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Last resort  作者: 蒼了一


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83/103

鶴翼乃陣[4]

 東軍の第一目標は、あくまで南宮山に陣取る中国勢であった。


 夜の帳が下り、大垣城から西軍の主力が動いた後も、その基本方針に揺らぎはない。明日、中国勢を叩き潰し、そのまま関ヶ原へ進出。松尾山の小早川勢と呼応し、西軍を挟撃する──それが、家康の描いていた勝ち筋であった。


 だが、その確固たる算段は、日付が変わる刻を前にして、大きく揺り動かされることになる。


「……出雲侍従からの使者とな?」


 本陣の奥。横臥していた家康は、再びやって来た井伊直政の報告に目を開け、ゆっくりと上体を起こした。


「表にて控えておりまするが、いかが計らいまするか」


 闇と静寂に包まれた陣中で、その名はいやに重く響いた。


 家康は一瞬だけ黙考し、やがて静かに立ち上がる。


「会おう」


 本陣の前には、出雲侍従吉川広家の使者が片膝をついていた。雨に濡れ、息を切らせた様子から、その急ぎぶりが窺える。使者は書状を持たず、ただ一通の起請文だけを胸に抱え、口頭で広家の意を伝え始めた。


 南宮山に布陣する毛利軍は、戦に加わらぬ。


 その代わり、徳川方も攻撃を控えてほしい──。


 陣中に、微かなざわめきが走る。


「……侍従殿の申されることは、真でございましょう」


 沈黙を破るように、黒田長政が一歩前に出て言葉を添えた。


 広家は八月初旬から長政と密かに連絡を取り合い、毛利家の内応を約束していた。だが、実権は当主の毛利輝元と安国寺恵瓊に握られたまま。ここに至っても、内応が成る確証はなかった。


 日を追うごとに募る焦燥。


 そして、家康が赤坂に姿を現したことで、その不安は頂点に達した。もし毛利と徳川が正面から激突すれば、もはや内応など望むべくもない。


 数時間後に訪れるであろう最悪の事態を避けるため、広家は独断で使者を走らせた。

 託したのは、南宮山毛利軍の戦闘不参加と引き換えに、攻撃を中止してほしいという請願。無論、それを正式に約する権限など、広家にはない。


 だが──。


 南宮山毛利家の総大将、毛利秀元の補佐役として実質的に軍を動かしているのは広家だ。まだ若く、経験の浅い秀元であれば、説き伏せる自信はある。


 その一点に賭けての、背水の独断であった。


 毛利家が動かなければ、長宗我部や長束と言った、南宮山に集う諸将も動けない。


 それはすなわち、東軍にとって最大の懸念が消えることを意味していた。


「侍従殿の申し分、しかと相分かった」


 家康は満足げに頷き、穏やかな声で言った。


「二位様への御忠勤、まことに感服いたした。流石は、豊臣の姓を賜れたお方じゃ」


 そう言って、左右に控える重臣へ目配せする。


「中書、兵部。侍従殿がご安堵召されるよう、起請を認めよ。——委細承知。御本家のことも、悪しゅうはせぬ。そう口上も添えるのじゃ」


 ほどなくして、本多忠勝と井伊直政の名が記された起請文が用意される。


 それを受け取った広家の使者は、深々と頭を下げ、本陣を後にした。


 そして、その背が闇に消えるのと時を同じくして、赤坂の陣は一変した。


「これで後顧の憂いは消えた!」


 家康の声が、夜気を震わせる。


「今すぐ発て! 皆で謀反人どもを追うぞ!」


「おう!」


 諸将の鬨の声が一斉に応え、陣中は一気に活気づいた。


 武将たちは疾風のごとく自陣へ散り、それぞれが決戦の刻に備えて動き出す。


 静まり返っていた夜の赤坂は、もはや戦の胎動に満ちていた。

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― 新着の感想 ―
関ケ原には昔行きました。「つわものどもが夢の跡」を実感しました。が、最近、関ケ原の戦いも史実がだいぶ見直されているようなので、あの時の思い(大谷さんがここに陣をしいていたのかなど)が合っていたのかとい…
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