佐名[4]
龍仙寺の射撃場は、境内随一の規模を誇る施設である。
射撃区画は幅二十五間(約四十五メートル)、奥行き百五十間(約二百七十二メートル)。さらに作業場や資材置き場を含めれば、四千坪を超える広さがある。夏の空気を孕んだ土の匂いが立ちこめ、遠くでは蝉の声が単調なリズムを刻んでいた。
その後方に、二百余名が整然と並ぶ。背筋は強張り、喉を鳴らす音さえ憚られるほどの緊張が場を支配している。
これから己の命運を託す武器──雷振筒。その正体を、誰もが固唾を呑んで待っていた。
やがて、幔幕の向こうから一人の男が姿を現す。
鈴木藤四郎である。
彼は静かに一礼すると、手にした雷振筒を構えた。そこにあるのは試作の粗削りな代物ではない。形も寸法も揃えられた、規格化量産品の第一号。
陽光を鈍く弾く鉄の肌を前に、隊士たちの胸奥で何かが確かに音を立てて動き始めていた。
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慶長四年(一五九九年)式雷振筒 基本仕様
口径 三分(九・〇九ミリ)
銃身長 二尺(六〇六ミリ)
ライフリング 四条、右回り
使用弾薬 三分×二寸(九・〇九×六〇・六ミリ)
弾丸全長 二寸七分(八一・八二ミリ)
弾頭重量 三匁(一一・二五グラム)
装弾数 六発
作動方式 リボルバー方式
全長 三尺七寸(一一二一ミリ)
重量 一貫二百匁(四・五キログラム)
有効射程 百八十間(三二七・三メートル)
最大射程 五百四十間(九八一・八メートル)
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生産の歩みは、まだ遅い。
十日に八挺──数だけ見れば心許ないが、それでもこの時点で規格と性能試験をくぐり抜けた雷振筒は、藤四郎が手にする一挺を含めて十二挺に達していた。未完成の可能性を孕みながらも、その一挺一挺が「次の戦」を現実のものとして形にしつつある。
射場には三つの標的が設けられている。
三十間、六十間、九十間。距離ごとに置かれたのは、武具を着せた藁人形に、竹束と木盾で防御を施したものだった。実戦を想定した、妥協のない配置である。
まず最も遠い九十間の標的へ、伏せ撃ちで十二発。
続いて六十間、立て膝で十二発。
最後に三十間、立ったまま十二発。
それを二巡。引き金が引かれるたびに乾いた破裂音が空気を震わせ、反動が藤四郎の身体を容赦なく揺さぶった。
射撃が終わる頃には、場は真っ白な硝煙に包まれていた。鼻を突く火薬の匂いが喉に絡み、視界は数間先さえ定かでない。
やがて、ゆっくりと煙が流れ、風に裂かれていく。
姿を現した光景を目にした瞬間、誰からともなく息を呑む音が漏れた。
竹束は裂け、木盾は砕け、鎧兜は原形を留めていない。
藁人形は無残に引き裂かれ、地面に散乱して転がっていた。距離の差は、もはや意味を失っている。
「……皆、見たか」
左近の声が、静かに響く。
彼は呆然と立ち尽くす面々を、ひとりひとり噛みしめるように見渡した。
「誠に……誠に恐るべき鉄砲でござる!」
「種子島とは、もはや比べ物になりませぬ……!」
驚愕と興奮が入り混じった声が、あちこちから噴き上がる。誰もが目を見開き、己の常識が打ち砕かれた余韻から抜け出せずにいた。
「そうよ」
左近は低く頷き、言葉を継ぐ。
「これは、戦のやり方そのものを底から変えてしまう──世にも恐ろしき得物よ」
そう言って、手にした扇子の先で一人を指し示した。
「この工藤内匠頭が作った」
一斉に視線が集まる。
その重さを肌で感じ、拓真は思わず頬を引きつらせた。二百余の視線が向けられる経験など、これまでの人生で一度もない。称賛と期待が入り混じった熱が、じりじりと背に焼き付く。
「儂の言うことは一つじゃ」
左近の声が、鋼のような確かさを帯びる。
