第十六話:ロゼの警告と宰相の娘
「ねえ……何であんたがここにいるのよ」
温かな紅茶を両手で包むセシリアの前には、口角にクリームをつけて幸せそうな顔をするロゼの姿があった。
「そっちがオシャレの方法教えてあげる、とか無理に私を誘ったんでしょ」
確かにあの時そう言ったが、無理に誘った覚えはない。
それに、だからと言って、のこのここの部屋へ来てケーキをむさぼり食べる神経が理解できなかった。
「あ、勘違いしないでね、セシリア様。私は別に公開処刑台に引きずり出されてたって構わなかったんだから。だって、そしたらまたあの方に会えるかもしれないでしょ?」
「あのね、陛下のことはいい加減に――」
「……愛しのアレックス様に」
突如として出てきた、母親の治療にあたってくれている男性の名に、セシリアは一瞬耳を疑った。
「ア……アレックス様ぁ? あなた陛下を慕っていたんじゃないの?」
「あーもういいわ、あの方はあなたに入れあげてるみたいだし。あのときはごめんなさい。あんまり陛下の寵愛を受けてたから嫉妬しちゃって。でももう未練もないから大丈夫!」
(切り替わり早!!)
そのせいで自分が色々な目に遭ったと言うのに……。一旦許したとはいえ、さすがに感情のやり場に困った。
「あっそう。で、アレックス様といつお会いしたのよ?」
「アレックス様に宛てた手紙が私の筆跡じゃないとか、セシリア様からああいった手紙が一度も届いたことがないって、私の前でアレックス様が陛下にお伝えしてたから。もう、一目ぼれ……て感じ」
普通、そんな状況で恋に落ちるだろうか。この女の根性は並ではないと思った。ただの美形好きだろうが。
「セシリア様、それより何なの、その顔」
昨夜の疲れが顔に出ていたらしい。クライドとのことを思い出し、顔が赤くなるのをごまかそうと紅茶をあおる。
「あぁ、何だ、陛下と楽しんだだけか。毒でも盛られたのかと思ったわ」
「はあ? 誰に」
ロゼはぐっと体を乗り出し、声をひそめる。
「私の情報ではあんた、ここにいる他の女たちにすっごく嫌われてるわよ。気を付けた方がいいんじゃない? どうでもいいけど」
ロゼは体を元に戻して、切り分けることもなく大口でケーキを頬張る。
「どういう意味? 嫌われてるから気をつけろって。他の子たちとは今までロクにかかわってこなかったし、これからも関わる予定はないんだから平気でしょ」
「分ひゃってないわね。お金と一緒に、知能も落としてきたわへ?」とモグモグしながら話し、ゴクリと飲み込む。
ヒドイ言われように、セシリアは、彼女を許したのは間違いだったかもと思った。
「皆、最近陛下がますます魅力的になられたとか言って騒いでるわ。雰囲気も随分和らいでらっしゃるし、内側から幸せそうなオーラが溢れてそれはもう、すっごくキラキラしてるもの。なのに肝心の陛下はあんたにばああ~っかり構ってる! ここに充満する嫉妬の匂いを感じない?」
確かに思い当たる節が無いわけではない。
朝、扉を開けると、イモリの死骸が並んでいたり、おぞましいことを書かれたカミソリ付きの封筒を扉の隙間から入れられたこともある。
廊下を歩けばクスクスと笑い声が聞こえるし、数少ない大切なドレスを、わざとらしく転んだ女に破られたこともあった。セシリアも負けじとやり返すと、ドレスを破られた少女が大泣きして逃げて行ったが。
「だからって、これからどうなるの……?」
おずおずとセシリアは尋ねた。
ロゼは珍しく、神妙な顔つきになる。
「子供のできない体にされるか、最悪殺されるってこと」
背筋がゾクリとした。
「ま、まさかそんな……」
「私はあなたがここに来るかなり前から、郵便配達員として各部屋を毎日二度回ってるのよ。陛下が部屋に通う回数が多い子が、そういう危ない目にあってきたところを見てるわ。大人しく実家にいればいいのに。何しに帰ってきたのよ」
言いながら皿に残ったクリームを、指の腹で未練がましくこそげ取る。潔癖症のアレックスが見れば、間違いなく眉をひそめただろう。
