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Last resort  作者: 蒼了一


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52/103

佐名[3]

 龍仙寺は、七尾山の山裾に抱かれるようにして建っている。


 地形の制約から南北に細長く、東西は短い。歪な五角形の敷地は、真上から見下ろせば横に広がった絵馬のようにも見えた。外周は余すところなく木塀で囲われ、外から中の様子を窺うことはできない。


 絵馬の上辺にあたる部分は七尾山の斜面に接し、下辺は姉川の流れに臨む。左右の辺には堀が穿たれ、南北二箇所の出入り口には常に門番が詰めている。その様相は、もはや寺というより小規模な砦だった。


 敷地はかつての龍仙寺から倍以上に拡張され、総面積は三万坪を超える。


 その中には工房、倉、鋳造所、住居が整然と並び、百名を超える人々が日々忙しなく行き交っている。槌音や木槌の響き、鉄の匂いが混じる空気は、ここが単なる寺域ではなく、一つの生きた“拠点”であることを雄弁に物語っていた。


 職人や下働きの住居は長屋造りで、四畳半ほどに区切られた部屋を二、三人で使う。


 給金のほかに食事と生活用品が支給され、掃除や洗濯といった家事は下働きが担う。そのため職人たちは、生活の心配をせずに仕事に没頭できた。この時代としては破格と言っていい待遇である。


 だが、何よりも人々を驚かせ、そして喜ばせたのは──浴場だった。


 それは拓真が半ば無理を通して造らせた施設であり、正直に言えば、その最大の目的は自分自身が入るためだった。


 安土桃山の世では、湯に浸かる入浴習慣はまだ一般的ではない。


 風呂といえば蒸気を浴堂に満たす蒸し風呂で、それも高貴な身分の者だけに許された贅沢だった。庶民の多くは川での行水や、たらいの水で身体を拭う程度で済ませている。


 拓真も、この時代の暮らしに適応しようと努めてはいた。


 だが、風呂がない生活だけはどうしても耐え難かった。汗と埃を落とせない不快感が、日を追うごとに積もっていく。


「本当に必要なんです! 絶対、みんな気に入りますから!」


 身振り手振りを交え、周囲を説得して回った。


 半信半疑の視線を浴びながらも食い下がり、ようやく許しが出ると、拓真は子供のように目を輝かせ、嬉々として設計図を引いた。


 浴槽は十尺四方──およそ三メートル四方の正方形。


 中央に壁を設け、男女別の浴室とした。水は姉川から水車で汲み上げ、湯は鋳造所の排熱を利用して沸かす。無駄を省き、理にかなった仕組みだった。


 完成した浴場は、拓真の言葉通り大好評を博した。


 今では龍仙寺随一の娯楽となり、日が暮れる頃になると、仕事を終えた者たちが自然と集まってくる。湯気の向こうから聞こえる笑い声は、この場所が単なる職場ではないことを物語っていた。


 さらに、毎日の入浴は思わぬ効果ももたらした。


 皮膚病や体調不良が目に見えて減り、衛生面と健康面の向上が実感として現れ始めたのである。


 湯に浸かりながら、その様子を眺める拓真は、胸の奥で小さく息をついた。


 ここはもう、ただの仮の居場所ではない。


 人が集い、暮らし、未来を紡ぐ──そんな場になりつつあるのだと、湯の温もりとともに、静かに噛みしめていた。


 また、雷振筒備の隊士たちが暮らす住居も、同じく長屋造りで整えられていた。


 こちらは職人用とは異なり、一室あたり三畳ほどの広さを一人で使う造りになっている。簡素ではあるが、寝起きし、装備を整えるには十分な空間だった。


 現在、ここに住んでいるのは鈴木藤四郎をはじめとする数名に過ぎない。廊下にはまだ新しい木の香りが残り、夜になれば人の気配よりも虫の声の方が勝っている。


 だが、それも今だけだ。


 翌月には雷振筒備の人員が本格的に揃い、この長屋も満室になる予定だった。


 静まり返った廊下に、やがて規則正しい足音と鎧の擦れる音が満ちる。ここが単なる住まいではなく、戦に臨む者たちの拠点へと変わっていく──その予兆を、拓真は肌で感じていた。


 人が集まり、暮らしが根を張り、やがて命を賭す場所になる。


 龍仙寺は今もなお、その姿を静かに変え続けていた。


 *


 慶長四年七月一日。


 後に振り返れば、この日こそが雷振筒備という異形の部隊が歴史の表舞台に足を踏み入れた、その始まりであった。


 当初の編成案では、予備を含めて百二十名ほど。常識的な規模であり、誰もがそれ以上は望んでいなかった。だが島左近が名を連ね、しかも新兵装を用いる特別備とあって、募集の触れが出るや否や志願者は予想を遥かに上回った。


 最終的に選抜されたのは二百十七名。石田家の家中に連なる者ばかりとはいえ、そのほとんどは俸禄も持たぬ軽輩である。にもかかわらず、彼らの胸に燃えているものは、並の家臣よりもよほど激しかった。


 人選の基準は、初めから二つに絞られていた。


 一つは順応性。


 雷振筒備は、編成も訓練も運用も、従来の備とは似ても似つかぬ存在となる。旧来の作法や戦の常識に縛られた者ほど、かえって足枷になる。ゆえに求められたのは経験ではなく、先入観のなさだった。白紙のまま、新しいやり方を身体に刻み込める者。


 もう一つは、棋譜への影響。


 この備は石田家の正規編制から切り離され、あくまで“盤外の駒”として運用される。その方針は左近と拓真が最初から共有していたため、重きをなす家臣を表立って組み込むことはできない。


 とはいえ、完全な素人集団では備は成り立たない。必要最低限の技量と統率を担う者として、正規軍に支障を来さぬ範囲で十二名だけを抜擢した。勘兵衛と藤四郎も、その中に含まれている。雷振筒備の骨格は彼らが支え、その他の隊士はあくまで非正規の身内で固める──その歪さこそが、この部隊の本質だった。


 結果として条件を満たしたのは、足軽の子弟か、家督を継げぬ部屋住みの若者に限られた。それでも応募者は五百名を超えた。


 選ばれた者たちは皆若く、石田家への忠誠と、ここから這い上がってみせるという野心とを胸の奥で絡み合わせ、荒い息を潜めている。その視線は真っ直ぐで、同時に危うい。


 彼らを鍛え上げ、ただの寄せ集めを“最強の備”へと変える──それがこれから課される、最も重い使命だった。


 その第一歩として、この日、全隊士が射撃場に集められた。

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