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第十一話:嵐の中で

               

「今すぐ馬を用意しろ!」


 クライドは侍者に雨除けのロングコートを羽織らせるよう命じると、何の騒ぎかと集まってきた家臣らへそう申しつけた。

 赤や緑の貴族服を着た側近たちは、焦ったように顔を見合わせる。


「陛下、外はこのような悪天候です。一体どちらへ……」

「うるさい! 早くせぬか!」

「ひぇぇ!」


 彼の剣幕にますます怯え、まるで発言権を押し付けあうかのように背中を押し合う。やがてはじき出された一番下の者が、顔を真っ青にして口を開いた。


「おおお、恐れ入りますが、馬はみなこの豪雨と雷に怯え、ろくに前に進むことすらできませぬ。どどどどうかせめてこの嵐がやむまで……」

「余に指示するのか」と睨み据える。

「も、申し訳ありません!!」


 役に立ちそうもない彼らに舌打ちし、クライドは外へ通じる木の扉を開けた。一気に雨が混じった風が吹き付けてくる。


「セシリア……」

「へ、陛下、お待ちください! 陛下ぁ!」


 嵐をものともせず突き進むクライドの後を、家臣らも白いカツラを飛ばされながら衛兵たちと共に追いかけて行った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「セシリア! セシリアああ!」


 真っ黒い雲が終末思想を駆り立てるかのように空を覆っていた。風雨はますます強さを増し、全く衰えを見せない。土地勘のあるクライドですら迷ってしまいそうなほどに、外はその普段の穏やかな様を一変させていた。

 灰色のカーテンが下ろされたかのように前が見えず、声も雨にかきけされてしまう。

 雨除けのコートなど、豪雨を前に何の意味もなしてはいない。まさにびしょ濡れだった。


 どれくらいの時間が経ったのか分からなかった。水を吸った服が重い。ぬかるみが急く歩みを邪魔していた。切り立った山に囲まれた土地柄のせいで、かなりの傾斜が続く。

 衛兵らは彼を見失ったのか、後ろに誰かがついてきている様子はない。たった一人でセシリアを探し続けた。


「セシリア! セシリアああ……!」


 声は枯れ、体力は随分と消耗されていた。雷は激しく降り注ぎ、いつ彼を直撃してもおかしくはない。それ以前に、もう歩くことすらままならないほどに足が震えていた。強い雨は彼の呼吸すら妨げる。

 クライドはついに両膝を地面についた。ビチャリと泥が跳ねる。

 セシリアが城の外へ出たとは限らない。だが言い知れぬ恐怖が渦巻く。


「セシリアあああ!」


 彼のかすれた叫びが響いた。

 季節に関係なく、山の中はかなり肌寒かった。加えて雨が体温を容赦なく奪い去る。

 このまま朝まで見つからなければ、彼女は……そしてかなりの体力を失っているクライドも無事では済まない。

 分かっていても、引き返すなどという選択肢はなかった。再びフラリと立ち上がる。

 見つけるまで、山を駆けずり回る覚悟だった。夜通しでも走り続ける。


「セシリア……そなただけでも助けてみせる」


 そう一歩踏み出した瞬間、目の前に何かの塊が見えた。疲れを忘れ、弾かれたように走って駆け寄る。


「セシリア!」


 だがそれはセシリアでは無かった。親とはぐれたのか、一匹の小さな子ぎつねが丸くなって震えている。


「ちっ!」


 期待した分、クライドはより強く落胆した。


「貴様になど用はない」


 見捨てて進もうとする彼の足に、子ぎつねは必死にしがみついた。


「邪魔なキツネめ!」


 キツネなど、狩りの対象でしかない。愛らしいその子にまとわりつかれようと迷惑でしかなかった。


 蹴り飛ばそうとする足をふと止める。震えるその姿が、なぜか彼女とダブって見えた。セシリアもこのように雨の中、体を震わせているのかと思うと怒気はみるみるうちに削がれていった。

