第十八話:アディソン家
「……なんで私まで……っ」
セシリアは石造りの広い牢獄を見渡す。
到底届かないであろう高い位置に取り付けられた小窓から差し込む明かりが、かび臭く、やけに湿気た檻の中を明るく照らす。
どう考えても、一生縁の無い場所だと思っていた所だったというのに、とセシリアはため息をついた。
「全く……これで気を遣ってるつもりなの!?」
一緒の檻に入れられているレイスティンは、石壁に打ち付けられた楔に手錠で両手を繋がれたまま、項垂れるように地べたに座り込んでいたが、セシリアは古いベッドに右手を繋がれていたために、冷たい床に触れずに済んでいた。
一応の気遣いなのだろうと、セシリアは解す。
「自業自得よ、セシリア様。私は止めたでしょ」
鉄格子の間から顔を覗かせるようにもたれ掛かりながら、ロゼはそう言い放った。
「あなたしっかりハメられたのよ、あの宰相の娘に」
クリスティーナの顔が頭をよぎる。
親切な子だと思っていたのに、まさか本当にこんなことを画策しているとは思いもよらなかった。
「わ、私だって軽率だったのは認めるけど、陛下も陛下だわ。私の話に耳も傾けないなんて」
「そりゃ、その男とやってるトコ見られちゃおしまいでしょ」
「やってな……何も無かったって言ってるでしょ!? ねえレイ!」
レイスティンに助けを乞うように見やる。
「…………」
しかし、彼はじっと一点を見つめたまま、何も答えようとはしなかった。
(誰が一番の元凶だと思ってるのよ、あの男はッ!)
何を落ち着き払っているんだと思いながら、憤ったところで状況はよくならない。
「ま、もう諦めるのね」ロゼが切り出す。「相手が悪いわ。たとえアイツが口を割ったって、決定的な証拠もなしに強権をふるう宰相の娘を罪の問うなんてできっこない。それがいくら陛下だってそう。せめてアディソン家が落ちぶれさえしなけりゃ、違ったんでしょうけど」
「……そんな言っても仕方ないこと、この場でわざわざ言わないで」
「あらそ。でも、本当に父親以外に後継者はいないわけ? いくら落ちぶれたっていえど、当主さえいればいくらか立て直しできるでしょうに」
セシリアは目元に影を落とした。
「……。いるにはいる」
「なんだ、いるんじゃない! 誰なの?」
「カイル氏ですね」
聞こえた優しい声はセシリアの物ではなく、ロゼの後ろ側からのものだった。
「アレックス様!」
母親の担当医をしてくれている若き医者、アレックスが丁寧に頭を下げた。
「すみません、立ち聞きをするつもりはなかったのですが」
クライドとは正反対の、申し訳なさそうな天使の微笑を浮かべる。
「も、もしかして、お母様に何か!?」
慌てるセシリアを落ち着かせるように、アレックスは右手を上げる。
「いえ、順調に回復されておられますからご安心を。今日は、あなたが心配で」
「そうですか、ご迷惑をおかけしました。厚かましいのは重々承知ですが……どうか、このことはお母様には内密に」
「心得ております」
神妙な顔で俯くアレックスの腕に、突然何かが絡みついた。
「やーだ、アレックス様ったらお優しいっ! 感激ですぅ」
気持ち悪いほど腰をくねらせ始めたロゼにも「お久しぶりです」と丁重に返す様は、さすができた人だとセシリアは思う。
「で、カイルってどなたなんです、セシリア様?」
アレックスの腕に絡みついたまま、不気味なほど目を輝かせ始めたロゼにため息をつく。
「お父様のお兄様。私の伯父にあたる方よ」
「伯父? だったらその人に当主をしてもらえばいいじゃ……よろしいんじゃありません?」
セシリアはゆったり首を振る。
「お父様が亡くなられたあと、そんな話が出そうになったけど、やっぱり無理だわ。お祖父様が激怒して伯父様を追い出されて、遺書でも家の敷居は絶対にまたがせるなって残していらっしゃるくらいだから。家でも伯父様の話題はもう何年も厳禁。第一どこで何をやってらっしゃるのかも知らない」
「何をやらかしたら、そうなるわけ……ですの?」
