第二十二話:カイル・アディソン
更新遅くなってすみませんでしたッ!
伯父、カイルからのメモを受け取ったセシリアは、紙を握りしめたまま急ぎ足で客間へ向かっていた。
メイド頭のミセス・ライトの案内の申し出も断り、一人淡々と早足で進む。
「どこへ行く、セシリア」
「――っ!」
突然背中から声をかけられ、セシリアは「ひいっ」と叫びそうになるのを何とか堪えた。
「へ、陛下……っ、いえあの、何て言うか……気分転換にお散歩をしようかと。ほら天気もいいですし」
そう言って窓の外を指さしたが、あいにくの曇り空。
クライドの美しい表情が歪む。
「そなた、何を隠している」
(バレてるっ……)
だが、セシリアの伯父はクリスティーナを襲った首謀者とされている男。
彼に真実を言えば、客間にいる伯父は間違いなく捕まる。
元々、昔にアディソン家を追い出されたような人間だ。
一旦疑いを向けられれば、宰相の口添えも加わり、あっけなく有罪となってしまうだろう。
庇っているつもりはないが、クリスティーナを襲ったことが事実かどうかも分からないうちから、伯父を公の場に出すことは避けたかった。
「何も……隠してなんていません」
そう言ってドレスを掴むセシリアの掌は、じっとりと汗ばんでいた。
伯父を思うがゆえといえど、まっすぐにこちらを見つめてくるクライドに嘘をつくことにはとても気が引ける。
「信じていいのか」
クライドに優しく髪を撫でられ、愛おしげにキスをされる。それだけで、セシリアは胸が締め付けられる思いがした。
これがばれたら、おそらく彼は許してくれないだろう。
ここを追い出されることは間違いない。
せっかく想いが通じたというのに。
これはアディソン家に、もしくは自分にかけられた呪いなのだろうか。
それでも――
「……はい」
「そうか」
クライドの脇をすり抜け、セシリアは伯父のいる客間へと向かった。
「言っておくが、セシリア」
クライドの低い声に、セシリアは足を止め、顔だけで振り返る。
「余に嘘をついてただで済むと思うな?」
冗談か、本気かも分からない。
脅しているのか、本当のことを言って欲しいという願う言葉なのかも。
「も、もちろんです陛下。あははははは……」
ただ一つ言えるのは、明らかにクライドの周りを、どす黒そうなオーラが漂っていたということだけだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「久し振りだな、セシリア」
数年ぶりに会った伯父は、幾分やつれて見えた。ヒゲも生え放題、髪もボサボサだった。
一見すれば、その辺の農民や使用人と見分けはつかない。
ああこれでは、誰も元アディソン家の者だと気づかないだろう。
(まさか本当に本物だったなんて)
セシリアはローテーブルを挟んだ向かいのソファーに腰掛けると、まじまじと伯父を見つめた。
きちんと身なりさえ整えば、それなりの容姿になるだろう人。
繊細な髪の間から見える、美しいブラウンの瞳が緩やかに細められた。
「綺麗になったな、セシリア。まあ、化粧のせいかもしれんが」
「……。何をしに来たのっ、伯父様。今、ここでは――」
「今更こんなことを言っても信じられないかもしれんが、私はお前の祖父に家を追い出されてからというもの、改めて自分のしようとしていた愚かさに気づいた。金のために、家名を売ろうとするなど……誇り高き我々アディソン一族にとってどれだけ不名誉なことであったか。軽率であったか」
伯父の目は、僅かに潤んで見えた。
それに、僅かな凜とした強さのようなものも。
「今は田舎だが、小さな土地を持って静かに暮らしているんだ。僅かに人を雇って野菜を作り、自分でも畑にでて収穫している。アディソン家での暮らしとは違い、質素だが充実した日々を送っているよ」
「そう……」
ヒゲに埋もれた唇に、柔らかな弧を描いてそういう伯父は、以前とは別人に思えた。
金だ名誉だと、目を猛獣のようにランランと耀かせていた頃の彼はいない。
まるで、神父のような清貧さを感じた。
こんな伯父が、クリスティーナを襲うよう指示するはずなどないだろう。
「私と逃げよう、セシリア」
「そうですか……って、はい?」
思わず相づちをうちそうになり、セシリアは目を丸くした。
(今……なんて? 逃げる?)
