は偽の岩亀がこの前と同じ場所にいるのを見て、さすがに偽物と気づいたようだ。大きめの石を拾って偽亀にぶつけ、反応がないのを見るとこちらに向かって来た。
「あんな石じゃあ、本物だって動かないよ」
タマ姐が小声でつぶやく。
あと少しで先頭が落とし穴にかかる、と言うところで、指揮官だろうか少し服の違う人族が他の連中を押しとどめた。地面を指差して何か言っている。おそらく、この前開いていた穴が無くなっているのはおかしいとかそんなことを言っているのだろう。
何人かが木の棒を拾って落とし穴の上を叩き、様子がおかしいことに気付いたようだ。慎重に穴の位置を確かめながら縁に沿って進んでくる。チッ、せっかく作った落とし穴が無駄になってしまった。今日はあいにくこちら側が風下なので、カプサイシンは使えない。
穴の縁を越えた人族は、それでも一応警戒してか偽岩亀の尻の方の低くなったところを越えようとしてきた。
このままここにいると接敵してしまうので、ひとまず撤収することにした我々が偽亀から離れたのと、人族軍が岩を越えてきたのはほぼ同時だった。だが、越えてきた人族軍は滑り台のような構造に作ってあるこちら側で踏み留まることができず、飛び降りた地面に見せかけた場所を踏み抜き、次々と谷底に落下していく。撤収しながらなので詳しくは見えないが、谷底へ落ちていきながらも斜面途中の岩を足場に低いところの岩に跳び移っているので、確かに怪我はしていないだろうと思う。
手前の踏み抜くように作ってあった部分は結構広いので、100人ほどいた人族軍のうち、半分は谷底に落ちたようだ。予定では20人が落とし穴、40人が谷底だったから、割合からすればほぼ予定通りである。
残りの人族は、亀の背を越えて安全な場所に降り立ち、偽岩亀の各部分を観察している。もう完全に偽物だと分かっているので、口に似せた岩の上の本革ネズミも棒ではなく素手でつかみ、いじくって放り投げたりしている。
と、数人の人族が苦しみだし、ひっくり返ってのたうち始めた。
「あれっ、せっかくの鼠を触るな放置しろって言うからなんでかと思ったら、お兄ちゃんなにかやった?」
「うん、鼠にカプサイシンを振りかけてまぶしておいた」
「カプサイシンってこの前の粉ニャ? ひどいことするニャア」
「せっかく作った本革ぬいぐるみを引っぱたく方が悪い」
偽岩亀を越えて落ち着いたのか、あるいは谷底組との合流を待つためか、はたまたカプサイシンの影響が消えるのを待つのかわからないが、人族軍は偽岩亀の手前でキャンプ宜しく休憩に入ったようだ。三々五々火を焚き、湯を沸かして寛いでいる。
それぞれのグループが30mくらいずつ離れているのは、ミケのエクスプロージョンを警戒しているのだろうか。別に叩き込むつもりはないが、中々考えて行動しているのが見て取れる。
目に見えない将来を予測し、そのイメージに従って行動できるというのは高度な知能行動である。これは戦いにくい相手だ。
こちらも一旦クチンまで退却し、作戦の練り直しをすることにした。
洞窟は心配だが、軍を組織するほどの知能を持つ連中が今さら洞窟生活を良しとするとは思えないので、クチンを守るか捨てるか、はたまた打って出るかの判断をすることになった。
「そもそも、あの連中の目的は何だ」
「今まではこんなにこっちまで来なかったニャ」
「……人口が増えて食糧を探してるのかも」
「だとしたら、軍だけで移動しているのは変じゃないか」
「やっぱり、何か拠点を作ろうとしてるんだと思うニャ」
拠点が生活できるような場所を示しているのなら、クチン周辺はその条件を満たしていると言える。
「人族の拠点と言うのはどんなレベルの生活をしているんだ?」
「家の造りは私らよりしっかりしてるよ。2階建ての家もあるし、石で造った家もあったな」
人族の街にいた経験のあるタマ姐の言葉は、貴重な情報である。
「食料はどうしてた? 狩りをする感じなのか農作物を作っていたのか」
「人族は何でも食べるよ」
「何でもって、例えば」
「いや、だから食べられそうなものは何でも。肉も魚も木の実も。あ、でも一番よく食べてたのは草の実の粉かも」
「粉?」
草の実の粉って、小麦粉のような物だろうか。
「そう、それを水で練って紐のようにしたものとか」
スパゲッティかうどんだな。
「あと、平たくして肉なんかを包んだりして食べてたよ」
餃子かラザニア、お焼きのイメージが浮かぶ。
少なくとも、調理をする文化はありそうだ。
いったい奴らは何のために移動・侵攻をしているのだろう。
彼らは、クチンの村の存在を知らない。知っているとしたら、ここまでの移動ルートがあまりにも不自然である。目的地に近づいた後、わざわざ危険な方向に離れていく必要はない。
逃げたノーラの人たちを追いかけているにしては、装備が物々しすぎる。というか、逃げたノラを軍が追いかけるなど、何の冗談かと言いたい。
だとすると、人族の軍の目的はクチンともノーラとも関係がない、しかも、こちらからの妨害工作にもかかわらず継続しているから、目的意識自体はかなりしっかりしたものがあることになる。
「うーん」
「どうしたニャ? 草の実の粉が食べたくなったニャ?」
お前と一緒にするな、というか、あくまで俺はサル扱いか。
「人族が他の勢力と戦争中と言う可能性は?」
