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Last resort  作者: 蒼了一


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硝煙[3]

 拓真は暗闇の中で膝を抱え、うずくまっていた。


 闇は音を吸い込み、時間の感覚さえ奪っていく。どれほどの間、ここにいるのかもわからない。ただ、頭の中だけが騒がしく、思考が出口を求めて暴れ回っていた。


「なんで……こんな……一体……どうして……」


 声に出してみても、答えは返ってこない。


 思考を重ねれば重ねるほど、問いは増えるばかりで、核心には辿り着けなかった。


 最初は、何かの手違いだと思った。


 ここは自分が設計から関わったシェルターだ。内部構造は指の関節のように把握している。暗闇に目が慣れてから、拓真は壁伝いに移動し、別の出入り口、非常口、人が抜けられそうな隙間──考え得る限りの可能性を一つずつ潰していった。


 だが、すべてが塞がれていた。


 偶然や事故ではない。これは、明確な意思をもって準備された監禁だ。


 意図はわからない。


 だが、この状況に勘兵衛が関わっていることだけは、否定しようがなかった。


「勘兵衛さんが無関係なら……とっくに助け出されている……」


 正義感が強く、融通の利かない堅物。だが、その内側には人情に脆い一面を隠している。


 拓真にとって、これほど信頼できる人間はいなかった。言葉にしたことはないが、心のどこかで──いや、はっきりと──勘兵衛を親友だと思っていた。


 その勘兵衛が、土壇場で自分を切り捨てた。


 なぜなのか。


 誰かに命じられたのか。


 最初から敵だったのか。


 それとも、何か弱みを握られているのか。


 答えのない問いが、ぐるぐると頭の中を回り続ける。


 考えれば考えるほど、胸の奥が冷えていった。


 そんな混乱の只中で、ふと、別の考えが浮かんだ。


「……もしかしたら、これは罰なのか……」


 歴史を変えようとした自分に下された、罰。


 贖罪として、この場所で朽ち果てる運命なのだとしたら──。


 荒唐無稽な妄想だと、誰もが笑うだろう。


 だが拓真は、ずっと怯えていた。人を過去に送り込むなど、人智を超えた力が働いている。その力が、いつか何の前触れもなく牙を剥くのではないかと。


 覚悟は、できているつもりだった。


 だが──。


「……本当に、そんな覚悟……できていたのか……」


 自分の手で歴史を変えるという甘美な誘惑に、抗えなかっただけではないのか。


 問うたところで意味はない。どんな答えを得ようと、すでに歴史は動いてしまった。


「これで……終わりなのか……」


 二年前、死の恐怖に押し潰されそうになった、あの感覚が蘇る。


 だが、今は違う。


 罪は、すでに犯した。


 この時代には存在しない兵器を生み出し、その結果、死ぬはずのない人間が死ぬ。


 その罪の重さは、万死に値する──そう思ってしまうほどだった。


 暗澹たる思いが心を蝕み、全身から力が抜けていく。


 かろうじて身体を支えていた肘が折れ、額が地面に擦れた。冷たい感触が伝わってくるが、顔を上げる気力すら湧かない。


 そのとき、不意に何かが転がり落ちる音がした。


「……?」


 跪いた姿勢のまま俯いていたため、胸ポケットから滑り落ちたそれが視界に入る。


 大黒天の像だった。


「……佐名……さん」


 拓真はそれを拾い上げ、強く握りしめた。


 掌に伝わる小さな硬さが、不思議と現実感を呼び戻す。


 ゆっくりと立ち上がる。


「そうだ……こんな所で、死ぬわけにはいかない……」


 必ず帰る、と言った。


 あの言葉を裏切るわけにはいかない。


「帰らないと……本当に……本当に、スイマセンじゃ済まなくなる……!」


 なぜ、こんな目に遭っているのか。


 それは、今は考えても仕方がない。


 だが、自分はこの状況で、やれることをすべてやったのか。


 佐名との約束を投げ捨てるほど、全力を尽くしたのか。


 拓真は膝についた土を払い、前を見据えた。


 正面の扉。その隙間から、数条の光が差し込んでいる。


 あそこに、全力でぶつかれば──。


 扉を破れなくとも、建付に綻びくらいは生まれるかもしれない。


 覚悟を決め、左肩を突き出す。


 腰を落とし、足場を固める。


「……いくぞっ!」