 それにその子の親も、もしかすれば自分たちが狩ってしまったのかもしれないと柄にもないことを考えてしまう。


「……勝手にしろ」


 言葉が通じたかのように、子ぎつねは嬉しそうに飛び跳ねる。


「おい、どこへ行く! おい!」


 言ったそばから子ぎつねは森の中を駆けていった。


「待てと言っているだろう!」とその子を捕まえた。


「これ以上邪魔をするなら崖から投げ落とすからな」


 本気とも冗談とも取れぬ恐ろしげな脅しをかける。だが子ぎつねは急に大人しくなって、じっとどこか一点を見ていた。クライドもそちらへ目をやる。


「――! セシリア……」


 まぎれもない彼女の姿がそこにあった。


「セシリア!」


 急いで駆け寄り、泥の中に横たわるセシリアを抱き起こす。

 

「はあ……は……あ」


 浅い呼吸を繰り返す彼女は、この寒さの中まるで赤い石炭のような熱を持っていた。


「セシリア……」


 顔の泥を拭ってやる。これほど体は熱いというのに、彼女はガタガタと寒さに身を震わせていた。


「お母……さま」

「……セシリア」


 熱に浮かされ涙するセシリアを丁寧に抱え、クライドは嵐の中を引き返して行った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 ベッドに苦しそうに横たわるセシリアを見つめながら、クライドは沈痛な面持ちでその手を握っていた。


「どんどん衰弱しておられます」


 嵐が収まってから招集されたアレックスがそう告げる。風雨は止んだものの、空はどんより薄暗かった。


「今夜が山かと」


 クライドは弾かれたように顔を上げた。


「何だと……セシリアは助かるのだろう!」


 椅子から立ち上がり、アレックスの胸倉をつかみあげる。


「分かりません。手は尽くし――」

「分からぬだと? アレックス、そなた医者ではないのか! なぜ助けられない! そなたもほかの無能な医者と同じなのか! 手を尽くしたのなら助かるはずであろう! 助かると言え!」


 憎しみすらこもったそのまなざしに、アレックスは目を伏せた。


「言いすぎた」と胸倉から手を放す。


「陛下、あなたもお休みになったほうがいい」


 アレックスがそう言うのも無理はなかった。土砂降りの中を駆けずり回り、氷のように冷たい雨に打たれ、クライドも不調を覚えているらしかった。顔が赤く、妙な汗をかいている。

 だが彼はそれに素直に従おうという気はないようであった。ずっとセシリアに付きっ切りで片時も離れようとはしない。

 セシリアのベッドのそばの椅子に再び腰かけ、彼女の熱に震える手を、まるでそれが宝物であるかのように握りしめる。


「アレックス。そなたに余はどう見えている」


 熱のあるクライドさえも“熱い”と感じるセシリアの手を頬に当て、クライドは突然そんなことを尋ねた。

 アレックスは次の言葉を待つように、静かにクライドを見つめる。ひどく哀愁を帯びた、辛そうな横顔が見える。

 クライドは続けた。


「余はたとえ貴族だろうと庶民だろうと、気にくわぬ者は断頭台へ送ってきた。ひと月に何人も処刑していたこともある。その中にはそなたが命を救ったものもあったかもしれぬ。民らの余に対する評価も知っている。だがそれを間違っていたなどと思ったことは一度もない。ただ思うのは――」


 声が震える。


「人の命とは、これほどまでに重いものだったのだな」


 苦しい実感だった。体温より熱い涙がゆっくりと頬を濡らす。


「陛下……」

「その重さに胸が押しつぶされそうだ。壊れそうなほどに。余が次々と処刑を命じてきた人間にも、このように思う者があったのだろうか。何も出来ぬ無力さを感じながら、身を裂かれるような生き地獄を味わう者があったのだろうか」


