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Last resort  作者: 蒼了一


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96/103

Last resort[3]

「簡単に言うとね」


 アイは、まるで天気の話でもするような口調で言った。


「軌道投入の最終プロセスでテロが起こっちゃって、予定とは違う位置に金星が投入されたの」


「……それで、どうなったんだ?」


「本来は地球の正反対──百八十二日後に通過する位置に入るはずだった。でも、八十九日後に通過する位置に入っちゃった」


「入っちゃったって……」


 嫌な予感が、背筋を這い上がる。


「しかもね、公転速度にブレーキが掛かっちゃって、金星は地球より遅く公転してるの」


「……だとしたら、いずれ……」


「そう」


 アイは、両拳を目の前に出した。


「計算上、投入から百二十二日後に──二つの惑星が、どかーん!」


 そして拳と拳をぶつける。


「…………」


 拓真は、言葉を失った。


「……そりゃあ確かに、おおごとだな……」


 喉が、ひくりと鳴る。


「でも、なんでそんなテロを……」


「さあ?」


 アイは肩をすくめる。


「金星は昔から信仰の対象でもあったしね。人類の滅亡を願う狂人なんて、どの時代にもいるよ」


「……話を聞いただけでも、詰んでる感じしかしないんだけど……」


「それでも、どうにかしようって、あらゆる検討はされたんだよ」


 アイの声が、ほんのわずかに重くなる。


「でも……さすがに、この短期間じゃどうしようもなかった」


「……まあ、そうだろうな」


 拓真は深く息を吐いた。


「七五〇年かけて動かした天体を、四ヶ月でどうにかしろって……無茶にも程がある」


 そう呟きながら、拓真の胸に、嫌な予感が確信へと変わっていく。


 ──ここまで話を聞かされた理由は、きっと一つしかない。


 そしてその予感は、まだ言葉にならない重さを伴って、静かに心の奥に沈んでいった。


「ただ一つ──イグノランスの提案を除いてね」


 その一言で、拓真の胸に嫌な予感が走った。


「それって言うのが……まさか……」


「クドウタクマを二〇一一年から一五九八年に送り、一六〇〇年から二〇一一年に帰すこと!」


「なんでだよ!」


 声が、反射的に弾けた。


「どこをどうしたら、そんな話になるんだ! 頭イカれてんじゃねえのか!?」


 感情が先に噴き出し、思考が追いつかない。世界の存亡だの、惑星衝突だの、そんな壮大な話の末に行き着いた答えが──工藤拓真?


