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Last resort  作者: 蒼了一


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十三夜月[1]

 濃尾平野は、三つの大河が長い歳月をかけて形づくった土地である。


 東から木曽川、長良川、揖斐川。かつては海だった低湿の地に、三川は幾度も氾濫と沈静を繰り返し、そのたびに土を運び、砂を積み、粘土を沈めた。人の世の興亡など意に介さぬ時間の中で、数万年も費やして育まれた肥沃な平野──それが濃尾であった。


 平地を流れるがゆえに、三川はいずれも流れが緩やかで、川幅が広い。静かな水面の下には底知れぬ力が潜み、軍勢にとっては容易に越えられぬ障壁となる。戦となれば、これらは天然の堀となった。だから美濃の城は、ことごとく川を背負うように築かれている。人が築いた石垣よりも、自然の壁のほうがはるかに信頼できることを、この地はよく知っていた。


 八月十四日、清洲城に集結した東軍四万の軍勢は、まるで濁流が堰を切ったかのように動き出した。福束城を皮切りに、高須城、駒野城、津屋城、竹鼻城──川沿いに点在する要害は、次々と飲み込まれていく。防ぐ側が態勢を整える間もなく、二十三日には岐阜城が陥落した。


 揖斐川より東は、完全に東軍の勢力圏となる。


 三成は清洲城を第一防御線、岐阜城を第二防御線とし、その二重の楯で東軍を迎え撃つ構想を描いていた。地形、城郭、兵力──すべてを理詰めで積み上げたはずの戦略だった。


 だが、その構想は、あまりにもあっけなく崩れ去った。


 誤算の正体は、ただ一つ。


 速度である。


 七月十七日に挙兵した時点で、三成は東軍との本格的な衝突を九月半ばと見積もっていた。上杉征伐に従軍した諸大名が、奥州の始末をつけ、家康の号令のもとに態勢を整え、東海道を西へ進む──それだけの準備と移動には、どう考えても一月半は必要なはずだった。


 常識的な読みであり、机上の計算としては、何一つ間違ってはいない。


 しかし現実は、三成の想定を嘲笑うかのように加速した。


 家康からいち早く西上の命を受けた福島正則は、八月の初めにはすでに清洲城へ帰還し、守りを固めていた。その報せを受けたとき、三成の胸をよぎったのは、焦燥に近い違和感だった。


 早すぎる──そう思った瞬間、嫌な予感が確信へと変わる。


 三成は正則のもとへ再三使者を送り、自らの大義を説いた。豊臣への忠義、天下の安寧、内府の専横──言葉はいくらでもあった。だが正則は耳を貸さない。返ってくる返書は、丁重ではあるが冷ややかで、その行間にはすでに進むべき道を決めた武将の覚悟が滲んでいた。


 それでも、この段階で清洲城を攻略できていれば、戦局はまだ立て直せた。


 西軍の総兵力は、畿内だけでも二十万に迫る。清洲城の守備兵は、わずか六千。数の上では、瞬く間に踏み潰せるはずだった。


 だが、現実は数字ほど単純ではない。


 二十万のうち、九万は伊勢方面へ、三万は北陸方面へすでに侵攻している。戦線を広げた以上、容易に引き返すことはできない。さらに四万二千は大坂城の守備に縛られ、七千は京都の守りを固めて動けなかった。


 差し引いた結果、三成が尾張、美濃に投入できる兵力は、二万六千余りにすぎない。


 地図の上では整然としていた戦略は、現実の兵の配置によって無残に引き裂かれていく。


 三成は理解していた。理屈は正しかった。だが、戦は理屈だけでは進まない。人は動き、噂は走り、決断は想定よりも早く下される。


 濃尾平野を形づくった三つの川の流れのように、戦局もまた、ひとたび動き出せば止めることはできない。


 三成は、その流れに呑み込まれつつある自分自身を、はっきりと自覚し始めていた。


 三成が兵力を分散させた理由は、単なる戦略上の配置ではない。彼にとってそれは、兵の心を繋ぎ留めるための、やむを得ぬ選択であった。


 天正十八年(一五九〇年)。


 豊臣秀吉は北条氏の本拠、小田原城を二十万近い大軍で包囲した。戦そのものは、拍子抜けするほど大きな衝突もなく、三ヶ月ほどで終わった。だが、その静けさこそが、陣営にとって最大の敵だった。


