Last resort[1]
アイに触れられた瞬間、世界が弾けた。
白とも金ともつかぬ眩い光が視界を覆い、音も風も一切を置き去りにして、周囲が一気に切り取られる。気づいた時には、拓真は尻餅をついたまま、その場に取り残されていた。
手のひらには確かに土の感触がある。冷たく、湿り気を含んだ、大地の感触だ。だが、どこにも体重が乗っていない。踏ん張ろうとしても、力が伝わらない。まるで宙に浮かぶロープウェイのゴンドラに座り込んでいるかのような、頼りない浮遊感。
──空間ごと、抉り取られた……?
ぼんやりとした思考の中で、拓真は理解する。自分たちは地面の一部ごと、球状に切り離されているのだ。光の壁に包まれた、歪な密室。その中心に、自分とアイだけがいる。
「こ……これは……?」
掠れた声で問いかけながら、拓真は目の前に座るアイを見た。彼女は落ち着いた様子で、表情に戸惑いはまったくない。
「大丈夫?」
「大丈夫って……これは一体……?」
「これ? これはまあ、時空転送シークエンスの初期段階……いや、タイムマシンって言った方がわかりやすいかな」
「……これが!?」
「そうだよ」
口を開けたまま、拓真は再び周囲を見渡した。光の内壁は脈打つように揺れ、外の世界との境界が完全に断たれていることを否応なく主張している。
「そんな……」
理解が、思考が、現実に追いつかない。
「どうして……」
「突然で悪かったとは思うけど、こっちも色々と都合があってね」
狼狽する拓真とは対照的に、アイの声音はどこまでも平坦だった。その落差が、拓真の胸をざわつかせる。
「それで……これからどうなるんだ?」
「どうなるって、二〇一一年に帰るだけだよ」
「そんな! いきなり何なんだよ!」
「まあまあ、落ち着いて……って言いたいとこだけど、そうもいかないか」
「元に戻してくれ!」
「元って、一六〇〇年に? 悪いけどそれはムリ」
その瞬間、拓真の中で、何かが音を立てて切れた。
「ふざけんな! いきなり何してくれてんだ!!」
本来なら、目の前のアイに掴みかかっていてもおかしくない。だが、身体はまったく動かなかった。首から下が、完全に凍りついたように、微動だにしない。時間そのものが止められたかのようだ。動くのは口だけ。それが余計に、怒りを増幅させた。
「いいかげんにしろよ! 勝手すぎんだろ! 帰るって約束したんだよ俺は! 今すぐ帰せ! 俺を元に戻せ!!」
叫ぶ声は次第に震え、熱を帯び、涙を含んでいく。だが、アイは何も言わない。ただ静かに、拓真を見つめている。
やがて怒号は力を失い、縋るような声に変わっていた。
「なあ、頼むよアイ……佐名さんと約束したんだ。必ず帰るって……なのに、こんな仕打ち、あんまりだ……酷すぎる……帰してくれ……頼むよ……」
身体が動かせない。涙も、鼻水も、拭うことすらできない。ただ零れ落ちるままに任せるしかない。
その沈黙の中で、アイがぽつりと呟いた。
「タクマは……いつかこうなるとは思ってなかったの? それで、覚悟も無しに戦場に来たの?」
言葉が、胸に突き刺さった。
「生きて帰る」──それは、有史以来、戦場に赴いた幾万もの兵たちが口にしてきた言葉だ。そして、どれほどの約束が果たされることなく、無念の中で散っていったのだろう。
少なくとも、自分は覚悟して関ヶ原に来たはずだった。ここで命を失うことも、あり得ると理解し、受け入れたつもりでいた。それなのに今、自分は帰れないと知って泣き叫んでいる。
佐名を龍仙寺に留めた時も、想いを告げた時も──こうなる可能性を、心のどこかで分かっていたはずだ。
──忘れるな。俺はこの時代の人間じゃない。安土桃山にいること自体がおかしいんだ……。
それでも佐名を愛してしまった。深く結ばれてしまった。もし自分を失えば、彼女はどれほど傷つくだろう。自分の命が失われることよりも、彼女の心が壊れることの方が、耐え難かった。
だが、それもすべて、自分が選んだことだ。逃げ場はない。責任は、全部、自分にある。
涙が止まらない。きっと、大切な人の元へ帰れず、想いを抱えたまま世を去っていった者たちは、皆、同じ気持ちだったのだろう。
津波に呑まれる刹那、無念の思いが脳裏をよぎった。自分は偶然、生き延びただけだ。思いを胸に抱いたまま逝った人々は、どれほどの無念を抱えていたのだろう。
胸が張り裂けそうだ。
やがて拓真は、がくりとうなだれた。口を閉じる。涙ももう、涸れ果てた。
「タクマの気持ちはわかるし、私も出来るなら言う通りにしてあげたいけど……そんな権限も能力も、最初から付与されていないの。だから、何にも出来ない。ごめんね」
淡々とした声だった。慰めようとも、言い訳しようともしていない。ただ事実を述べているだけだと、はっきり分かる言い方だった。
拓真はうつむいたまま、返事をしなかった。
アイが何者なのかは、相変わらず分からない。だが一つだけ、はっきりしたことがある。この状況を覆す力を、彼女は持っていない。少なくとも、自分の望む形では。
──それでいい。
そんなことは、もうどうでもよかった。
頭の中には、たった一つの問いだけが渦巻いている。
なぜ、俺なんだ?
理由が欲しかった。納得でも、諦めでもいい。ただ、この理不尽に名前を与えたかった。
「それでさ……」
沈黙を破るように、アイが言葉を選びながら続ける。
「知りたいこと全部は無理だけど、私が知ってることなら答えるよ。……少し、話をしてもいいかな?」
拓真は顔を上げなかった。それでも、その言葉は確かに胸の奥を揺らした。
答えがあるかもしれない。
その可能性だけが、凍りついた思考に、かすかな熱を取り戻させる。
──俺は、まだ何も知らない。
タイムマシンも、タイムスリップも、その仕組みも、誰が何のためにやったのかも。
もしこれが人為的に起こされた現象なら、どこかに必ず出口があるはずだ。雷振筒の時だってそうだった。理解できない現象にぶつかり、試行錯誤し、解決策を見つけてきた。
これは、ただスケールが違うだけだ。
誰かが起こしたなら、誰かが止められる。
そう信じなければ、ここで終わってしまう。
拓真は、ゆっくりと顔を上げた。
「それって……納得できる話なのか?」
「納得できるかどうかは分からないけど……そうだな。じゃあまず、誰がこんな事をしたのか、そこから話そうか」
拓真は何も言わず、ただ小さくうなずいた。
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