十五日[4]
夜明けと同時に、拓真たちはシェルターを出た。
山肌を三十メートルほど下った平場で、それぞれが無言のまま準備に取りかかる。山裾には一面の雲海が広がり、白くうねる波の向こうに、まだ目覚めきらぬ関ヶ原が沈んでいた。朝の光を受けた霧は淡く輝き、これから血に染まるとは思えぬほど荘厳で、静謐だった。
「内匠殿、物見が帰ってきました」
勘兵衛の隣に、百姓姿の男が控えている。
その男は龍仙寺衆が雇った間者で、昨日の昼から桃配山の動きを張り続けていた者だ。粗末な身なりとは裏腹に、その眼は冴え、緊張がまだ抜けていない。
「内匠頭様の仰せの通り……先ほど桃配山に金扇の馬印が上がりました。内府様の御着陣にございます」
(──よしっ!)
拓真は心の中で叫び、思わず拳を小さく握り込んだ。
胸の奥で、張り詰めていた糸が一気に弾ける。
もはや、躊躇いはない。
家康が天下を望み、それを三成が阻もうとする限り、この二人が同じ空の下で生き続ける道はない。ならば──自分は石田家のために戦う。ただそれだけだ。
大切な人を守るために。
だから、必ず家康を討つ。
そのためには、慶長五年九月十五日の早朝、桃配山に徳川家康が「いる」ことが必要だった。
今、間者の口から告げられた事実は、薄氷を踏むような思いで見守り続けてきた棋譜の──最後の一手が、確かに盤上に置かれたことを意味していた。
「内匠殿。少々、ご相談がござる」
準備に戻ろうとした拓真の背に、勘兵衛が声を掛ける。
「なんです?」
「いや……ここでは具合が悪うござる。穴蔵にて、お話し願えぬかと」
唐突な申し出に、拓真は思わず首を傾げた。
だが、時間の余裕がほとんどないこの状況で、周囲に聞かれたくない話──それは、余程の内容なのだろう。
「ああ、いいですよ。じゃあ行きましょうか」
「あいや。拙者、その前に片付けねばならぬ用がござる。内匠殿は、先に中でお待ち下され」
「そうですか。じゃあ、先に行って待ってます」
拓真は手にしていた装備を下ろし、すでに無人となったシェルターへ引き返した。
「……なんだろ。話って?」
小さく呟きながら、照明を探す。
外はすでに朝だが、内部まで光は届かない。出入り口から差し込む斜光を頼りに周囲を見回すが、火打ち石も火皿も見当たらなかった。
「あれ? この辺に置いたはずなんだけど……奥かな」
壁伝いに歩き、先ほどまで腰を下ろしていた板敷きに辿り着いた、その瞬間──。
ガタン。
鈍い音とともに、背後で扉が閉じた。
一瞬で、世界が闇に沈む。
「……勘兵衛さん!?」
反射的に叫び、拓真は出入口へと駆け寄った。扉に手を掛け、力いっぱい押す。そして引く。だが、微動だにしない。
外側の扉に閂が下ろされている。
人の力では、容易に開けられない。
「おい! 誰だ! ふざけんな! ここ、開けろ!!」
怒鳴り声が狭い空間に反響し、闇に吸い込まれていく。
何度も扉を揺さぶるが、応える声はない。
残ったのは、湿った土の匂いと、自分の荒い息遣いだけだった。
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