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第十五話:帰還

「また戻ってきたわけね、ここに」


 腰に手を当て、後宮内にある宛がわれた部屋を見渡す。先日まであの王から逃げられたと思っていた、あの解放感が嘘のようだと思った。


「妊娠云々を検査ミスで済ませるなんて、本当にいつも強引なんだから!」


 だが母のマイラもメイドのドリーも、今回の騒動で夫婦の絆が強まっただのというクライドの嘘八百の演説に感激し、うっすらと涙まで浮かべていた。

 正直セシリアも、


――『この家のことはご心配なく。アディソン家は私にとってかけがえのない家族です。義父上のおられない分、私がセシリアとこの家を守りましょう』


 という部分には思わず胸を打たれてしまったが。


「騙されちゃだめよ、セシリア! あの人は腹黒なんだから、あんなピュアなこと思ってるはずない!」


 だが豹変した幼馴染の脅威から、身を挺して守ってくれたことは事実。そんなクライドに、ひと時とは言え恋をしたことも。


「違う違う違うっ!」


 ふと視線を上げる。

 少し寂しくなっていたキャビネットの上には、以前ロゼに勝手に取られていた物が戻って賑わいと取り戻していた。ホコリも無く、自分がいない間にも手入れがされていたらしい。

 同じ香水の小瓶が二つ並ぶ。

 一つはロゼに取られたが、元々自分のものだった香水。一つはクライドにもらったものだった。 あの人からの初めてのプレゼント。

 それを眺めるうちに、つい笑顔になっていた頬を慌てて引き締める。


(陛下が好きなんじゃなくて、口の利けない騎士のライデック様が好きだったのよ、私は! 王様じゃなくて、俳優に向いてるんじゃないかしら)


 言い聞かせながら首を振る。

 コンコン。

 ドアのノック音にビクリとする。ここを訪れ、ドアを叩くのはあの男しか思い当たらない。

 無視しようとしたが、もう一度強めにノックされ、しぶしぶ扉を開けた。


「はいはい、今開けますから」


 しかし、そこにいたのは予想した人物ではない。


「セシリア・アディソン様ですね」


 この後宮を管理するメイド頭の婦人だった。

 彼女には見覚えがある。それどころか忘れもしない。


 最初にここへ来たとき、案内係を務めていた女性だ。どうすればいいのかと戸惑う自分を、励ますどころか『自分で考えろ』などと冷たい言葉を浴びせかけた張本人。

 それに腹を立て、ヒールを背中にぶつけてやとうとしてクライドの顔面に直撃を……。

 セシリアにとって悪夢のきっかけになった女性だった。


「どうも」


 彼女が自分のことを覚えているのかどうか分からないが、一応挨拶する。


「陛下がお呼びです。一緒においでください」


 さっさと踵を返す婦人――確か名前をミセス・ライトと言った――に、またここから面倒なことが始まらなければいいけど、と思った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「来たか、セシリア」

「陛下……」


 案内されたのは、薄暗い牢だった。石畳の続く湿っぽい部屋は、換気が悪いせいで心なしか息苦しい。


「その向こうに彼女が?」


 古びた木の扉を見つめる。

 牢に着くまでの間に、ミセス・ライトから大方の事情を聞いた。正直あまり会いたくなかったが、放っておくわけにはいかない。

 クライドはセシリアの背中に手を添えると、ゆっくりと扉を開けた。


「ロゼ……」


 何もない部屋の奥に、小汚い木の椅子に拘束されている彼女がいた。

 ろくな食事も与えられていないのか、この短期間でかなりやせ細っているように見えた。あれだけきれいに着飾っていたのに、シャワーも浴びさせてもらっていないらしく、肌は垢で浅黒くなっていた。

 クライドに促され、セシリアはおずおずと部屋に足を踏み入れる。


「そなたをあんな目に遭わせた張本人だ。余としては極刑に値すると思っている」


 小さな声だったが、彼女の耳にも届いていたらしい。ロゼの体が僅かに縮こまった。


「だが奴の処遇はそなたが決めろ、セシリア」


 セシリアはジッと押し黙った。一人の人間の生死を自分の一言に委ねられることになるなど、考えもしなかった。


「いや、そなたには荷が重いか……。なら余が」


 クライドに任せれば、彼女は容赦なく――


「いえ……。しばらく、二人にさせてください」

「断る。お前はそろそろ自分の間抜けさに気付いたらどうだ」


 決意を持って発した言葉をあっさり断られ、セシリアは拍子抜けした。


「ま、間抜け……!?」

「そうだ。お前なら、下らん情にほだされて奴の縄を解きかねん。俺がここで見張っている」

「女には戦わなくちゃならない時があるんです!」

「何だそれは。知るか」

「ちょっとでいいから、お願いを聞いてください」


 クライドは少し悩んだあと、セシリアの耳に唇を寄せた。


「だったら約束しろ。縄は絶対に解くな。あの女にむやみやたらと近づくな。何かあったらすぐに余を呼べ」


 約束の条件を聞く限り、ロゼと二人きりにさせたくないのは、どうやら自分の身を案じてのことらしいとセシリアは悟る。照れくさく思いながら、ふむふむと一つずつ確認するように頷く。