 駆け出した、その瞬間。


 唐突に、扉が開いた。


「あっ!」


 暗闇に慣れ切った目に、容赦なく日光が飛び込み、拓真の視界は一瞬で真っ白に染まった。


 *


「ご無事でごぜえやすか、内匠様……」


 白く溢れる光の向こうから、押し殺したような又蔵の声が聞こえてきた。


「……又蔵さん?」


 拓真は反射的に手で目元を覆いながら、壁伝いに外へ踏み出した。


 閉ざされた闇から一転、朝の光が容赦なく視界に流れ込む。視界が滲み、輪郭が揺れる。


「ちょっ……どうしたんです? 一体、何が……?」


 徐々に光に慣れてきたその目に映ったのは、思いもよらぬ光景だった。


 又蔵が地面に両手を突き、額を土に擦りつけている。卑屈なほど深い土下座だった。


「お詫びのしようもごぜえやせん……」


 掠れた声が震える。


「あっしが……内匠様を、取り籠めやした……!」


 拓真は言葉を失った。


「なんで……どうして、そんなことを……?」


 問いかける声は、自分でも驚くほど弱々しかった。


「へえ……垣屋様のお言いつけで……」


 そう言いながら、又蔵は懐に手を入れ、一枚の紙を取り出す。


「……勘兵衛さんが……」


 差し出された紙を受け取り、拓真はゆっくりと広げた。


 それは、勘兵衛の手紙だった。


 崩し字の多いこの時代の文書にしては、異様なほど読みやすい。


 字を追うたびに、それが拓真のためであることが痛いほど伝わってくる。口語に近く、言葉を選び、噛み砕くように綴られていた。


──────────────────────────


 内匠頭殿

 

 こたびの仕打ち誠に申し訳なく候

 生きて再び見えることあらば

 幾重にもお詫びいたす所存

 

 なれど我らが向かうは死地

 かような地へ同道いただくわけには参りませぬ

 

 内匠頭殿は天下の宝

 どうか御身を無事に

 

 後の手はずは又蔵にまかせ

 佐和山にて我らの帰りをお待ちいただきたく候


                    勘兵衛


──────────────────────────


 拓真の胸に、鈍い衝撃が走った。


 たとえどれほどの修羅場であろうと、桃配山へ行くつもりだった。


 命を落とすかもしれない。


 あるいは、自分の手で誰かの命を奪うかもしれない。


 それでも行く。


 それが、この状況を生み出した自分の責任だと、覚悟していた。


 だが──。


 勘兵衛の方が、はるかに「工藤拓真」という人間を理解していた。


 ──善良な人間ではあるが……侍ではないな。死に、狼狽えすぎている。


 それが、勘兵衛が最初に抱いた拓真への評価だった。


 そしてその認識は、この二年で揺らぐどころか、より確かなものになっていた。


 心が優しすぎる。


 人の死に耐えられない。


 そういう人間は、戦場では生き残れない。


 桃配山に家康が姿を現した時点で、拓真の役目はすべて終わった。


 あとは勘兵衛たちが引き受けるべき仕事だ。


 だからこそ、この先は拓真の安全を最優先にする。


 本来なら先に佐和山へ帰るよう説得すべきだった。だが、拓真がそれに応じるはずがないことも、勘兵衛にはわかっていた。


 時間はない。


 だから、あれほど強引な手段を取ったのだ。


「……勘兵衛さん……」


 拓真は、手紙を握りしめたまま立ち尽くした。


 その真意を理解した瞬間、胸の奥が冷え、同時に熱くもなった。


「内匠様……」


 又蔵が、再び頭を下げる。


「後生ですから……あっしと一緒に山を下りてくだせえ。職人達が先に行って道を見張っておりやす。今なら、まだ誰にも見つかりやせん……」


 その必死な声に、拓真は何も答えなかった。


 ただ、静かに背を向ける。


 桃配山までは、わずか一キロほど。


 獣道ゆえ時間は掛かるが、この半年、何度も往復してきた道だ。身体が、足が、その感触を覚えている。


 もはや、襲撃前に勘兵衛と合流することは叶わないだろう。


 それでも──。


 できるだけ近くで、事の顛末を見届けたい。


 その衝動が、理屈を押し流した。


 拓真は、駆け出した。


 背後で又蔵が何か叫んだ気がしたが、振り返らなかった。


 胸に残るのは、感謝と怒りと、どうしようもない悔恨。


 それらすべてを抱えたまま、拓真は桃配山へと走った。

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