 攻め寄せることもなく、退くこともない。ただ待つ。


 兵にとって、これほど心を蝕む状況はない。暇は不安を呼び、不安は噂を生み、噂は士気を削り取る。秀吉はそれを熟知していた。だからこそ、陣中に見世物小屋を立て、遊女を呼び、芝居を打たせ、宴を開いた。戦場とは思えぬ喧騒で、兵の目と心を現実から逸らし続けたのである。


 三成は、その光景を間近で見ていた。


 華やかな陣幕の裏で、秀吉がどれほど神経をすり減らしていたかも、兵の士気が一度傾けば立て直すのにどれほどの労力が要るかも、痛いほど理解していた。


 だからこそ、彼は恐れた。


 二十万もの大軍を一ヶ所に集め、何もさせぬまま家康の到着を待つ──それは、小田原以上に危うい賭けに思えた。敵が来ない時間が長引くほど、兵の心は弛み、疑念が芽吹き、やがて統制は崩れる。三成には、その未来がありありと見えていた。


 兵を動かし続けねばならない。


 勝敗以前に、まず士気を保たねばならない。


 そうして彼は、兵を各地へと振り分けた。伊勢へ、北陸へ、各方面への進軍は、戦果を得ると同時に、兵に「戦っている」という実感を与えるためでもあった。理にはかなっている。少なくとも、三成の経験と記憶に照らせば、正しい判断だった。


 だが、戦は常に過去の延長線上にあるとは限らない。


 兵を動かしたことで、確かに士気は保たれた。しかし同時に、決定的な瞬間に一気呵成で動かせる力を、自ら削ぎ落としてしまった。


 家康の進軍は、三成の想像をはるかに上回る速さで現実となる。


 小田原で学んだ教訓は、この戦では裏切りとなって返ってきた。


 三成はまだ、その事実をはっきりと言葉にできずにいた。ただ胸の奥に、冷たい違和感だけが沈殿していく。


 ──あの時と、同じではない。


 そう気づいたときには、すでに流れは、彼の手を離れていた。


 揖斐川を境にして勢力圏が西へと押し戻されたとき、西軍の陣中には、はっきりとした潮目の変化が漂い始めていた。攻める側の緊張ではなく、退きながらも態勢を立て直そうとする、重く沈んだ空気である。


 三成は決断した。


 これ以上、無理に前へ出ることはしない。まずは味方を一ヶ所に集め、息を整え、力を蓄える。その拠点として選ばれたのが、大垣城であった。


 大垣城は平城である。天守は平野にぽつりと立ち、山城のように睨みを利かせる高低差もなければ、自然の要害に守られているわけでもない。一見すれば、防御に向いた城とは言い難かった。


 だが、その足元に目を向ければ、評価は一変する。


 城の周囲には、揖斐川から分かれた支流が幾筋も網の目のように走っていた。静かな水路は、地図の上では細い線にすぎない。しかし、ひとたび軍勢が踏み込めば、その一本一本が足を取る罠となる。橋を架けねば進めず、橋を架ければ動きは鈍る。隊列は分断され、連携は乱れ、攻城側の機動力は確実に削がれていく。


 派手さはない。だが、じわじわと相手を縛る地形だった。


 大垣城は、耐えるための城であり、時間を稼ぐための城であった。


 三成はその城を前にして、戦の位相が変わったことを噛みしめていた。ここから先は、勢いで押し切る戦ではない。どれだけ踏みとどまり、どれだけ時間を奪えるか──それが勝敗を分ける。


 退却は敗北ではない。そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥では、主導権が確実に相手へ移りつつあることを、否応なく悟っていた。


 それでも、大垣城にはまだ希望があった。


 味方が集まり、陣が整い、時を稼げば、戦局は再び揺り戻せるかもしれない。水に囲まれたこの城は、剣ではなく時間で敵を削る場所となる。


 三成は、平野に横たわる城と、その周囲を静かに流れる水路を見つめながら、ただ一つの願いを胸に抱いていた。


 ──間に合え。


 この城が、次の一手を打つための猶予を与えてくれることを、祈るような思いで。

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