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Last resort  作者: 蒼了一


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十五日[2]

 南宮山の穴蔵──シェルターは、山肌の斜面にできた窪みを段状に削り、上から蓋をかぶせた造りをしていた。人が腰をかがめねば進めぬほど低く、天井までの高さは平均して百三十センチほどしかない。土嚢と板で組まれた屋根の上には分厚く土と草木が盛られ、出入り口も換気口も周囲の地面と完全に同化している。外から見れば、そこに人が潜んでいるなど想像もつかぬ、ただの山の一部だった。


 昼間であっても外光は一切入らず、内部は常に薄闇に沈んでいる。湿った土の匂いと、こもった空気が肺の奥にまとわりつき、長く居れば精神まで押し潰されそうになる。居住空間としては最悪だが、人目を忍ぶという一点においては、これ以上ない隠れ家だった。


 大垣城出撃軍から分離した拓真たちは、予定通りこのシェルターへ潜り込んだ。


 一段落ついた拓真は、入口から少し奥まった板敷きに腰を下ろし、正面でぼんやりと赤く灯る火皿を見つめていた。炎はかすかに揺れ、天井の低さを強調するように影を歪ませている。本来ならここで短い仮眠を取るべきだったが、胸の奥がざわついてどうにも眠気が寄りつかない。静けさの中で、かえって思考だけが冴え渡っていく。


「ご無沙汰しておりやす、内匠様。筒の手入れは、すべて終わりやした」


 気配に気づいて顔を上げると、又蔵がすぐ隣で身を屈めていた。薄暗がりの中でも、その顔は見慣れた仲間のそれで、妙に現実感がある。又蔵はこのシェルターに備蓄された資材の管理と整備のため、三日前から数名の職人とともにここに詰めていた。


「ああ、ご苦労様です。何か問題はありませんでしたか?」


「へえ、何もごぜえやせん。すべて段取り通りでごぜえやす」


 その即答に、拓真は小さく息を吐く。


「そっか。なら安心だ。それで……龍仙寺の様子はどうです?」


 又蔵は少し考える素振りを見せ、肩をすくめた。


「へえ、相変わらずと申し上げてえんですが……皆様がおられねえせいか、どうにも静かでして。お賀津なんぞは日に三度も風呂に入りやがって、毎日つまんねえ、つまんねえとボヤいておりやす」


 思わず、拓真の口元が緩む。


「そっか、相変わらずか。俺も早く風呂に入りたいな……まあ、上手く行けば明後日には帰れるし。それまでは、ガマンガマンだな」


 龍仙寺を発ってから、まだ半月も経っていない。それでも、こうして土に埋もれた闇の中にいると、あの場所での日々がずいぶん遠い過去のように思えてくる。


 又蔵との短いやり取りを終え、拓真は壁に背を預けた。冷たい土壁の感触が、逆に頭を現実へ引き戻す。懐かしい声を久しぶりに聞いたせいか、張り詰めていた胸の内が、ほんの少しだけ緩んだ。


「……そうだ。あと少しで、帰れるんだ」


 拓真は懐から、佐名にもらった大黒天を取り出し、掌の中でぎゅっと握りしめる。硬い木肌の感触が、確かにそこに「帰る場所」があることを教えてくれる。


 火皿の赤い光を閉じた瞼の裏に残しながら、拓真はそのまま微かな安堵に身を委ね、浅い眠りへと落ちていった。


 *


 やがて夜は白み始める。


 深夜まで大地を叩いていた雨はすでに止んでいたが、その代償のように、関ヶ原一帯には重く粘つく霧が立ちこめていた。湿った冷気が肌を這い、数歩先すら輪郭を失わせる。草いきれと泥の匂いが混じり合い、戦場は息を潜めた獣の腹の中のようだった。


「……今の話、もう一度申せ」


 偵察から戻った物見を前に、三成は仁王立ちのまま声を絞り出した。静かに発したつもりの言葉は、思いのほか震えを帯びていた。


「はっ。関ヶ原に敵方の軍勢が出ておりまする。霧に阻まれ数は知れませぬが、福島、黒田、長岡、加藤──それぞれの旗指物を確かに見届けました。草摺の擦れる音からしても、大軍であることは疑いございませぬ」


 報告が終わると、陣中の空気が一段冷えた。


 左近は腕を組んだまま、ゆっくりと顔だけを三成に向ける。


「……やられましたな。内府様が、ここまで素早く手を打つとは」


 その一言が、現実を鋭く突き刺す。


 三成は思わず奥歯を噛みしめた。


「南宮山の衆は……何をしておったのだ……」


 呆然と漏れた声音は、もはや自分自身への問いだった。


 左近は淡々と、しかし容赦なく続ける。


「出雲侍従様が、我らを売ったのでございましょう。毛利が動かねば、他の勢も身動きが取れませぬ。ここで内府様に恩を売れば、毛利は安泰──そう踏まれたのでしょうな」


「……それで本家を守ったつもりか」


 三成の声に、怒りと失望が滲む。


「奴が天下を奪えば、毛利に手を出さぬ理由(わけ)が無い。目先の安堵に溺れ、潮目を見誤るとは……何と愚かな」


 吐き捨てるような言葉を、左近は静かに受け止めた。


「それを申しても、今となっては詮無きこと。こうなれば、我らが為すべきは一つにござる」


 その言葉に、三成はゆっくりとうなずいた。


 床几台に置かれた鞭を手に取ると、無意識のうちに強く握りしめている自分に気づく。恐れを押し潰すように、柄が軋んだ。


「……お主の申す通りだ」


 覚悟を固めた三成は、鞭の先で霧の向こう──東を指した。


「山際に逆茂木を並べよ。ここで敵を迎え討つぞ!」


「ははっ!」


「左近。儂はこれより備前様の陣へ向かう。戻るまで、ここは任せる!」


 そう言い残すと、三成は幔幕を荒々しく跳ね上げた。


 外に広がるのは、視界を奪う白い霧と、今にも押し寄せてきそうな敵意だけだった。


 濃霧のため敵の実態は掴めない。だが、わずか数百メートル先に敵がいる──その事実だけは、否応なく突きつけられている。


 この状況で軍を大きく動かすことはできない。笹尾山まで陣を広げ、鶴翼乃陣を完成させる余地は、すでに霧の中に消えていた。


 選択肢は、もはや一つしか残されていない。


 西軍は、この場所、この布陣、この条件で──戦うほかなかった。

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