「それと後で余の願いも聞き入れてもらおうか」

「はい。……え?」


 つられて返事をしたが、今のは明らかにこの状況と関係がない。


「よし、ならいいだろう」


「……嵌められた気がするのは気のせい……?」


 閉められる扉に向かってつぶやいた。

 

 深呼吸をして気持ちを入れ替えると、ロゼに向き直った。


「久しぶりね」

「私を殺しに来たんなら、さっさと殺れば」


 うつろな目で床をじっと見つめる。もしかして、捕まったその日からこの状態なのではないだとうかと思った。


「さっきここに来るまでの間に聞いたわ。あなたの家のこと」


 ロゼの目つきが変わる。


「ご両親を早くに失って、小さい頃から弟や妹の為に働いてたんですってね。大変だった――」

「だから何なのよ! うっさいわね!」


 ひじ掛けにくくり付けられた手の指先は、紙をよく触るため油分が無くなり、カサカサになっていた。以前セシリアから奪ったマニキュアも無残に剥げ、女の子とは思えぬボロボロの手になっている。

 クライドには近づくなと言われたが、セシリアはそっと歩みを進めた。


「自分はオシャレしたくてもできない。どれだけ働いても、ここで暮らしてる貴族の女の子たちのようにはなれない。彼女たちは遊んでばかりなのに、欲しい物を何でも手に入れて、美しく着飾って恋の話に花を咲かせる……。自分に出来ないことを、彼女らはいとも簡単に手に入れる。いいえ、生まれながらにすでに持ってる」

「アンタもね!」


 ロゼの視線は、刃のように鋭くセシリアに突き立てられる。


「あのね、言っておくけど、ウチだって家名ばっかりで家計は火の車。あの家の維持費だけでバカにならないし、使用人たちには満足に給料も払えない。新しいドレスどころか明日の朝食すら買えない。あなたに取られた口紅だって、壊されたガラスのお人形だってね、私がこっそり内職して買ったものだったんだから!」


 ロゼは瞠目して口をつぐんだ。


「とはいえ家族を養ってきたあんたの方が、何十倍も苦労して頑張ってきたんだろうけど」


 ロゼはギュッと唇を噛みしめた。

 セシリアはそっと自分の髪飾りを取ると、ロゼのくしゃくしゃになった髪を軽く整えてつけてやった。


「何……っ、何のつもり? 処刑台に付けていけっていうの!!? 私をみんなの笑いものにするために!! そうなんでしょう!」


 セシリアは穏やかに目を細める。


「これ、私が自分で作ったの。今度教えてあげる、節約オシャレ術を」


 ロゼは俯き、体を小刻みに震わせた。


「あんたって……最低のバカ」


 俯くロゼの双眸から次々と大粒の涙が溢れ出し、ポタポタと太腿の上に落ちる。


「……ごめんなさい」


 窓さえもない暗然たる小部屋で、彼女のすすり泣きと謝罪の声が、随分と長い間響いていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「セシリア、そなたは妙な女だ」


 牢から帰る途中、美しく整えられた宮廷の庭をクライドと歩く。牢の中にしばらくいたせいか、外の空気が格別においしく感じられた。


「妙とは?」

「余ならあの程度の謝罪で許そうと思わん」

「き、聞いていらしたんですか?」

「ああ。おかげで余ももらい泣きをしそうになった、そなたのあまりの貧乏さ加減に」


 思わず拳を呼気で温めたくなる衝動に駆られた。


「内職とは何だ。具体的に何をする」

「造花を作ったり、ハンカチを縫ったりしてお金を稼ぐんです」

「単純作業か。思ったより楽そうだ」

「陛下……、たとえ部屋に埋まるほどの花を作り続けても、あなたのお洋服一着にも及ばないことを御存知?」

「知りたくもなかったな」


 ムッとするセシリアを振り返る。その顔は真剣さを帯びていた。


「いいんだな、本当に。あの女を釈放しても」

「ええ……でも私だってお人よしじゃありません。次は許しませんよ」

「そなたの前に余が許せん」


 不意にそんなことを言われ、不覚にもドキリとした。


「陛下だって、私を信じなかったくせに」

「……それについてはもう謝った」

「言っておきますけど、陛下のことだって次は許しませんからね」

「ああ、分かっている」

 

 妙に素直で逆に戸惑う。


「それにしても、今夜は楽しみだな」

「今夜……? 何かあるんですか」

「約束しただろう。そなたの願いを聞き入れてやる代わりに、余の願いを何でも聞くと」


 クライドは内ポケットから、ゆっくりと小瓶を取り出した。クライドが瓶を揺らすと、何やら怪しげなピンク色の液体がチャプチャプと揺れた。


 かなり嫌な予感がする。

 クライドはこれでもかというくらいニコニコと、


「少量だがかなり上等なものが手に入った。いつ試そうかと思っていたが、ちょうどいい」

「あの……一応それが何か聞いてもいいですか……」


 クライドはさらにニンマリと笑うと、セシリアの耳元に唇を寄せた。


「今夜はそなたの方が積極的になりそうだな」


 その一言に、セシリアは卒倒しそうになった。



あとがき

 あけましておめでとうございます。更新が遅くなってしまい、申し訳ございませんでした……。今年はコンスタント更新を心がけますので(また新作に手を染めてしまいましたが)、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

皆様にとって、良い年になりますよう。


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