伯父はおもむろに立ち上がると、僅かに怒りで拳を震わせた。
「陛下から、酷い仕打ちを受けているのだろう? 名も無き者から手紙が届いた。そこにはおぞましい陛下からの扱いが克明に記されて、私は……っ。お前に合わせる顔などないとおもいつつ、もう居ても立ってもいられなくなってここへ来た。もうお前は十分家のために頑張った。もういい。さあ、今すぐ私と来るんだ!」
セシリアを無理矢理立たせ、腕を引いて人気の無い廊下に出る。
「ちょ……っ、待って伯父様! 手紙って何? 私は」
「案ずるな、手はずは整えてある。さあ、恐れず私と来るんだ。恐ろしい陛下の元へ、お前を置いてはいけん!」
「話を聞いて、伯父様っ」
「……セシリア……?」
背中にしびれが走ったかのように感じた。
伯父と共に振り返れば、クライドと、そして勝ち誇ったような笑みを浮かべるクリスティーナ、そして大勢の野次馬貴族や使用人らがいた。
「申し上げた通りになったようですわね」
クリスティーナは“悲痛な面持ち”という仮面の下から、隠しきれない喜びを滲ませながらセシリアたちに近づく。
「ご覧になって陛下。やっぱりこの女は伯父とつるんで私を陥れようとしていたのですわ! その証拠に、アディソン家を追い出されたはずの方が城に勝手に入り込み、この女はそのような者とここから逃亡しようとしていた。これが動かぬ証拠、決定的な罪の証ですわッ!」
ビシッとクリスティーナに指さされる。
野次馬たちが一気にざわめいた。
ぐるりと取り囲み始めた衛兵たちが、こちらに一斉に銃を向ける。
「ち、違います! 違うんです! これは、実は――」
「お黙りなさいな!」
武装した衛兵らの向こうで目を閉じて俯き、小さくため息をつくクライドが見えた。
(陛下……)
ほんの少し前、嘘をついたのは……真実を伝えなかったのは自分だ。
なのに、あんな風に失望されたことが悲しくて仕方がなかった。
(ごめんなさい)
自分も、そしておそらく伯父も、まんまとクリスティーナの罠にかかったのだ。
事実無根のストーリーを手紙にしたため、改心した伯父に送りつけて城へ忍び込ませたのは彼女だろう。
ただクライドを振り向かせるために、関係の無い伯父まで巻き込んだことが許しがたかった。
微笑を浮かべる彼女の美しい顔に、憎しみが沸いてくる。
(こうなったら、窮鼠猫を……ってやつだわ)
セシリアはそっとヒールから足を浮かせ、ほくそ笑むクリスティーナの白い眉間に狙いを定める。
「クリスティーナ……あんたって女はっ! 天罰っ!!」
シュッと勢いよく、ヒールを飛ばす。クリスティーナの眉間へとまっすぐに飛んだ。
「――っ!」
目を丸くするクリスティーナに今にもヒールが当たろうとした瞬間、
「……やめろ」
クライドがそれを掴んで止めた。
クライドさえ止めなければ、間違いなく当たっていたのに。
「陛下っ、ありがとうございます!」
感激するクリスティーナの声にも耳を貸さず、クライドはヒールを握りしめたまま衛兵らの輪の中へと入っていった。
衛兵らが焦ったように銃を下ろす。
まさか、ヒールで殴られるのだろうか。
クライドの手が伸びた瞬間、怖さでギュッと目を瞑った。
優しく手を握られる感覚を覚えた。
「セシリア・アディソン。余と…………私と結婚して下さい」
心臓を殴られたかと思うほど、胸が強く高鳴った。
目を開けば、片膝をついたクライドの真剣な瞳が自分を見上げている。
(陛……下っ?)
大勢の前での突然のプロポーズに、そこにいた貴族も衛兵も、誰もが口を開いたまま呆然と立ち尽くしていた。
クライドがセシリアの手に愛おしそうに口づけを落とした瞬間、セシリアの意識は真っ白になって遠ざかっていった。