第二十三話:約束
「セシリア……っ」
セシリアが目を覚ますと、そこは温かなベッドの上であった。
脇には自分の手を握る伯父と、ホッとしたようなクライドの姿がある。
「陛下……伯父様」
体を起こそうとすると、手伝おうとするクライドを邪魔するように伯父が助け船を出した。
その様子に、そういえば伯父はクライドに関する偽の手紙を受け取っていたんだ、と思い出す。
クライドを良く思っていないのだ。
「全く。余の一世一代のプロポーズに良くも卒倒してくれたな、セシリア」
「いえ、あの……すみません」
まさかあんな場でプロポーズを受けるなど思ってもみなかったせいで、頭が真っ白になってしまったのだから仕方ない。
「で? 返事は……?」
口調はぶっきらぼうだが、珍しくクライドの頬は赤く、顔が妙に強ばっている。
普段は強気なくせに、今回ばかりは自分からの返事が怖いのだろうか。
そう思うと、自然と笑みがこぼれた。
返事など、当然決まっている――
「あの、ふつつかものですが、私で良」
「申し訳ありませんが陛下、セシリアのことはどうかお忘れを」
「………………え?」
突然割って入った伯父のカイルに、クライドもセシリアも目を丸くした。
「あの……伯父様? あのね、伯父様が受け取った手紙は全部嘘で」
「分かっている。お前が眠っている間に、陛下から事情は全てうかがった」
「じ、じゃあ……どうして?」
クライドの表情が、みるみるうちに険しいものへと変貌していく。
そんな彼にも恐れず、カイルは片膝をついてクライドを見上げた。
「陛下……この首が地へ転がる覚悟で申し上げます。あの手紙がねつ造であろうと、あなた様が独裁に走り、罪もない民の命を奪ってきたことは紛れもない事実。あなたの中を、冷たい血が流れているのは事実。セシリアに飽き、新しい妃をお迎えになりたいとお考えになどなったら、あなたはセシリアをどうなさることか……」
「余がセシリアを手に掛けるとでも言うのか」
「そんな……伯父様っ!」
「お前は黙っていなさい、セシリアっ!」
「……っ」
セシリアを一喝すると、カイルは再び静かにクライドを見上げる。
まるで神父のような、迷いも恐れもない瞳で。
「陛下。あなた様のセシリアへの愛が本物だとおっしゃるなら、どうかこのまま無事にセシリアをこの城を出てゆかせてください。そして三年後、セシリアを未だ深く愛し、妃として迎えに来てくだされば、私もあなた様のおっしゃることを信じ、セシリアをあなた様の元へと嫁がせましょう」
(何言ってるの……!? 伯父様っ)
伯父を見つめるクライドの目は、不気味なほど静かだった。
「正気か、カイル・アディソン」
「はい」
腕を組んだクライドが、小さく嘆息する。
「伯父様……っ! どうして」
クライドは病弱な母に、アレックスという良い医者をつけてくれた。
売りに出されていた大切な家も、何も言わず買い戻してくれた。
不器用な優しさで、何度も助けてくれた。
自分は傷つけられることなどないし、何より彼は以前とは変わったのだ。
そんな事情も知らないくせに、どうしてと、どうしても納得できない。
「どうして……っ、伯父様!」
泣きながら、ベッドの下で片膝をつく伯父の肩を強く揺さぶった。
「お前は若い。他の男を知らぬから、周りが見えなくなっているだけだ。それに三年経てば、また会えるだろう。この愛が本物だとお前たちが言うのなら」
勝手すぎる……。
なぜ、三年もの年月を、最愛の人と引き離されなければならないというのか。
「……行け、セシリア」
「陛下――!?」
クライドの思いがけない言葉に、セシリアは弾かれたように彼を見上げた。
「聞いただろう、そういうことだ。余とて、疑われたままそなたを妃に迎えるというのも気が進まん。そなたの返事は三年後に聞く。それでいいだろう」
自分と目も合わせず、クライドは淡々とセシリアにそう言ってのけた。
自分だけがおかしいのだろうか。
離れたくないと思っているのは自分だけなのだろうか。
もう少し、伯父を説得するそぶりを見せてくれてもいいじゃないか。
(まるで私だけ馬鹿みたい……)
ギュッと、血が出そうになるほど強く両手を握る。
「……何なんですか……、二人で勝手に決めて……。私の気持ちは無視なんですか!? 伯父様だって追い出された身で今更のこのこ出てきて、父親でもないのに父親面しないでっ!!」
「セシリア!」
脇目も振らず部屋を飛び出すセシリアを、クライドが即座に追いかけていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
裏庭へと逃げていくセシリアの手を、クライドが掴む。
「待て、セシリアっ」
「来ないでくださいっ、放して!」
「落ち着け!」