 苦しみが一言一句に込められていた。愛する者へ訪れようとする死の恐怖に、クライドの中を剣で突き刺されるような激痛が走っていた。


「城の者がよく話していた。いつか母なるキリー河が贈り物として心優しき王妃を授けてくれるだろうと。その者が余の心を癒し、平和な時が訪れるだろうと」


 それは王妃道クイーンロードの贈り物と呼ばれていた。単なる妄想の産物と思っていた。

 

 だが彼女は現れた――


「何を莫迦なと思っていた。だが余も心のどこかでそんな存在を求めていたのかもしれぬ」


 森の中で親を見失った小さき獣を助けたのも、悪くはない感覚だった。以前の自分からは想像もできないこと。知らず、何かしらの影響を彼女から受けているのだろう。


「しかし……神は贈り物ではなく罰を与えようとしているのかもしれん。余のなしてきたことに対して、あまりに命に軽薄であった余に神が報いを受けさせようとしているのかもしれん。もしもそうだとしたら……余は――」

「罰を与えるために誰かの命を奪うなど、神は決してなさりません」


 アレックスの凛とした、とても静かで力のある声がクライドの胸を打った。

 激しい自己に対する憎悪が幾分か薄くなっていく。愚かにも、もしかして自らを犠牲にすれば彼女は助かるのではないかなどと思っていた。


「セシリア様の生きようとする力を信じましょう」


 穏やかな笑顔に励まされるように、クライドはセシリアの手を絶対に離すまいとするように固く握った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 久々の青い空だった。城の周囲をいつもの穏やかな風が河を撫でていく。


「ん……」


 セシリアは一度ギュッと目をつむると、ゆっくりと瞼を押し上げた。視界がぼんやりとしている。


「セシリア様……大丈夫ですか」

「あれ、私、山の中で苦しくなって……?」


 自分を覗き込む美麗な男の顔に飛び起きる。


「神! 神がお迎えに来られたのね! そんな! 私はまだまだやり残した仕返しが――」

「えっと大丈夫……と認定させていただいてもよろしいですか?」

「あれ? アレックス様」


 セシリアは一体どうなったのかと周りを見渡した。確か自分は城を抜け出したものの、山の中で迷子になって気分が悪くなって……そこからの記憶がない。

 だがここはどうやら城の中らしい。ふかふかのベッドもクローゼットも何もかも自分が使っていたものだ。

 いつの間に戻ってきたんだろうと首をかしげた。それになぜ自分の部屋にアレックスの姿があるのかと。


「よく頑張られましたね」


 アレックスはかなりホッとした様子だった。


「いえ、きっとアレックス様のおかげです」


 少しまだ頭が重いが、城を抜け出そうとしていた頃より随分と調子がいい。それにお腹もすいている。


「あ、そうだアレックス様! あの、母は! 母の容体はいかがです? 治療は順調に進んでいますか?」


 それにアレックスは苦笑する。


「四日間昏睡状態で、目覚めの一言がそれですか?」

「よ、四日!?」


 まさか自分がそこまで酷い状態に陥っていたとは思わず、どこか他人事のようにも感じられた。


「ご、ご迷惑をおかけして」

「いえ、それよりセシリア様」とアレックスは深刻そうな空気をまとう。

 

 それにヒヤリとした。


(何? もしかして何か重大な病気でも発覚したの……!?)


 怯えるセシリアに、アレックスが口を開く。


「引き出しやクローゼットの扉をあけっぱなしにしておくのはいかがかと思います。それにドレスも色分けして収納されることを強くお勧めいたします。見た目が美しくないでしょう。生活の乱れは体に出ると前にも申し上げたというのに」


 それにベッドからずり落ちそうになった。


(それって四日昏睡していた人間に“今”言うべきこと!?)