「行くわよ」とセシリアは立ち上がる。
「行くってどこに」
「そういう輩は、放っておけない性質なの。これからずっとびくびくして過ごすなんて嫌。子供が生まれた後に何かあったらどうするの」
妊娠もしていないのに、思わず『子供』などと口走ってしまったことが恥ずかしくなった。
だが結婚式はふた月先の、クライドの即位記念月にすることが決まったとすでに聞いていた為、このままいけば子供だってと思っただけだ……と誰も聞いていない心の中で言い訳する。
「行ってどうするわけ? 私を苛めないでぇ~ってお願いでもする気?」
「こっちから堂々と近づけば、彼女たちだって怖気づくかもしれないでしょ。ああいうのは大人しくしてるから、つけあがるんだわ」
やる気満々のセシリアとは対照的に、ロゼは興味なさげに、最後の一口を口に運んで口元を拭った。
「ふぅん、勝手に頑張れば。じゃ、私はこれで」
横掛けカバンを手に取り、郵便配達の帽子をかぶって出て行こうとするロゼの背に声をかけた。
「ちょっと、私にあれだけのことをしておいて、協力しないつもり?」
「危ないことには、関わらないことにしてるの。一人で頑張ってねー」
こちらを振り向き、ニヤニヤ笑うロゼをじと目で見る。
「ロゼ……。アレックス様に会えるよう口利きしてあげましょうか?」
「セ、セシリア様、何でもお申し付けください!! もう何でもッ!」
神に祈るかのような姿勢でセシリアの足元に跪くキラキラ目のロゼを従え、セシリアは部屋を出た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あれよ。グランドライト宰相の一人娘、クリスティーナ」
太い柱に身を隠し、我が物顔で廊下を闊歩する女の子集団を見つめる。その中でロゼの指さした一人は、豊かで麗しい金髪を贅沢に盛り、そこへまるで星空のように宝石を埋め込んでいた。
令嬢オーラもさることながら、口元に軽く手を当て、小さく肩を揺らす姿がとても優美だ。
「子爵とか男爵とか、騎士らの間で美人だってかなりもてはやされてるみたいよ」
私の方が美人なのに、と顔をしかめるロゼは相変わらずらしい。
「へぇ……確かにお人形さんみたいに綺麗な子。私と違って所作もきれいだし、いかにもご令嬢って感じ」
「自覚あるんだ」
「黙らないと檻に戻すわよ」
睨みつけると、ロゼは「怖い、怖い」と軽く肩をすくめた。
「それにしても、ここにはあんなにも綺麗な子がいるなんて……。陛下は何で私なんか」
「ゲテものがお好きなんじゃない」とロゼ。
「あっそう。じゃあ、アレックス様の件は……」
「申し訳ございませんでした!! お美しいセシリア様ぁ!!」
必死に謝るロゼに、段々彼女の扱い方が分かってきた気がする、とセシリアは思う。
ロゼは探偵のように目を鋭くして、クリスティーナを見やった。
「あんな貞淑で大人しそうな顔に皆騙されてるけど、裏はとんでもないから覚悟して。本命の陛下に相手してもらえない分、上級貴族や騎士らを夜な夜なとっかえひっかえしてるらしいから」
「“とっかえひっかえ”?」
「体の関係を持ってるってこと。要はバッカンバッカンのヤリまくりよ!」
「バッ……」
セシリアは没落したとはいえ名家の娘で、ここに来るまで男っ気もなかった。それに本も、恋愛小説よりも冒険話を好む。
ロゼの口から飛び出したあまりに品のない言葉に、耐性のなかったセシリアは顔を赤くして目をむいた。
「ま、あの子だけじゃなくて、取り巻き連中も似たようなモノみたいよ。陛下以外の男を部屋に呼んで楽しむことを『パジャマパーティー』なんて呼んでるし」フンと鼻で笑う。「真昼間から、貴族で誰が上手いとかの淫乱話で盛り上がってるんだから」
想像以上に恐ろしい相手のようだが、セシリアは腹をくくった。
「行ってくるわ」
そう言って歩み出すセシリアを、ロゼは柄にもなく心配そうに見つめていた。
