表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Last resort  作者: 蒼了一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

76/103

十三夜月[4]

 九月に入ると、西軍の結束には目に見える綻びが生じ始めた。


 張り詰めていた糸が、少しずつ、しかし確実に弛んでいく。陣中には理由のわからぬ不安が漂い、噂は夜の湿り気とともに広がっていった。


 七日。


 北陸攻略に参加していた京極高次が、突如として東軍に寝返り、近江の居城、大津城に立て籠もったという報が入る。


 三成は即座に判断し、一万五千の兵を大津へ差し向けた。反応としては迅速であり、判断そのものに誤りはない。


 もし──小早川秀秋が本気で寝返るつもりならば、この局面で動いているはずだった。


 大津城の後詰として西軍の背後に回り、退路を断ち、一気に形勢を決める。


 だが、秀秋は動かない。


 沈黙は続き、軍勢も相変わらず近江と伊勢を彷徨うばかりだった。


 その態度を見て、三成は結論を下した。


 ──金吾様は、寝返るつもりはない。


 貴人特有の気まぐれ。優柔不断ゆえの逡巡。いずれにせよ、決定的な敵意はないと。


 その判断が、どれほど致命的であったかを、彼はまだ知らない。


「明日、金吾様は松尾山城に入られます」


 拓真の声が、望楼の静けさを裂いた。


 松尾山城──東山道防御の要衝であり、山頂からは関ヶ原一帯を一望できる城。現在は伊藤長門守盛正いとうながとのかみもりまさが守っているが、明日には秀秋がその城を占拠するという。


「松尾山城が……取られるのか」


 左近の顔が、さらに険しく歪んだ。


「さすが内府よ。まったく見事な手並みだ」


 吐き捨てるように言い、低く息をつく。


「口惜しいが……我が殿より、数枚も上手じゃわ……」


 本音だった。


 悔しさと同時に、認めざるを得ない現実が胸を締めつける。


 秀秋が明確に東軍へと心を決めたのは、おそらく八月末。


 それ以降も西軍を装い、厭戦的な態度で近江と伊勢を回遊し、大津城を救援しなかったのは、すべて家康の指示によるものだ。


 そして家康が大垣表に姿を現すと同時に、松尾山城を押さえる。


 それだけで、三成たちは詰む。


 松尾山を押さえられれば、佐和山への交通は遮断される。


 退却も、援軍の合流も不可能となる。


 さらに巧妙なのは、秀秋を近江高宮に置いた点だった。


 高宮は佐和山からわずか一里──およそ四キロ。


 もし三成が家康到着前に美濃からの撤退を決断しても、佐和山城に真っ先に到着するのは小早川勢。秀秋が味方の顔をして入城し、八千の兵で占拠してしまえば、佐和山城は一瞬で陥落する。そして東山道は完全に封鎖される。


 逃げ場はない。


 小早川勢が高宮に布陣した九月七日の時点で、この勝負はすでに詰んでいた。


「……なるほど。これでは勝てぬ」


 拓真の言葉に、左近ははっきりと理解した。


 三成が、どこで、どうして敗れるのか。その全てが、一本の線となって脳裏に繋がる。


「山中に居られる刑部様が、金吾様に当たられます」


 松尾山の麓、山中村に布陣している大谷吉継。


 秀秋に最も近く、そして最も危うい位置にいる将である。


「龍仙寺衆なら……金吾様を押さえられる、というわけか」


「はい。ですが、金吾様と戦うとは限りません」


「……ほう?」


「戦が始まってからも、金吾様は迷われます」


 拓真は静かに言った。


「その間に、我々が内府様を討ってしまえば──寝返る理由そのものが消えます」


 関ヶ原当日。


 史書に語られるのは、参戦を渋る秀秋に業を煮やした家康が松尾山へ鉄砲を撃ち込み、それに驚いた秀秋が山を駆け下って西軍を横撃した、という「問鉄砲」の逸話である。


 それは正午過ぎの出来事とされる。


 だが、その話が後世の創作であることを、拓真は知らない。


 実際には、秀秋は開戦と同時に大谷吉継を攻撃している──それは、二〇一一年三月十一日以降に明らかになった史実だ。


 知らないがゆえに、拓真は賭けに出る。


 そして、その賭けには、明確な理由があった。


「刑部様に、龍仙寺衆を預けるのはいざという時のためか……」


「はい。何卒、お願いいたします」


 拓真は深く頭を下げた。


 だが、その胸中にあるのは、戦術だけではない。


 雷振筒ならば、どれほど不利な局面でも覆せる。


 それほどの兵器を、彼は創ってしまった。


 だが同時に、その引き金を引くたびに、膨大な血が流れることも理解している。


 勝つために必要だとしても、犠牲は最小限に抑えたい。


 吉継に龍仙寺衆を預けても、秀秋が動く前に家康を討つことができれば、二百六十三名は雷振筒を撃たずに済む。


 それが身勝手な偽善であることは、百も承知している。


 それでも──それでも拓真は、雷振筒による流血を、可能な限り避けたかった。


「……わかった」


 左近はしばし考え込み、やがて小刻みにうなずいた。


「お主がそこまで考えて言うのなら、それが良いのだろう」


「刑部様には、儂から話を通そう」


「ありがとうございます」


 拓真は、ようやく胸の重石が外れたように息を吐いた。


 盃に残った酒を一気に干すと、月明かりの下で、ほんのわずかに安堵の色を浮かべる。


 戦は、もう避けられない。


 だが、その中でどれだけ血を減らせるか──それもまた、自分の責任であると、拓真は信じていた。

読んでくださり、本当にありがとうございます!


この作品を「続きが気になる」と思っていただけたら、

ぜひブックマークとポイント評価をお願いしますm(_ _)m


応援が増えるほどヤル気が爆上がりします……!


感想も一言でもくれたら即返信+X(旧Twitter)で感謝ポストします!


次回もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
拓真は歴史の雑誌記事を書いてるくらいには歴史に明るいし、戦国に転移してきた時も年表が脳裏に浮かぶくらいには戦国時代に詳しいのに、何故「問鉄砲」の逸話が創作だと知らなかったのかと途中まで思ったけど… …
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