「よいか。お主らはこれより、天下無双の鉄砲備を作らねばならぬ。そのためには、何を言われようと内匠頭の下知に従え。内匠頭の下知は、すなわち儂の下知と思え。よいな!」
「ははっ!」
返答は一斉だった。
興奮に身を震わせながら放たれたその声は、硝煙の残り香を押し流すように射場に轟き、雷振筒備がただの実験部隊では終わらぬことを、誰の耳にもはっきりと刻み込んでいた。
*
雷振筒の披露が終わると、そのまま酒宴となった。
否応なく場の中心に据えられたのは拓真である。自分達の頭であり、功労者としての扱いもあって、席の周囲には雷振筒備の隊士たちが幾重にも群がり、我先にと声を掛けてくる。質問は尽きず、賛辞は止まらない。拓真は笑みを保ちながら応じていたが、息をつく間もなく、膳の料理にはついに一箸も伸ばせぬままだった。
一方で、賑わいから一歩引いた縁側に、勘兵衛は腰を下ろしていた。
宴席が嫌いなわけではない。ただ、ここに至るまでの気苦労と張り詰めた日々が、ようやく一段落したという思いが胸に満ちていた。庭先に浮かぶ月を肴に、盃を傾ける。冷えた夜気が火照った頬を撫で、酒の味がゆっくりと身体に染みていった。
ふと気配を感じて顔を上げると、左近が隣に立っていた。
言葉もなく腰を下ろし、手にした瓶子の口をそのまま勘兵衛へ向ける。
「御家老様……」
「まあ、飲め」
「頂戴いたします」
つがれた酒を、勘兵衛は一息に飲み干した。喉を焼く熱が、胸の奥まで落ちてゆく。
「兵衛から聞いたぞ。後添いの件、不首尾に終わったそうだな」
「はっ……御家老様のお耳にも届きましたか。まこと、面目ございませぬ」
左近は肩をすくめ、どこか愉快そうに笑った。
「そう気落ちするな。兵衛は笑っておったぞ。『若い嫁をもらい損ねた』とな」
冗談めかした口調とは裏腹に、勘兵衛はひたすら恐縮するばかりだった。
「それにしても、お主は年の割に爺むさいことをするのう。隠居目付に妹をあてがうとは。──それほどまでに内匠頭が心配か?」
左近の視線は、すでに勘兵衛の胸の内を見透かしている。
「内匠殿をお守りする一心で……」
「それが内匠頭に壊されたんでは、お主も立つ瀬がないのう」
左近はからりと笑い、扇子で顔をあおいだ。
「じゃがな、勘兵衛。そんな手が効くと思うたのなら、兵衛を見誤っておるぞ」
「左様でございますか?」
「アレもなかなかの堅物じゃ。寝技が通るようなら、殿が側に置くものか」
扇子を畳むと、先端で床を軽く、規則正しく突く。
「それにな──ここに目付は入らぬ」
「な……ま、誠でございますか!」
思わず声を上げた勘兵衛に、左近は静かに頷いた。
「殿とは、それで話が付いておる。龍仙寺は、時が来るまで世から晦ます。見えぬ者に、目付は付かん」
「そ、そのような……御家老様が、そこまでお心積もりであられたとは……。されど、何故でございますか?」
左近は庭を見やり、月明かりに目を細める。
「子細は明かせぬが、故事にもあろう。『敵を欺くには、まず味方から』とな。まあ……お主の心配も、多少は入っておる」
そう言って、広間の中央で隊士に囲まれている拓真を、顎で軽く示した。
「アレに、目付はあしらえまい」
勘兵衛は驚いたまま、深く息を吐いた。
「御家老様の御活眼……誠に、恐れ入りました」
「しかしお主も苦労が絶えぬのう。じゃが忘れるなよ。内匠頭を大切に思うておるのは、お主だけではない」
「はっ」
「損な役回りじゃが、これからも内匠頭を頼むぞ」
「ははっ」
公式には、雷振筒備など存在していない。
ゆえに、その実態を知る者はごくわずかであり、全容を把握しているのは佐和山でも島左近ただ一人。
それでも──いつの頃からか。
家中では、正体も規模も知れぬその備に、期待と畏怖をないまぜにした呼び名が囁かれるようになる。
──龍仙寺衆。
闇に潜み、やがて世を震わせる存在として。
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