朔日[2]
「タクミサマ、ちょっといいか?」
声と同時に、襖が勢いよく開いた。
資料と書付に埋め尽くされた拓真の部屋へ、賀津が作業着のまま転がり込むように入ってくる。紙の山に足を取られそうになりながらも、本人はまるで気にした様子もない。
「おう、お賀津か。ちょうどいい。今、一服しようと思ってたんだ」
「タクミサマはのんきだなぁ。こんな時に茶なんて」
賀津は呆れたように言うが、その視線は卓の上をちらりと掠めていた。
「まあそう言うなよ。角倉がくれたカステラもあるぞ」
「ホントかよ! そんなん出されたら話は別だ」
途端に態度を翻し、賀津は即座に胡座をかく。
鼠色の袴に脚絆、頭巾で頭を覆った姿は、一見すれば修験者そのものだが、本人曰くこの格好が一番作業に向くらしい。油と火薬の匂いが、彼女がさっきまで工房にいたことを雄弁に物語っていた。
「……それで、話ってなんだ?」
「そうだ……えっと、んっ!」
賀津は勢いよくカステラにかぶりつき、喉に詰まらせかける。
「落ち着けって。ゆっくり食ってもカステラは逃げないから。ほら、お茶飲んで」
拓真が差し出すと、賀津は素直に湯飲みを受け取った。
多少は女性らしさを意識するようになったかと思えば、忙しい時は相変わらずだ。余裕が削れると、しとやかさなど跡形もなく消える。
「……でな。大垣に送る荷駄の用意ができた。予備の筒が四十八挺、弾が一万八百発」
「うん」
「それで、大炊サマがもう出るって言ってんだけどさ……今日出していいのか? 明日の出陣、みんな手ぶらになるぞ。大丈夫か?」
拓真は湯気の立つ茶を一口含み、落ち着いた声で答える。
「大丈夫大丈夫。槍と刀は持ってくし、佐和山で伯耆様と合流するから」
「みんな槍なんて使えんのか? そんなの見たことねえけど。なんで雷振筒、持たねえの?」
素朴な疑問だったが、それは賀津なりに、龍仙寺衆の心配をしているからだ。
「雷振筒は秘密兵器だからね。あんまり見せたくないんだ。……まあ、これも武略ってやつかな」
「ふ~ん。そんなもんなのか」
賀津は完全に腑に落ちたわけではなさそうだが、ひとまず納得したように頷いた。
「今のところ、ここから大垣までの道は安全らしい。だから心配はいらないよ」
「そっか。ならいいや」
一拍置いて、賀津は指折り数えるように次の話題を切り出す。
「あと、十日に出す荷駄だけど、今須の先の村に送ればいいんだよな?」
「そう。山中村。十日過ぎなら、そこに大谷刑部様が陣を布いているはずだ。荷駄を預かってもらうよう、お願いしてあるから」
「じゃあ、その次はどこに出す? 急げば望日には出せるぞ」
その問いに、一瞬だけ言葉を失った。次の望日は関ヶ原の戦い当日。もはや補給は必要ない。拓真は運命の一日がすぐそこまで迫っていると肌で実感した。
視線が宙を彷徨い、やがて賀津から静かに外れる。
「……それは考えなくていい。後のことは、また指示する」
「わかった」
短いやり取りの裏にある空気を、賀津は敏感に感じ取ったらしい。深追いはしなかった。
「それと、雷汞が結構乏しいんだ。追加で作っていいか?」
「乏しいって……残りはどれくらい?」
「ざっと四千発分。上手くやれば四千二百ってとこかな」
「そうか……」
拓真はそう呟くと、残っていた茶を飲み干し、湯飲みを静かに卓へ置いた。その音が、妙に重く響いた。
「いいや。雷汞が無くなったら、そこで弾造りは打ち切りだ」
「えっ、いいのか?」
賀津は目を丸くする。
これまでの拓真なら、少しでも余力があれば作らせる判断をしたはずだ。
「もう十分さ」
龍仙寺で生産した雷振筒用の弾丸は、通算でおよそ二十二万発。
そのうち約八万発は訓練と試射で消えたが、残る十四万発弱の大半は、大垣城と南宮山のシェルターに眠っている。
──これ以上は、作りすぎだ。
拓真はそう自分に言い聞かせるように、視線を伏せた。
弾丸の数が増えるほど、人が死ぬ。その単純な事実が、湯飲みの底に沈んだ茶の色のように、胸の奥に澱んでいた。
「わかったよ、タクミサマ。……それじゃ、俺はもう戻る」