「ウェアウルフがいなくなってから、このあたりには猫獣人と人族しかいないニャ」
だとしても、単なる調査にあの数の軍を差し向けるとは考えにくい。もっとも、人族の考え方なんてわからないし、ワニモドキはともかく、跳ね鰐や岩亀がいる世界なのだから探査というのは軍単位でやるものなのかもしれないが。
「それなら一旦クチンに戻ろう」
クチンに戻り、再度人族の目的を考える。
まず目的が単なる探査、つまりあれが斥候の集団だとした場合。
こちらに何があるか判っていないのに、単なる斥候を派遣するのは不自然だ。見たところ食料も十分ではないし、特に食料調達能力に優れた者ばかりだとしても、それでは目的なしに移動しているのと変わらない。要するに、明確な目標を持って移動している集団の動きではないのだ。
次に、探査ではなく付近一帯の詳しい調査である場合。
この場合、人族の拠点から離れるに従って探査範囲が広がり、しかも情報が少ないはずだから次第に移動速度が落ちてくるはずである。
だが、今のところ人族軍に移動速度の低下は見られない。
今まではこんなにこっちまで来なかったというのだから、情報が揃っているとは思えない。だから、探査や調査ではないはずだ。
それから3つめが、人族の中で離反か勢力の分裂が起こり、戦力を温存するか再編成するための行動、つまり内輪もめがあった可能性である。
これは、詳細が不明なので情報不足だ。
うーん、こんな時に相吾がいれば、少ない情報からでもあっさり妥当な結論を導いてくれるのだが。
すでに人族軍がクチンと洞窟の間あたりに展開しているであろう状況では大学に戻るのは危険を伴う。
「人族軍の目的なんかどうでもいいニャ、お兄ちゃんはあったかいから好きニャ」
ぴったりくっつきながらハナが言う。現在は夕食に相当する食事をした後そのままハナの家にいる。昼からの流れで、低カロリーの食事を作って食べていることを確認させられたのである。
さすが猫獣人、好奇心にはあふれているくせに、物事を深く考えることをしない。ま、そういう性質なんだから仕方がないか。その割にはクチンの街にもみんなそれほど執着がなさそうだが……。
ん? 待てよ。種族的特性と言えば。
もしかすると、集団的ヒトリザルなのだろうか。
ヒトリザルは単独だからヒトリザルなのであって、それが集団を形成しているなどとは思わないから、頭の中でその可能性を勝手に排除していたらしい。
ニホンザルの群れでの研究によれば、群れは中心に子供やメス、周辺にワカモノやオトナオスがいて、近親交配を避けるためかワカモノの一部が群れを離れていくことが報告されている。この個体は群れではなく単独で行動することが多く、単独で他の群れに接近したりするのでヒトリザルと言われているのだ。
この本能的行動を残したままで知性を持ってしまったとしたら、あんな行動になるのではないだろうか。
だとすれば、あの人族軍は、どこか別の人族の集団に出会うまで移動を続け、それまで止まらないのではないだろうか。
それなら、仮にクチンに到達したとしてもあそこは人族の居住地ではない。そのまま通過してくれるはずだ。
「結局お兄ちゃんはどうするニャ?」
翌朝、クチンの街中の広場で作戦会議中、ハナが今後の行動について訊いてきた。
「しばらく様子を見ようと思う」
「どうして、人族がこっちに来ないようにしていたのに?」
サクラも疑問に思ったようだ。
「いや、今までの行動から考えると連中はどうもクチンや洞窟が目的ではないし、ここが見つかっても問題がない可能性が高いからな」
見つかったら拠点にされてしまい、そのまま居着かれてクチンが猫獣人の街として使えなくなる可能性もあるが。だが、拠点作りを目的にしているにしては年齢層や性別が偏りすぎているように思えるのである。
ところで、様子を見るにしても向こうが武器らしきものを持っており、エクスプロージョンや罠で攻撃を仕掛けてしまった以上、交戦状態になるのを避けるためにどこかに隠れている方が安全であろう。
「どこか、向こうの様子を見ることができて隠れやすいところはないか」
「それなら、ちょうどいいところがあるよ」
そういってトラに案内されたのは、クチンのすぐ近くにある地下道だった。
「すごいなここ、だけどみんなは穴掘りが得意には見えないが」
「うん、穴を掘ることはしないけど、こういうふうにできている穴があったら広げたりはするよ」
聞けば、川がもっとクチンの近くを流れていたぐらいの昔、このあたりに住んでいた何者かが掘っていた、言わば遺跡のようなものを広げて作ったらしい。入り口は岩の間にあって穴があることを知らなければまず見つけられないような構造になっている。地下は迷路とまではいかないが結構長く、生活をしていた跡なのか部屋のようになった場所がいくつもある。
ライトの魔法があるので、中での移動や行動には困らない。
「なんか、本格的にレジスタンスみたいだな。というか、どうせならこっちに転移トンネルの出口があったら便利だったのに」
だが、いくら隠れやすい場所とは言っても煮炊きをすれば煙も発生するし、そうなれば好奇心のありそうな人族が見に来てしまうだろう。
ここにいるのなら非調理食品を食べることになる。
そんな覚悟はしていたが、3食とも魚肉ソーセージとか何の冗談だ?