Last resort[4]
「そもそもさ。こんなことしたら……二〇一一年に戻っても、俺は消えるんじゃないのか?」
一瞬の沈黙。その問いの重さを量るように、アイはわずかに首を傾けた。
「ああ、タイムパラドックスの心配? 因果が消えて自分の存在がなくなるってやつ?」
軽い調子とは裏腹に、その言葉は拓真の胸に鈍く突き刺さる。
タイムパラドックス──過去に干渉することで、未来に矛盾が生じる現象。
過去に戻り、まだ生まれていない自分の親を殺せば、自分は生まれず、結果として親殺しそのものが成立しなくなる。
いわゆる「親殺しのパラドックス」。
工藤拓真が“今ここにいる”ためには、何千、何万という先祖が一人残らず生き延びていなければならない。
だが、自分はすでに歴史を大きく歪めてしまった。
そんな奇跡的な条件が、なお成立するとは思えない。
「その点は大丈夫だよ」
アイは即答した。
「というか、それはタイムマシンが完成した直後に、真っ先に検証された問題だから。結論も出てる」
「……マジで?」
「マジマジ」
あまりにもあっさり言うものだから、逆に現実感がない。
「実験はね、マウスを使ったの。過去にマウスを送って、そのマウスを過去で殺したらどうなるか、っていう実験」
「……うん」
嫌な話だ、と思いながらも、拓真は静かに耳を傾ける。
「じゃあ問題。未来からマウスが送られた“あと”で、過去に送る予定だったそのマウスを殺したら、どうなったと思う?」
「…………いや……未来から来たマウスが消えた……とか?」
「消えなかった」
アイは淡々と告げる。
「過去に送る予定だったマウスは確かに死んだ。でも、未来から送られたマウスは、生きていたの」
「……へぇ……」
思わず間の抜けた声が漏れた。
「入念に検査して、二匹が同一個体であることも確認された。だから、タイムパラドックスに関する検証は、そこで一応の終わりを迎えたの」
「……ってことは、つまり……どういうことだ?」
「簡単に言うとね」
アイは、指を一本立てた。
「時間を逆行したじょ……物質は、因果律から切り離される、ってこと」
因果律──すべての結果は原因から生じ、原因がなければ結果は存在しない、という法則。
時間が過去から未来へと流れる限り、世界はこの法則から逃れられない。
「……もうちょっと、分かりやすく頼む……」
拓真は再び頭を抱えた。
「過去に送る予定だったマウスが死んだ瞬間、未来そのものは変わった。でもね」
アイは一拍置き、拓真を見た。
「“生きていた未来”の記録は、未来から送られたマウス自身に残ったままだった、ってこと」
拓真は、なおも首を傾げている。
「つまりね。歴史がどう変わろうと、因果律から分離した存在──クドウタクマは消えない」
その名を呼ばれ、胸が微かに跳ねた。
「そして、タクマが知っている一五九八年から二〇一一年までの歴史は……タクマ自身にしか残っていないの」
「俺にしか……?」
「そう。具体的には、記憶としてだけ」
アイの声は穏やかだったが、その内容は残酷だった。
「帰る先は確かに二〇一一年。でも、拓真が知っている二〇一一年とは違う歴史を持つ世界。その“違い”を知っているのは、拓真だけなの」
「……じゃあ」
喉がひくりと鳴る。
「二〇一一年は、俺の知らない世界、ってことか」
「簡単に言えば、そう。でもね」
アイは少し考えるように視線を逸らした。
「そこまで劇的には変わらないはずだよ」
「そんな馬鹿な!」
思わず声が荒らがる。
「江戸時代が丸々なくなるんだぞ!? 日本史的に見て、致命的だろ!」
「……これはシミュレーションと検証実験で分かったことなんだけど」
アイは気圧されることなく続けた。
「時間って、川みたいなものなの。上流でどんなに大きな波紋を作っても、下流に行くほど影響は薄れていく」
確かに、一六〇〇年から百年ほどは大きく歴史が変わる。
だが、それ以降は急速に収束し、四百年も経てば──。
「ほとんど差のない世界に落ち着く、ってわけ」
「……じゃあ、二四〇〇年後なんて、まったく同じじゃないのか?」
「変化は収束しても、消えるわけじゃない」
アイは静かに言った。
「イグノランスの計算では、テロを防ぐために必要だった変化は……ほんの僅かだった」
「……それだけのために……」
拓真は言葉を失った。
「……ここまで、やったのか」
「仕方なかったの」
アイの声は、初めて感情の色を帯びた。
「これが、私たちのLast resortだったから」
「ラスト……リゾート?」
「この計画の名前。日本語で言えば……『最終手段』かな」
「…………」
「私たちは、生き延びるための方法を選べなかった」
アイはまっすぐ拓真を見つめる。
「それは、タクマだって同じでしょ」
全てに納得したわけではない。
だが、自分がなぜここに立たされているのか、その輪郭だけは掴めた気がした。
そして──佐名の元へ帰る道は、もう存在しない。
そう理解した瞬間、視界が暗く沈んだ。
「……なあ」
しばらくして、拓真は掠れた声で尋ねた。
「これが終わったら……アイはどうするんだ?」
「私の仕事は、まだ終わってないからね」
淡々とした答え。
「オーダーが完了するまで、私は仕事を続ける」
「……そっか」
喉の奥が痛む。
「じゃあ……もう、会うことはないな」
「未来がどうなるかなんて、私には分からないよ」
アイは少し困ったように笑った。
「断言はできないけど……多分、そう」
そして、付け足すように言う。
「さっき、タクマが知ってる歴史はタクマしか知らないって言ったけど。私の中にも、記録としては残ってるから」
「……慰めにもならないな」
「だよね」
ほんの一瞬、沈黙。
「……アンドロイドのくせに、気ぃ遣ってんのか?」
「だって、落ち込んでるみたいだったから」
どれほどの時間が経ったのか、拓真には分からなかった。
長かった気もするし、瞬き一つ分だった気もする。
ただ、全身に重たい疲労が広がり、まぶたが鉛のように重くなる。
口を開くのも億劫だったが、最後に一つだけ、どうしても聞きたかった。
「……なあ」
声は、ほとんど囁きだった。
「これで……良かったんだろうか。俺のやったことは……正しかったのかな……」
「それは、分からないよ」
アイは即座に答えなかった。
「私に言えるのは一つだけ」
静かな、しかし揺るぎない声。
「四〇五二年の地球は、タクマのお陰で救われる。──それだけ」
その言葉を最後に、拓真の意識は急速に遠のいていった。
アイが言葉を言い切るよりも早く、世界は白く溶け始める。
音も、重さも、思考も──すべてが曖昧になり。
やがて拓真は、真っ白な混濁の中へと、静かに沈んでいった。
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