賀津はそう言って立ち上がりかけた。作業場に戻れば、また忙しない時間が待っている。そんな気配が、その背中から滲んでいた。
「ちょっと待ってくれ、お賀津。一つ、頼みたいことがあるんだ」
呼び止められ、賀津は不思議そうに振り返ると、もう一度腰を下ろした。
「頼み? なんだよ。何でも言ってくれ」
拓真に頼られること自体が嬉しいのだろう。賀津は子供のような、屈託のない笑みを浮かべている。
「うん……あのな。雷汞のことなんだけど」
「やっぱり、念のため作っとく?」
即座に返ってきた言葉に、拓真は小さく首を振った。
「いや、違う。俺が帰ってくるまで、雷汞は作らないでくれ」
「……なんでだ?」
賀津の眉がわずかに寄る。
「理由は聞くな。とにかく、俺のいないところで雷汞は作らない。約束だぞ」
言葉を選ばず、命じるように言った。
その声音に含まれた硬さを、賀津は敏感に感じ取ったらしい。
「いいけどさ……でも、タクミサマがこんなに龍仙寺を空けるなんて初めてだろ? その間に、弾を造れって言われたらどうすんだ?」
一瞬の沈黙。
拓真は目を伏せ、短く息を吐いた。
「その時は──『雷汞の作り方を知らない』って言って断るんだ」
「……いいのか? そんなことして」
賀津の顔に、不安の色が滲む。
「責任は全部、俺が持つ。お賀津は『雷汞の作り方を知らない』で通してくれ」
雷汞は、拓真でなければ作れない。
表向きは、そうなっている。
だが、実際に雷汞を調製しているのは賀津だ。わずかな衝撃で発火するこの危険物は、扱いを誤れば命を落とす。拓真のような素人が手を出せる代物ではない。
それでも、その真実を知る者は拓真と賀津、ただ二人だけ。
「……わかったよ」
賀津はしばらく黙り込み、やがて決意したように頷いた。
「タクミサマが戻ってくるまで、俺は絶対に雷汞を作らねえ。誰かに言われても『知らねえ』で通す」
「よかった。お賀津がそう言ってくれたら、俺は安心して大垣に行ける」
その言葉に、賀津は少しだけ照れたように笑う。
「でもさ、タクミサマ。なるべく早く帰ってきてくれよ。佐名サマと一緒に、待ってるからさ」
「ああ。そんなに留守にはしない。望日が過ぎたら、帰ってくるさ」
軽く言ったつもりだったが、その言葉は胸の奥で重く響いた。
──この戦いが終わったら、龍仙寺はどうなるのか。
大筋は、すでに決まっている。
非正規部隊である龍仙寺衆は石田家の正式な備となり、隊士は全員家臣として召し抱えられる。勘兵衛ら組頭は寄子として拓真を支える。そこまでは既定路線で、問題はない。
懸案は、雷振筒だった。
関ヶ原の戦いが終われば、あらゆる勢力がこの銃を欲しがる。三成の立場では、その要望を拒みきれないだろう。一度でも世に出回れば、複製されるのは時間の問題だ。
拡散は、もはや避けられない。
だが──雷振筒が無秩序に氾濫する未来だけは、看過できなかった。
豊臣家を守るための銃が、泰平そのものを脅かすようでは本末転倒だ。
そこで拓真は、左近に一つの提案をした。
雷汞の製法を門外不出とし、弾丸の製造を石田家のみが担うという案である。
雷汞がなければ、雷振筒はただの鉄の棒だ。
銃は真似できても、雷汞は製法を知らなければ絶対に作れない。弾丸の供給を独占すれば、使用そのものを管理できる。乱用を防ぐという目的において、確かに効果的な手段だった。
──だが、その代償は重い。
雷汞の製法を秘匿するということは、製法の入手、あるいは抹消を狙う勢力にとって、拓真自身が格好の標的になるということだった。
杞憂で終わるかもしれない。
それでも、この方針が採用されれば、雷汞の製法と、自らの身を守ることが、戦後の拓真に課せられる命題となる。
賀津に「雷汞の作り方を知らない」と言わせるのは、その未来から彼女を遠ざけるため。
自分の選択が招く危険を、これ以上、賀津に背負わせるわけにはいかなかった。
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