「伯父様は血統を売ろうとしたの」
「血統? 決闘じゃなくて?」
ロゼが首を傾げる。
「聞いたことがあります」とアレックスがゆっくり口を開いた。
「この世界にはお金こそあれど、我々のような伝統的な家柄ではないがゆえに、本物の上流階級にはなれない所謂成金たちがいる。カイル氏は、そんな彼らから多額のお金を受け取る代わりに、アディソン家の分家として名乗る許可を与える契約を独断で結ぼうとし、それが実行される直前に明るみになったのだと」
「へぇ、無茶をする方がいるものですわねぇ」
「……もういいでしょ、この話は。今更頼ろうったって無理だもの。伯父様だって、私たちを恨んでらっしゃるみたいだし」
「で?」とセシリアは話題を変える。
「あのバカ陛下はどこで何をやってるんです、アレックス様。あの方は私たちをどうしようと?」
アレックスは暗い顔で、小さく首を横へ振った。
「分かりません。あなたが来られて以降、陛下はとても穏やかになられたというのに……。正直、あそこまで荒れた陛下は初めて見ます」
「荒れて……らっしゃるんですか」
「はい、かなり。一度でも後宮に入った男たちを探しだし、たとえそれが正当な業務上のものであろうと、無実であろうと全て牢獄へ放り込んでいるありさまです。おそらく全員処刑なさるおつもりでしょう。濡れ衣を着せたまま」
「そんな……っ」
セシリアは声を詰まらせた。
「まるで魔女狩りね」
ロゼの言ったことが、とても的を射ているように思えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「聞いた?」
アレックスとロゼが帰ったあと、セシリアはレイスティンにそう語りかけた。
「あなたのせいでしょ、関係ない人たちまで巻き込んで。いい加減に本当のことを言ったらどうなの? お願いだから教えて。なんでこんなことをしたのか。目的は何?」
だがレイスティンは相変わらず、貝のように口をつぐんで何も話そうとはしなかった。
「あっそ。あなたとは分かり合えそうな気がしてたのに」
「それで余を裏切ったのか、セシリア」
どすの利いた声に、ヒヤッとして鉄格子を見やる。
「陛下……っ」
「貧乏貴族同士、通じ合ったというわけか。深いところでも」
クライドは心底冷たい目でセシリアをにらみ付けると、ゆっくり檻の鍵を開けて入ってきた。
その手には長剣が握られていて、それを持ったまま無言で近づいてくるクライドに、セシリアは思わずベッドの上で後ずさる。
「何をする気です……陛下」
「すぐに分かる」
クライドは剣をベッドの脇へ置くと、セシリアの胸ぐらを掴んでベッドへ強引に押し倒した。
「へ、陛下っ……!」
無言のままセシリアの腹の上に跨がると、意外なことにセシリアの手錠を外し始める。
信じてくれたのか、無罪放免になるのかと喜んだが、クライドはセシリアの頭の上で彼女の腕を一つになるようにベッドにつなぎ直しただけだった。
クライドは背中のベルトに差していた短剣を抜き、冷たくセシリアを見下ろす。
「へ、陛下……まさか」
嫌な予感に、セシリアは全身から脂汗がにじみ出てくるのを感じた。
クライドは無言で刃をセシリアのドレスにあて、一気に胸元のドレスを引き裂く。
「や! ちょ……陛下……ななな何をする気ですか!?」
「何を? 分かるだろう……その男ともさんざんやったことだ」
顔色一つ変えず、ビリビリとドレスを裂いてセシリアの肌を露出させていく。
「ち、違います!」
抗議するセシリアの顎を持ち上げ、痛いほど上にそらした。
「言え。あの男とどんな風にしたのか。最初にどこを触られた。ん? ここか?」
「んっ……」
ドレスに手を突っ込まれて際どい箇所を触られ、セシリアは真っ赤になって身体を捻った。
「やめてくださいっ!」
「そなたは余の物だ。余がどうしようと勝手だろう。……それをそこにいる男にも分からせてやる」
「だ、誰が物ですか! この鬼畜! ど変態! 腹黒悪魔! ……えっと、他は……何か変態!」