「まあまあ、そんなに興奮しないで」


 アイは相変わらず落ち着いている。


「正直言うとね、なんでイグノランスがこの提案をしたのか、誰にもわからないの。イグノランスの思考プロセスは、人間には到底理解できないから」


「……そんな当てにならない話、本気で信じてるのか?」


 吐き捨てるように言うと、アイは即座に首を振った。


「イグノランスが誕生してから八百十八年。提案が間違っていたことは一度もないよ」


 一拍置いて、淡々と続ける。


「間違いを犯すのは、いつも人間の方」


「そんな……だからって……」


 拓真は言葉を失った。反論したい。だが、論理の隙が見当たらない。


「まあでも、この話は拓真にとっても、悪いことばかりじゃないんだよ」


「どこがだよ!」


 思わず叫ぶ。


「俺の人生を、勝手に弄びやがって!」


「そうかなあ」


 アイは、少し首を傾げた。


「ラッキーだったと思うけど。もしイグノランスがこの提案をしなかったら、拓真はどうなってたと思う?」


 その問いに、拓真は口を閉じた。


 答えは、考えるまでもない。


 ──二〇一一年三月十一日。


 津波。瓦礫。押し潰される感覚。

 もし、未来からの介入がなければ、自分はそこで終わっていた。


「……あ、そういうことか」


 ぽつりと漏れた声は、驚くほど静かだった。


 一連の出来事を「命の代償」だと考えれば、確かに自分は生き延びた側だ。理屈としては、納得できてしまう。


 だが──。


「でもさ……」


 拓真は、なおも食い下がる。


「タイムマシンなんて便利な物があるなら、テロが起きる直前に行って防いだ方が確実だろ。なんで、そんな回りくどいことをするんだよ?」


「その方法も、当然検討はされたと思うよ」


 アイは即答しなかった。


「でも、イグノランスが提案しなかった以上、何か理由があるはず。……私にも、それは分からないけど」


「分からない分からないって……」


 苛立ちが、再び胸に溜まる。


「イグノランスが歴史を変えるなら、対抗してテロリストが歴史を変える可能性だってあるんじゃないのか?」


「四〇五二年の時点では、その可能性はゼロだね」


 即答だった。


「タイムマシンは世界に一機だけ。起動には莫大なエネルギーが必要で、使用には世界連邦議会の承認が要るの。テロリストがどれだけ資金を持っていても、使うことは不可能だよ」


「へえ……」


 拓真は半ば呆れたように息を吐いた。


「これ、そんな大層な代物だったのか」


 そう言いながら、足元──光に包まれた地面を拳で叩く。


「この球は、タイムマシン本体じゃないよ」


「……じゃあ、今乗ってるのは何なんだ?」


「ただの転送現象。乗り物じゃない」


 さらりとした口調で、アイは続けた。


「本体は、四〇五二年の太陽の衛星軌道上。全長七〇〇キロの人工衛星で、直接太陽エネルギーを集めてるの」


「七〇〇キロ……」


 想像が追いつかない。


「太陽に最も近い人工物だからね。そこで得たエネルギーで、この現象を起こしてる。私は、そのタイムマシンに座標を送る外部端末なの」


「……え?」


 拓真は、思わずアイの顔を見つめた。


「人間なのに……端末?」


「あれ? 言ってなかったっけ」


 アイは、何でもないことのように言う。


「私、人間じゃないよ。このプロジェクトのために製作されたアンドロイド」


「……は?」


「正式名称はSTETⅣ──時空間伝送装置外部端末。

 Spatiotemporal

 Transmitter

 External

 Terminal

 Ⅳ

 ラボで付けられた名前がアイヴィー。誰からも親近感を持持たれやすいように設計されたの」


「……信じられない」


 拓真は、素直にそう呟いた。


「ここまで普通に会話してて、全然気づかなかった」


「二〇〇〇年後の技術だからね」


「……凄ぇ……」


 そう言われても、目の前の存在はどう見ても“人間”だった。表情も、間も、言葉の選び方も、すべてが自然すぎる。


 二十一世紀の人類が到達し得ない領域──そう考えるしかなかった。


「凄いでしょ」


 アイは、少しだけ誇らしげに笑った。


「でも、そんな凄い技術があっても……テロは防げないんだな」


 拓真の声は、沈んでいた。


「人間そのものは、進化してないからね」


 アイは静かに言う。


「金星移動計画に反対してるって理由だけで、人間はイグノランスの関与を制限した。そして結果的にテロを許した」


「……それが、防げなかった理由か」


「一因なのは確かだね」


「間違いを犯すのは、いつも人間の方……か」


「残念だけど、まあ、そう」


 しばらく沈黙が落ちた。


「……そういえばさっき、『四〇五二年の時点では』って言ってたな」


 拓真が、ふと思い出したように言う。


「将来的には、テロリストがタイムマシンを使う可能性もあるってことか?」


「可能性が、永遠にゼロとは言えないね」


「だったらさ」


 拓真は、眉をひそめる。


「タイムマシンで未来を確認すればいいじゃないか」


「それは出来ない」


 アイは、はっきり否定した。


「タイムマシンは万能じゃない。時間を、段数の増え続ける階段だとしたら……」


 ゆっくりと言葉を選ぶ。


「タイムマシンが存在できるのは、最上段だけ。過去という階段を上り下りすることはできるけど、それより上──未来へ進むには、時間が経つのを待つしかない」


「……なるほどな」


 拓真は、深く息を吐いた。


「だいたい事情は分かってきたよ。まだ聞きたいことは山ほどあるけど」


「何でも聞いて」


 アイは、真正面から拓真を見た。


「タクマの質問には、出来る限り答えるから」


「そうだな……そうだ!」


 拓真は、不意に思い当たったように顔を上げた。

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