「ごきげんよう」とセシリアは笑顔であいさつする。
クリスティーナたちは、一斉に真顔になってこちらを見た。こちらはロゼに情報をもらうまで誰一人知らなかったが、向こうは一人残らず自分を知っているらしい。
「ああ、アディソン家の御方でしたっけ。今は無き」
「クス……ちっぽけなネックレス。相変わらず質素でいらっしゃるのね」
「ねえねえ、それっておばあ様のドレスか何か? 何て古い型なのかしら、歩く歴史書のようだわ」
クスクス、クスクスと嘲笑がセシリアを包む。我慢できなくなったセシリアが口を開こうとした瞬間、
「皆さん、およしになって。よってたかって、みっともありませんわ」
クリスティーナだった。彼女は本気で怒ったように柳眉をひそめる。
考えてみれば、彼女に笑われたことも何か酷いことをされたこともない。
本当はいい子なのかも、と思いつつ、だが警戒は決して緩めない。
「ねえ、セシリアさん。お茶でもいかが? せっかくですもの、ね?」
さっそく敵陣に乗り込むのは気が引けたが、ここで退くようなら最初から彼女らに接触しない。
「ええ、ぜひ」と余裕の笑顔を見せた。
クリスティーナの部屋は花がたくさん飾られ、愛らしいヌイグルミや陶器の置物が並んでいた。
これこそがいわゆる女の子の部屋というものか、と女の子であるはずのセシリアが驚嘆して物珍しそうに眺める。
その間も、円卓を囲む少女らは、やれ宝石がどうだの舞踏会がどうだの、セシリアそっちのけで豪奢な話に花を咲かせていた。
正直、大あくびをかましたいくらい暇だ。
「セシリアさん、ごめんなさいね」
気遣うように謝ったのはクリスティーナだった。
「わたくしからお誘いしたのに。つまらないでしょう?」
「いいえ、話を聞いているだけで楽しいわ」とセシリアは思ってもないことを言った。
だがクリスティーナは心からホッとしたように、微笑を零す。自分が男なら、その仕草にきっと心を奪われていただろうとセシリアは思った。
(何だか拍子抜け)
真っ向から対決してやろうとしてきたが、そのリーダーたる彼女のこの純粋かつ親切っぷり。
肩透かしをくらったかのように、もう五杯目の紅茶を啜った。
「ねえ、セシリアさん? 陛下に追い出されたのに、どうしてわざわざ戻ってこられたの?」
唐突に、真ん丸い、満月のような顔の少女に尋ねられる。彼女の手にあるカップは、やけに小さく見えた。それを分厚い唇でチマチマ吸っているのは、何とも滑稽だ。
「そうよね、マリアンヌの言うとおり。お優しい陛下の御心を利用する何て、酷すぎやしません? 恥知らずもいいところですわ、最低」と他の少女らも頷く。
セシリアの眉間に青筋が浮かぶ。ひどい目に遭ったのはどっちかも知らないくせに。
「おほほほ、利用なんてまさか。陛下に謝るから戻ってきてくれ~って泣きつかれたもので」
多少の脚色はあるが、大方事実だ。
だが丸テーブルを囲む少女らは、頬を引きつらせながらも「御冗談を」クスクスと笑う。
いよいよ全面対決かと、思ったが、クリスティーナがまた止めた。
「皆さん、およしなさいったら。そうですわ、親睦の意味を込めて、今度パジャマパーティーをいたしませんこと?」
「パジャマパーティー」の言葉にドキッとした。ロゼの情報によれば、それは部屋に陛下以外の男を招いて……。
「お菓子を食べながらワイワイ夜更かしすれば、きっと打ち解けられますもの」
その説明では、間違いなく一般的なパジャマパーティーに思えるが。セシリアは疑いの眼差しを送る。
「そ、それって、本当に普通のパジャマパーティー……よね?」
「普通の、とはどういう意味ですの?」
クリスティーナは大きな瞳をパチクリとさせ、きょとんとして首を傾げる。まるで穢れを知らない天使のようだった。
夜な夜な貴族らと……というロゼの情報が間違っているのではないか、とさえ思いはじめてしまう。
「セシリアさん、怖がらないで。お喋りはお嫌いじゃないのでしょう?」