だがクライドの表情は冷酷な色を湛えたままで、手を止める気配は無い。
本気だと悟った。
「そんなに憎いんなら、いっそのことその剣で私を刺せばいいでしょう!」
その一言に、初めてクライドの顔が苦痛に歪んだ。
「そうか。……そんなに嫌か。余に抱かれ」
「嫌に決まってるじゃありませんか!! あなた以外の人に……その……見られるなんて……」
目に涙をため、顔真っ赤にしてそう言い放ったセシリアに、クライドの動きがピタリと止まる。
心なしか彼は戸惑ったように視線を泳がせ、
「…………。余をまた謀ろうとしても無駄だからな」
「あーそうですか。だったらこのままどうぞ?」
顔を背け、セシリアは大人しくなった。何を言おうと無駄なら、もはや抵抗する気にもなれない。
クライドはナイフをベッドの下へ投げ捨て、青い瞳に真剣な光を湛えてセシリアの頬を撫でた。
「そなた、いつの間に余を好いていたんだ」
「え? ……は、はぁ?」
スカートの中へ手を突っ込み、セシリアの白い太ももを優しく撫でる。
「どこ触ってっ……、す、好いてるわけないでしょうっ、自惚れです……ですから、ちょっ、手っ!」
顔を真っ赤にして暴れながら言い放つ。
「だが余以外の男に見られたくないんだろう? 裏を返せば余だけには……違うか」
クライドは、セシリアには悪魔にしか見えない綺麗な笑みを薄い唇の端に浮かべる。
セシリアは両足の間に手を突っ込まれ、何度も内腿をさすられた。
羞恥に、顔が燃えるように熱くなる。
「それは……ですから、あっ、そう……あれです! じ、人道に背くべからずという神の教えに則っているまでです!」
「教会でイビキをかいて寝ていた女がよく言う。正直に言え」
クライドは楽しそうに、裂けたドレスをずらしてセシリアの胸をのぞき込み、彼女と目を合わせたまま舌を這わせようとする。
「いーやぁああっ! やめて下さい、このド変態ッ! 私は至って正直に言っていますからッ!」
「なら、あの男とは……本当に何も無かったんだな」
小さく、低い声でクライドはそう尋ねた。
美しい眉をひそめたその顔は悲痛そのもので、どうかそう言ってくれと、心から願っているようだった。
(そんな顔するなんて……ずるい)
セシリアは小さくため息をつく。
「一応陛下には、母や家のことに関して恩義がありますから」
「可愛くない女だ」
クライドは薄く笑って上着を脱ぐと、セシリアを包むようにそっとかけてやった。
「あの……?」
見上げた先のクライドは、いつもの彼に戻ったように見える。いや、それ以上にどこか嬉しそうにも見えた。
特に喜ばせるようなことは言っていないのに、と首をひねる。
「本来なら余の気の済むまで苛め倒してやりたいところだが、あいにく邪魔な者がいる」
そう言って、クライドはレイスティンの方を見やった。
彼は目の前で行われている事にまるで関心がないらしく、相変わらず一点を見つめているだけだった。
だが今回ばかりは、その“邪魔者”たる彼にセシリアは心から感謝する。
「中途半端に焦らしてしまったが、案ずるなセシリア。そなたのことは後で可愛がってやろう」
「誰が案んんんーっ」
クライドからの強引なキスで言葉が途切れた。
セシリアの上からどけると、クライドは剣を抜いてレイスティンののど元へ突きつけた。先ほどまでセシリアへ向けていた表情とは違い、残忍さと冷酷さを帯びていた。
「誰の差し金だ。正直に答えれば、四肢の内好きな一本を残すことを許してやる」
正直に答えてもそんなことになるなら、かえって口をつぐむのでは無いかとセシリアは思ってしまう。
「言え、誰の命令だ。まさか貴様単独などと言うまい」
クライドの問いに、レイスティンはまるでハエの飛ぶような小さな声で言った。
「カイル……」
「何だ?」
レイスティンはゆっくり顔を上げ、無表情にクライドを見つめた。
「カイル・トーマス・アディソンです」
「――!」
ハッとして、セシリアは息を呑む。
「おじ……様……?」
太陽が厚い雲に隠され、不穏な空気が周囲を包み込み始めた。