朔日[3]
長月朔日(九月一日)。
龍仙寺衆はこの日、出陣する。
昼過ぎの境内に、秋の爽やかな風が吹き抜けた。空は高く、雲は薄い。あまりにも穏やかな空模様が、これから向かう先との落差を際立たせている。
拓真は自室で、佐名に出発の支度を手伝ってもらっていた。
「そういえば……こんなふうに、きちんと鎧を着るのは初めてですよ」
「旦那様は背がお高いので、とても頼もしく見えますわ」
佐名は腰帯を締めながら、背中越しにそう言った。
拓真の身長は百七十センチほど。現代では特別高いわけではないが、成人男性の平均が百六十センチ前後の戦国の世では、十分に大柄な部類に入る。
「これで……強そうに見えますかね?」
「それはもう……っと、はい。できました!」
締め終えた拍子に、佐名は小さく息を弾ませた。
「うわ……やっぱり重いな」
拓真は苦笑しながら身体を前後に揺らす。鎧だけで二十キロ近い重さがあり、兜を合わせれば二十五キロを超える。肩や腰にずしりと伝わる重量が、これから向かう戦の現実を否応なく突きつけてきた。
「それにしても……御髪は、ついに間に合いませんでしたね」
佐名は拓真の頭に視線を向け、どこか残念そうに言う。
「ああ。まあ、これは仕方ないですよ。あんなことがありましたから」
武士の髪型は月代と決まっている。
側頭部の髪を残し、前髪の生え際から後頭部までを剃り上げ、残った髪を束ねる──それは武士の象徴であると同時に、極めて実用的な形でもあった。
多湿な日本の気候で兜を被れば、頭部は想像以上に熱を持つ。特に夏場は深刻で、髪を剃らずに兜を被れば、たちまち熱中症に見舞われる。月代は、頭にかかる負担を少しでも減らすために生まれた合理の産物だった。
兜が実用品である以上、戦国、安土桃山の世において、髪を頭頂部に残す武士はほとんどいない。
拓真も本来なら月代にするため髪を伸ばしていた。
だが、半年前に火薬実験中の事故で左側頭部の髪を派手に焼いてしまい、長さを揃えるためにやむなく坊主にした。今ではだいぶ伸びてきたものの、月代を作るにはまだ遠い。
「まあ、こうして烏帽子も被っていますし……今の季節は結構涼しいので大丈夫ですよ」
そう言って、拓真は額を軽く叩いてみせた。
「でも……旦那様の御髪は、私が結いとうございました……」
ぽつりと漏れた佐名の言葉に、拓真は思わず微笑む。
「それは、髪が伸びるまでお預けってことで。戦が終われば、ずーっと一緒なんですから」
「……はい」
佐名の声が、少しだけ弾んだ。
祝言はまだだが、二人はすでに同じ屋敷で暮らしている。朝夕の食事を共にし、日常を分け合う生活は、もはや夫婦同然だった。
忙しさに追われ、新婚らしい時間はほとんど取れていない。それでも、日を重ねるごとに互いの存在は深く、確かなものになっている。
拓真は佐名の顔を見つめながら、胸の奥で静かに誓った。
──必ず、ここへ帰ってくる。と。
「殿。皆の支度が整いました」
着付けが終わった、ちょうどその時。五平の声が障子越しにかかる。
「それじゃあ……行ってきます」
軽く会釈しようとした拓真の手を、佐名が不意に取った。
「これを……お持ちください」
その掌に、何か小さなものを握らせる。
「これは……?」
小さな木彫りの大黒天だった。
お守りとして、佐名が一刀一刀、心を込めて彫ったものだろう。丸みを帯びた顔立ちは、どこか拓真に似ている。
「……ご武運を」
声を詰まらせる佐名を、拓真はそっと抱き寄せた。
「必ず……帰ってきます」
佐名は言葉を返さず、ただ拓真の腕の中で、小さくうなずいた。
──こうして、龍仙寺衆は出陣した。
先発した樫原大炊介率いる輜重部隊二十名を除く三百二十九名は、その日のうちに佐和山城へ入城。
翌朝早く、石田家の重臣、大山伯耆の隊と合流し、大垣へ向けて進軍を開始する。
決戦の地へ向かう道すがら、拓真は胸元の小さな重みを確かめるように、そっと指を添えていた。
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