謀議[2]
七月十一日。
吉継は再び佐和山城を訪れた。
夏の陽は高く、城内には濃い熱気がこもっている。それでも、三成の前に座した吉継の表情は、不思議なほど晴れやかだった。逡巡も、ためらいも、すでにそこにはない。覚悟を決めた者だけが持つ、静かな透明感が漂っている。
「腹を決められたようじゃな、刑部殿」
三成の言葉に、吉継は小さくうなずいた。
吉継の胸には、消えることのない負い目があった。
病を得て政務の中枢から退いたこと。その間、秀吉亡き後の政権を、三成がほとんど独りで背負い続けてきたこと。
もし自分が健在であったなら。
もし三成の傍に立ち、共に舵を取っていられたなら。
七将襲撃という愚挙も、家康の専横も、ここまで深刻にはならなかったかもしれない。三成が奉行職を追われ、佐和山に引き籠もって挙兵を決意する──そんな未来そのものが、回避できた可能性すらある。
無論、三成は一度たりとも吉継を責めたことはない。
だがそれでも、吉継の心には、徳川家康の横暴に対して三成を孤立無援のまま立たせてしまったという事実に、無限の負債を感じていた。
「……事ここに至っては、是非も無し」
吉継は、はっきりとした声で言った。
「治部殿が、どうしても諦めぬと申されるならば──拙者も、共に立つのみ」
それは義務ではない。
負い目だけでもない。
同郷の先輩として、そして幾多の修羅場を共に潜り抜けてきた友として、三成を見捨てるという選択肢は、吉継には初めから存在しなかった。
「……かたじけない」
三成は、胸の奥から絞り出すような声で応えた。
そして、目の見えぬ吉継に向かって、深々と頭を下げる。
目は見えぬが三成が何をしたのかはわかる。その姿に、吉継は微かに眉を動かした。
三成が、ここまで他者に頭を下げることは、ほとんどない。
三成が頭を上げきらぬうちに、吉継は早速、話を切り出した。
「なれど──戦は、勝たねばなりませぬ」
声は穏やかだが、言葉には一切の逃げがない。
「拙者が御味方仕るためには、治部殿に是非ともお聞き入れいただかねばならぬことがございます」
「もはや刑部殿は御味方じゃ。思うところあらば、腹蔵なく申してくれ」
「では──申しまする」
吉継は、迷いなく告げた。
「頭目は、安芸中納言様(毛利輝元)か、備前宰相様(宇喜多秀家)にお願いなされよ。治部殿は、影に徹されるべきにござる。これは必須」
「……なんと」
三成は、言葉を失った。
挙兵の首魁たる自分に、その座を降りろというのだ。
腹蔵なくとは言ったが、あまりにも大胆な進言だった。
「我らはこれより、一人でも多くの味方を集めねばなりませぬ」
吉継の声は、容赦なく続く。
「その頭目が治部殿では、集まる者も集まりませぬ」
「……左様か?」
三成にも、その自覚が皆無だったわけではない。
だが、挙兵は私欲ではなく、あくまで秀頼のためのものだ。その自負が、心のどこかにあった。
「左様にござる」
吉継は、世の現実を突きつける。
「いくら大義を掲げようとも、人は結局、利で動きまする。されど、そこに情が絡めば──利すら捨てる。これが世の理と言うもの」
そして、一拍置いて言い添えた。
「陰で治部殿を『平懐者』と呼び、忌み嫌うておる者は少のうござらぬ。そのような者達に、いくら大義を説き、利を喰らわせたところで……治部殿の元へは参りませぬ」
辛辣だが、偽りのない忠言だった。
三成は、それを遮らず、黙って受け止めた。
「……そうか」
やがて、静かに息を吐く。
「わかった。刑部殿の申すとおり、総大将は安芸中納言様、あるいは備前宰相様にお願いしよう」
三成の声には、すでに迷いがなかった。
「儂の目当ては、内府を討つこと。それだけじゃ。頭目になることではない」
その言葉に、吉継は小さく、深くうなずいた。
──翌日。
佐和山城にて、家康討伐の謀議が開かれた。
三成と吉継に加え、二名の大名が席に着く。
増田右衛門尉長盛。
大和郡山二十二万三千石を領する五奉行の一人で、天才的とも評される行政手腕を持つ男。抜け目なく、豊臣家直参衆から外様大名まで、その顔は広い。
そして、安国寺恵瓊。
臨済宗の僧でありながら、毛利家の外交を一手に担い、織田信長の時代から歴史の裏面を渡り歩いてきた人物。豊臣家からも扶持を受ける特異な立場にあり、その存在感は大名に劣らぬ。齢六十二、一座最年長であった。
この謀議において、総大将に毛利輝元を推戴すること、そして──大坂に残る諸大名の妻子を人質に取ることが、淡々と決められていった。
決断は、すでに後戻りを許さぬ領域に踏み込んでいる。
──五日後、七月十七日。
現職の五奉行のうち、長束正家、増田長盛、前田玄以の三名が署名した、十三ヶ条から成る弾劾文書「内府ちかひの条々」が発せられた。
家康の罪を列挙したその檄文は、諸大名の元へと放たれる。
同日、大坂城では──毛利輝元を総大将とする家康討伐軍が決起し、畿内制圧に向けた軍事行動を開始した。
三成の仕掛けた決起はもはや、誰にも止めることはできなかった。
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