「え……ええ」
「良かった、なら参加決定ね。明日、きっとよ!」
強引に参加決定にされてしまったのはマズいと思ったが、嫌なら後からでも断ればいい。
そのとき、ドンドンと少々乱暴気味に扉がノックされた。クリスティーナの侍女が「ただ今」と立ち上がって扉を開け、現れた人物にセシリアはドキッとした。
そこにいたのは、クライドだった。
王たる彼が、後宮の女性の部屋に来る意味は一つで、ここはクリスティーナの部屋。
なぜかセシリアはズキリと、胸が抉られるような痛みを覚えた。
「へ、陛下……っ! お久しぶり――」
嬉しそうに立ち上がって近づくクリスティーナには目もくれず、クライドは彼女を押しのけてセシリアの前に佇む。
「セシリア、なぜ部屋にいない」
「え? わ、私……?」と胸に手を当てる。
「そなた以外、他に誰がいる」
どういう意味で言ったのかも分からないのに、その一言にひどく安堵した。
「わざわざ探しに来られたんですか?」
図星をさされ、クライドは僅かに頬を染めた。
「煩い。戻るぞ」
腕を掴んで引き上げられたが、彼女らの視線が突き刺さって焦燥感を覚える。満月顔の彼女など、鼻の穴も口も全開だった。
「け、結構です。お友達とおしゃべりをしてるんで」
「は? なんだ、もしかして昨日そなたを可愛がりすぎたのを根に持っているのか」
(どこで何を言うの、この人はッ!!!)
ここには彼を慕う女性ばかりであることに気付いていないのか、と床に座らせて問いただしたくなる。
「そ、そうじゃなくて!」
クライドはわざとらしくため息をつく。
「なら……出ていけ」
「は?」
怒気を含んだ声に一瞬ヒヤリとしたが、クライドの視線から、どうやら自分に言われているわけではないらしいと悟る。
「ここにいるそなたら全員に言っている。今すぐこの部屋から出て行け!」
言うが早いか、セシリアの腕を掴むと、クリスティーナの寝室がある、奥の部屋へ引きずっていく。
「ちょ、ちょちょちょああ!」
茫然と成り行きを見守る彼女らの視線が突き刺さり、セシリアは赤面して必死に抵抗した。
「わわ、分かりました、部屋に戻ります、戻りますから!!!」
「もう遅い」
「陛下? ねえ、聞いてくださいって、ねえ!」
だが男の力に敵うはずもなく、ずるずると連れ去られていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「他人の部屋で……こんな。しかも部屋の主を追い出してだなんて」
クライドの逞しい腕に枕されながら、シーツでしっかり胸元を隠す。
「言うことを聞かない、そなたが悪い」
クライドは体を起こし、髪を掬い上げながら、気遣うように頬に優しいキスを落とした。顔を上げ、臣下が見れば驚くであろうほどに穏やかに微笑む。
その笑顔がまた秀麗なこと。
「余がこれほど愛しているのに」
顔だけはとびぬけていいクライドの囁きに、カッと顔が熱くなり、胸がどきどき高鳴った。
いや、性格は確かに悪いが、自分だけにはかなり優しくしてくれているらしい。
(本当に私だけかどうかは、分からないけど)
そう考えると、妙に気持ちが沈む。
「どうした」
クライドが心配そうに覗き込んだ。その優しげな瞳に吸い込まれそうになる。
「へ、陛下……。もしかして、今も他の女性の部屋にも通ってらっしゃるんですか」
「ほう、気になるのか」
意外そうに、しかし嬉しそうにクライドは口角を上げる。
クライドが部屋に通えば、自分以外にもひどい目に遭う子がでるかもしれない。
セシリアはその予防をするつもりでは言ったが、クライドがクリスティーナを尋ねて部屋に来たのだと思った時、強いショックを受けたのも事実。
キュッとシーツを握りしめた。
「少しだけ……」
彼女のどこか寂しげな表情と一言で、興奮が蘇ったらしいクライドが瞳を熱っぽく揺らめかせる。
「……セシリア」
焦れたように、セシリアをシーツの中へ引きずり込んだ。