 それを言い出す直前で飲み込む。母親が世話になっている彼にはセシリアもどこか弱かった。

 キュッとベッドのシーツを握りしめる。クライドが母親の担当を辞めさせたと言っていたことを思い出していた。

 

「アレックス様、今日まで母にしてくださってきたこと、感謝いたします」


 アレックスはカルテに何か書き込みながら天使の微笑みを見せる。


「まるでそれが終わってしまうかのような言い方ですね」

「え、だってあの……」


 セシリアがすべて口にする前に、扉が開いた。

 姿を見せた人物にウンザリするかのように、セシリアはわざとらしくため息をつく。


「セシリア……」


 クライドは口元を震わせ、こぼれそうになる涙をこらえるかのように眉をひそめた。だがそれを気取られぬよう、大きく息を吐いて咳払いをする。


「そなた……心配させるな!」


 ずかずかと部屋に足を踏み入れ、彼女に近づく。


「全く、一体何日眠りこけていれば気が済む! 頭の中が溶けたのではないか?」

「はい?」


(四日も昏睡していた人間が目覚めたのに、何て言い草かしら)


 だが彼女には不思議な感覚があった。ずっと夢の中で誰かに名前を呼ばれていたような感覚が。それに導かれるように目覚めに近づいていったような。

 

(まさか……)


 一瞬、それがクライドだった気がして首を振る。彼がそこまで自分のことを案じるなどとは思えなかった。


「陛下、セシリア様はもう心配いりませんよ」

「余は別に心配など……」

「そうですか。では私は一旦これで」

「あの、ちょっとアレックス様!」


 二人きりになどされたくないというのに、アレックスはにこやかな笑みを浮かべて扉の向こうへ姿を消す。

 セシリアは微妙な空気に居心地の悪さを覚えていた。


(お城を脱走したこと、怒ってるんでしょうね)


 ベッドのわきに置かれた椅子に腰かけるクライドの方は見向きもせず、景色を見るためというわけでもないが反対側の窓の外へ視線をやっていた。


「これをやる」


 “何を考えているんだ貧乏貴族”、“馬鹿な真似を”などと言われると思ったが、予想外の言葉にセシリアは振りむく。

 クライドは何か小さな箱を手渡そうとしていた。それにセシリアは苦虫をかみつぶしたような顔をする。


「そのやけにシワシワの包装は嫌がらせですか?」

「黙れ。大人しく受け取れ」

「何だかシミもついてるし。虫でも入ってるんじゃないですか?」

「く……っ。いらんのならもういい!」とクライドはそれをゴミ箱へ放り投げた。


 まさかセシリアが寝込んでいる間、クライドがそれをずっと握りしめていたなどセシリアには知る由もない。

 加えてセシリアはクライドにひどく失望していた。彼はあの時自分を信じず、責め立てるだけで話を聞こうともしなかった。


(やっぱり私は陛下にとって、ただの暇つぶしの玩具だったのね。信じる価値もないような)


 怒りなのか悲しみなのか分からない。ただひどく疲れを覚えていた。


「それよりももっと欲しいものがあります」


 重々しく口を開いたつもりだったが、口調は平静そのものだった。


「何だ」とクライドもなんともなしに答える。


 セシリアはしっかりとクライドの両目を見つめた。


「今すぐ家に帰る許可をください。……もうあなた様の顔も見たくありません」


 セシリアのいつにない真剣なまなざしに、クライドは言葉を失った。そんな彼をしり目にセシリアはさっさと荷造りを始める。

 クライドは片頬を震わせ、視線を泳がせた。


「セ、セシリア、何を言っている。聞け。確かに今回余は――」


「あーはいはい、お母様のことならご心配なく。あなたに頼ることなく自力でお医者様を探します。ここへ大人しく来たのだって、元々はお母様のためだけでしたし。治療費も必ずお返しします」


「そんなものはいらん! セシリア、余は――」


「さようなら、陛下」


 有無を言わせぬ彼女の物言いに、クライドはただ着々と荷物をつめるセシリアを見守ることしかできなかった。


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