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絶対正義の百面記者

作者: 大空渚
掲載日:2026/02/13

1

その男は百の顔を持つと言われていた。

本名は曖昧だ。新聞社では切れ者の社会部記者、警察内部では情報屋、裏社会では使い走り。政治家の秘書、ホームレス、若手起業家、果ては犯罪組織の会計係にまで化けたことがある。

彼の名は仮に、白石と呼ぼう。

白石は「正義は絶対だ」と信じていた。

それは子どもの頃に父を詐欺で失ったことが理由だった。弱い者から奪う者は、すべて裁かれるべきだ。正義とは悪を暴くこと。彼の信念は単純で、曇りがなかった。

そんな彼が潜入したのは、関東一帯を縄張りとする犯罪組織・辰巳会だった。役割は雑用係。名は偽名の「佐伯」。そこに正義はない。暴力、金、裏切り。それだけが支配している場所だと白石は思っていた。

 だが、最初に目にしたのは違った。

組長の辰巳は、毎月決まった額を孤児院に匿名で寄付していた。しかも、返済不能な借金を抱えた老人の帳簿を、そっと破り捨てる姿も見た。


「うちは義理を重んじる。それだけだ」


辰巳はそう言った。白石の中で、小さな違和感が芽生えた。


悪は、悪であるはずなのに。


2

潜入半年。白石は完全に組織の一部になっていた。裏金の流れも、警察との癒着も、敵対勢力との抗争もすべて把握している。

だが同時に、彼は知ってしまった。

辰巳会は、より凶悪な海外シンジケートの流入を防いでいたのだ。

薬物を子どもにまでばらまく連中を、徹底的に排除していた。彼らの縄張りでは、ドラッグの被害が極端に少なかった。

「俺たちは悪だ。だが、無秩序じゃない」

若頭の榊が酒の席でそう言った。

白石は反論できなかった。

警察に情報を流せば、辰巳会は壊滅するだろう。しかし、その隙間にもっと酷い存在が入り込むのではないか。

正義の名のもとに秩序を壊し、より深い混沌を生む。


それは正義なのか?


白石の中で白と黒は混ざり始め、灰色へと変わっていった。


3

ある日、内部抗争が起きた。

若い構成員が裏切り、海外シンジケートと手を結んだのだ。辰巳会内部に薬物を持ち込む計画だった。

辰巳は激怒した。

その若者は捕らえられ、処分が決まった。

白石はその場にいた。

記者として、警察に連絡を入れれば命は救える。だがそれは同時に、組織全体を崩壊させる引き金になる。

若者は震えながら言った。


「俺は金が欲しかっただけだ。正義とか知らねぇ」


榊は静かに答えた。


「正義なんて、誰も言ってねぇ。ただ筋を通せ」


銃声が響いた。

その夜、白石は初めて記事を書かなかった。

自分は何者なのか分からなくなったからだ。

悪を暴く記者か。秩序を守る共犯者か。

百の顔の一枚が、はがれ落ちた。


4

警察の上司から催促が来た。


「もう十分だ。情報を出せ」


白石は迷った。


辰巳は確かに犯罪者だ。恐喝も、違法取引も行っている。だが彼らはこの街の“防波堤”でもあった。

善と悪は線ではなく、濃淡だった。

白石は決断する。

彼は警察に、海外シンジケートの情報だけを流した。

辰巳会の核心は伏せたまま。

数日後、大規模摘発が行われ、海外勢力は一掃された。

辰巳会は生き残った。

榊は白石を見つめた。

「お前、何者だ」


白石は答えなかった。


正義の顔も、裏社会の顔も、どちらも嘘になりつつあったからだ。




5

数年後。

辰巳は病で倒れ、組織は縮小した。街は小さな混乱を経て、別の形の秩序へと移り変わっていった。

白石は新聞社を辞めていた。

彼は今も記録を続けている。

だが記事は出さない。

書いた瞬間、どちらかの正義が消える気がするからだ。

彼は知ってしまった。

正義は刃だ。振るえば誰かを守るが、同時に何かを切り落とす。

百の顔を持つ男は、最後の顔を見つけられないまま生きている。

ある夜、彼は辰巳の墓前に立つ。

「正義って、何だと思いますか」

答えはない。

だが風が吹き、墓前の花がわずかに揺れた。

白石は微笑む。

もしかすると、正義とは“選び続けること”なのかもしれない。

白でも黒でもなく、その都度、誰かの痛みと向き合いながら。

百の顔は、まだ増え続けている。

そして彼は今日も、新しい顔をかぶる。

正義を探すために。

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