閃光[3]
「やった……勘兵衛さん……やった……やったやった……」
桃配山の間近まで辿り着いていた拓真は、立ち昇る狼煙火箭に足を止め、空を仰いだ。
三色の煙がゆっくりと溶け合い、戦場の空を塗り替えていく。
「……終わった……これで……全部……」
言葉にした瞬間、張り詰めていた何かが音を立てて切れた。
膝から力が抜け、拓真は近くの木に手をついて身体を預ける。荒い息が、ようやく落ち着きを取り戻していく。
——終わった。
——もう、誰も死ななくていい。
だが、その安堵はあまりにも短かった。
「クドウタクマ!」
背後から唐突に名を呼ばれ、拓真はびくりと肩を震わせる。
振り返った瞬間、心臓が跳ね上がった。
「アイ!?」
二年前、志津川で出会った——あの謎の少女が、あの時と同じ姿で、何事もなかったかのように立っている。
「元気そうだね。ちょっと痩せてワイルドになった?」
場違いなほど軽い口調。
その声を聞いた途端、胸の奥に溜め込んでいた緊張が一気に溶け出した。
「な……なんで、ここに……? 一体……どうして……」
「まー、色々とねー」
曖昧に笑うその姿が、逆に現実味を奪う。
「……でも、良かった……無事だったんだな……」
その一言を口にした途端、全身から力が抜け、拓真はその場に尻餅をつく。
「ちょっと、大丈夫?」
「大丈夫……大丈夫だよ……。でも……なんで、ここに?」
「前に会った時、言ったでしょ。話は今度するって。それが今だから——行くよ」
「……へ? 行く? どこに?」
「二〇一一年に行くの」
意味を問い返す間もなかった。
アイが自然な動作で拓真の肩に手を置いた、その瞬間——。
光が弾けた。
二人を包み込むように、眩い光の玉が現れ、ゆっくりと宙に浮かび上がる。
地面が遠ざかり、木々の梢を越え、十数メートルの高さで光は静かに揺れた。
——そして。
世界を塗り潰すような閃光が走り、光の玉は跡形もなく消滅した。
同じ現象を、二年前に目撃した三人は、それが何であるかを即座に悟った。
拓真を追っていた又蔵は、最も近くにいながら何もできず、腰を抜かしたまま天を仰いで呆然としていた。
桃配山に集結した龍仙寺衆は、防御陣形を維持したまま山裾を埋め尽くす徳川の将兵と対峙している。
その中心で勘兵衛は、奥歯を噛みしめながら、ただ消え去った空を見つめることしかできなかった。
——生涯かけて守ると決めた男は、もうそこにはいない。
一方、石田本陣の前で戦況を見守っていた左近は、無言のまま兜の緒を解いた。
それを静かに従者へ渡すと、誰に示すでもなく、すでに光を失った空に向かって深く頭を垂れる。
左近だけは、最初から理解していた。
あの謎の光とともに現れた男は、この世の理に属する存在ではない。いつ消え去っても不思議ではない。
そして今、その瞬間は訪れた。
──それは、役目を終えた者へ捧げる、言葉なき礼であった。
*
もはや、大勢は決した。
孤軍奮闘の働きを見せていた福島勢も、ついに力尽きる。
血と泥にまみれ、なお踏みとどまっていた兵たちは、誰からともなく背を向け、先陣衆第一軍は音を立てて崩れ落ちた。勇猛を誇った尾張勢の誇りは、踏みにじられ、戦場に散っていく。
小早川勢の猛撃によって一時は混乱に陥っていた徳川本軍も、ようやく体勢を立て直し、反撃に転じようとしていた。
だが、その矢先——。
家康討死。
その一報が走った瞬間、徳川陣中に張り詰めていた糸は一斉に切れた。
ざわめきは波紋のように広がり、疑念と恐怖が将兵の胸を満たしていく。
大谷吉継は輿の上から戦場を見据え、静かに全兵力の投入を命じる。
この揺らぎを、見逃す男ではない。
温存していた兵が一斉に動き、中央へと殺到した。
徳川本軍は分断され、もはや統制の取れた軍ではなくなる。
一方、桃配山を守備していた徳川勢は、なおも山頂の龍仙寺衆と睨み合いを続けていた。
だが、東山道へ先陣衆第一軍の敗残兵が雪崩れ込んできたことで、その均衡は崩れる。
逃げる者の背中は、逃げる者を呼ぶ。
恐怖は伝染し、徳川勢は引きずられるように潰走を始めた。
予想外の展開に動揺したのは、東軍だけではなかった。
南宮山東部に陣取っていた吉川広家のもとにも、家康討死の報が届く。
だが広家は、眉一つ動かさなかった。
本多忠勝と井伊直政から差し出されていた起請文を、無言のまま篝火にくべる。
紙は赤く縁取られ、やがて灰となって崩れ落ちた。
そして、家康から派遣されていた目付を、すべて始末せよと命じる。
戦闘不参加の密約を知る者は、広家ただ一人。
毛利秀元は何も知らぬまま、戦場の空気だけを感じ取っていた。
証拠をすべて消し去った広家は、何事もなかったかのように秀元へ進言する。
「宰相殿、今こそ好機です。山を下りて敵の脇腹を突きましょうぞ」
南宮山北部に布陣していた先陣衆第二軍は、なお無傷であった。
しかし、関ヶ原から潰走してきた味方と接触したことで、瞬く間に混乱へと引きずり込まれる。
主将、池田輝政は必死に立て直しを図るが、戦闘に参加しないはずの毛利勢が突撃してきたことで、士気は完全に瓦解した。
戦場は、もはや戦場ではなかった。
天満山の軍勢は総掛かりで先陣衆第一軍を追い立て、
小早川、大谷勢は伊勢街道を逃げ惑う徳川本軍を執拗に追撃する。
毛利家を主力とする中国勢は、潰走する先陣衆第二軍の側面を突き、草を刈るように戦果を積み重ねた。
逃げ場は、どこにもない。
慶長五年九月十五日。
朝靄が薄れゆく中で始まった戦いは、こうして終幕を迎えた。
正午過ぎの関ヶ原に——もはや、東軍の旗は一棹たりとも立っていなかった。
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