「あなたが落ち着きすぎなんじゃありません!? 三年と言わず、もう永遠に別れましょう、陛下! 来るかどうかも分からないあなたを、何年も待ち続けるなんて……私にはできません!!」
「そなたと永遠に別れるなど……、できるはずないだろう!」
クライドは泣きじゃくるセシリアを無理矢理強く抱きしめた。
逃れようとするセシリアに背中をぶたれ、足を踏まれ、激しく暴れられても、絶対に放そうとしなかった。
「何を恐れている、セシリア。余のそなたへの情は、年月によって消えるものではない……」
「分からないじゃないですか! ここにはそれこそ私より美人でスタイルもいい子が大勢いるんですからっ! きっとあなたは、私を忘れて……、私だけが、来もしないあなたを待ち続けるんです」
「セシリア……」
セシリアとて、本気でクライドの愛を疑っているわけではない。
ただ、離ればなれになるのが辛い。それだけのこと。
いつの間に自分は、彼のことをこんなにも思っていたのかと自嘲ぎみに笑いたくなるほどであった。
「陛下の馬鹿! 間抜け! あんな風に暴君を気取っているから伯父様が……!」
「分かっている。すまない、セシリア」
「……なんか、今日はやけに素直ですね……。やっぱり最後だからですか」
「違う。そなたが泣くからだ」
慰めるように頭を優しく撫でられ、ドキッとして大人しくクライドの肩口に顔を埋めてしがみついた。
そんなセシリアを、クライドも愛おしく、包み込むように抱きしめ返す。
「必ず迎えに行く。それまでにその体に染みついた貧乏くささを治しておくがいい。余の妃になるのだから」
「よ、余計なお世話です……」
セシリアは顔を上げ、自分をまっすぐに見つめる青い瞳を見つめた。
彼の言うとおり、何も恐れるものはない。
たった三年。
三年経てば、彼とまた一緒に暮らせる。
セシリアは自分からクライドの首に手を回し、背伸びしてそっと口づけた。
一瞬驚いたように身を強ばらせたクライドも、すぐに応じて主導権を奪っていく。
唇を離すと、クライドはぐいっと腕を引いてセシリアを草の上へ寝かせた。
……少しばかり、嫌な予感がする。
「まさか……っ、陛下?」
クライドは有無も言わせず彼女の上に覆い被さり、白い首筋に口づける。
やっぱりだ。
「だ、ダメです、こんなところで! 見つかったらどうするんですかっ!」
「知ったことか」
「ちょっ……っ」
胸元へ顔を埋めるクライドに抗議して体を起こそうとするも、彼の巧みな誘導で徐々に体の力が抜けていってしまう。
「ん……っ」
ついにはセシリアも髪を草の上に広げ、クライドに完全に屈した。
――これを最後に、三年も会えなくなる。
心なしか、セシリアに触れるクライドの手が冷たい。
そしていつものような、快楽へ堕ちていくセシリアを見て悦に浸るような余裕も見当たらない。
「セシリア……愛している。三年後も必ず、そう言いにそなたのもとへ行く」
裏庭の茂みの中でクライドに激しく愛を紡がれながら、セシリアは一時でも別れの寂しさを忘れることができた気がした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日のうちに、伯父に手を引かれ、セシリアは家に帰るための舟へ乗った。
振り返っても、先ほどまで愛し合っていたはずのクライドの姿はない。
徐々に遠ざかっていく岸辺はまるで静かで、見送りのために王の側近やロゼの姿が見えるだけ。
今回のことを、あのクリスティーナはどんな顔で聞いただろう。
王妃道と呼ばれるこの大河を、自分はまた上って来れるのだろうか。
それとも別の誰かが上るのだろうか……。
「すまないね、セシリア。勝手なことをしたと思っている」
カイルがポツリとそう切り出した。
だが、彼は自分の言い出したことを微塵も後悔している様子はない。
クライドが以前とは変わったことを知らない伯父にとっては、さきほどのやり取りには、火の中へ飛び込むような覚悟があっただろう。
へたをすれば、本当に彼の首は地面に転がっていた。
それほど自分の将来を、身を、彼は案じてくれているのである。
「いいえ。私も父親面しているなんて、酷いことを言ってごめんなさい、伯父様」
伯父はいいんだと柔らかく笑う。
「お前の母親が許してくれるなら、この三年のうちに、私はアディソン家を立て直そうと思う。お前が陛下の妃として、あの方にも引けをとらぬよう。そして城に戻ったとき、もうあんな女たちに苛められぬよう」
「伯父様……っ。なら、私も手伝わなくちゃ!」
笑顔を作って、思い人を残した巨城を振り返る。
姿は見えなくとも、セシリアはクライドと目が合ったような気がして胸が苦しくなった。
それでも涙が出なかったのは、迎えに行くと言ってくれた、彼の言葉を信じるから――