薬室[2]
火薬の匂いと油の匂いが入り混じった空気は、彼の胸の奥にある不安をじわりと湿らせる。
(まさかここで足踏みするとは……一番手こずるのは弾丸だと思ってたんだけど……)
逆に、光明が差していたのは弾丸だった。
雷振筒そのものが何度も壁に突き当たる一方で、弾丸の完成度はすでに実用段階に手が届くほどになっている。
工房の机に並べられた弾丸は、どれも滑らかな光沢を帯びていた。鉛の弾体を黄銅で包んだフルメタルジャケット──未来の常識が、この時代ではまだ名もなき革新だ。手に取ると、わずかに金属特有の冷たさが指先に吸いつき、内部に詰められた火薬の重みがしっかりと感じられた。
その火薬──褐色火薬は、もっと異質だった。
本来の黒色火薬は、完全に炭化した木炭で作られ、点火すれば一瞬で燃え上がる。その爆発で発生するガスは強烈で、火縄銃のように銃身と弾丸の隙間が大きい構造なら問題はない。しかし雷振筒は違う。銃身と弾頭が密着する構造ゆえ、爆圧の逃げ場が薬室に集中してしまい、銃身の破裂すら招きかねない。
だからこそ、燃焼速度の緩やかな褐色火薬が必要だった。
炭化しきる前に燃焼を止めた褐色木炭を使い、じわりと熱を伝えるその特性は、雷振筒にとって理想そのもの。薬室に過度な負担をかけず、弾頭を確実に押し出す“持続する爆圧”を生み出してくれる。
とはいえ、その褐色火薬も最初からうまくいったわけではない。そもそも十九世紀後半に登場する火薬だ。
木炭の焼き加減、硝石の割合、混ぜ合わせる順序、乾燥の時間。どれか一つが違えば、燃焼速度はがらりと変わり、使い物にならない。工房の隅には、試作の瓶や壺が積み上がり、失敗作を示す黒ずんだ跡が壁にまで残っている。
そんな混沌の中で、光のように腕を振るったのが賀津だった。
彼女は炉の前で静かに木炭を割り、粉を指先でこすり合わせながら感触を確かめる。わずかに色の違う木粉を嗅ぎ分け、ほんの少し配合を変えるだけで燃焼の癖を見抜く。まるで火薬の声を聴いているかのようだった。
褐色火薬の小さな山を前に、拓真は思わず息をのむ。
──この時代の材料で、ここまで仕上げるなんて……。
雷振筒が未完であることの焦りの裏で、弾丸だけがひと足先に未来へと近づいていた。その事実が、絶望を防ぐ小さな希望の火種になっていた。
*
拓真が賀津という少女の“本当の腕”を知ったのは、堺、大坂で買い付けた南蛮渡来の品がどっさり届き、工房がまだ慌ただしさの余韻を残していた頃のことだ。
異国の油紙の匂いが漂う中、賀津は箱から取り出した妙ちきりんな秤を手にし、首をかしげていた。小柄な体を少し前に傾け、狐のように鋭い目で分銅を覗き込む。
「南蛮人はこんな秤使ってるのか?」
「そう。分銅と釣り合わせて重さを量る道具だよ」
「ふーん……なんか、やけに面倒くさそうだな」
「そう、すごく面倒なんだ。で、悪いけど──この分銅と同じ重さの硝石を十皿分量ってほしいんだ」
拓真は壷と小皿を渡しながら言った。火薬の調合は微細な誤差が命取りだ。だからこそ、どうしても秤を使ってほしかった。
「この重さで分けりゃいいんだな」
賀津は小皿を十枚並べると、分銅を軽くつまんで重さを指先で確かめるように上下させた。
次の瞬間、秤に置き直しただけで、もう秤を見向きもせずに木の匙を動かし始める。
しゃっ、しゃっ、しゃっ──。
硝石が皿に落ちる小気味のいい音が続き、あっという間に十皿が並んだ。
「できたぞ、タクミサマ!」
満面の笑みで胸を張るその姿に、拓真は思わず固まった。
「え、ちょっと待って。そんな大雑把に……秤使ってくれないと意味ないんだけど」
「大雑把じゃねえよ。こんなモン使わなくったって目方は間違わねえ」
あまりにも自信満々な言葉に、拓真は反論できなくなり、半信半疑で計り直すことにした。
──一皿目、ぴたり。
──二皿目も、ぴたり。
──三皿目……十皿目まで、誤差はゼロ。
「……まじか。全部ピッタリ……コンマ一グラムも違わない……」
「な、言ったろ。大雑把じゃねえって」
得意げに胸を反らす賀津を前に、拓真はつい笑ってしまった。
「いや~参った。本当にすごいよ」
「こんなの大したことねえよ。国友じゃ、時期や筒の癖に合わせて玉薬を何十も作り分けてたんだからな」
言葉は謙遜しているのに、どこか誇らしげなその表情が可愛らしい。
だがその“何十”という種類の火薬を作っていたという言葉が嘘ではないのは、皿の上の完璧な硝石が物語っていた。
拓真はその瞬間、雷汞も火薬も自分が作るべきではないと悟った。
危険物の扱いは、素人の自分よりも、こうした天性の感覚を持つ玄人に任せるべきだ。
そして実際、賀津は三ヶ月ほどで雷振筒に最適な褐色火薬を作り上げた。
その成果を前に、拓真は思わず感心する。
──本当にすごい子だ。才能なら又蔵さんに匹敵……いや、それ以上かも……。
小柄な少女の背中が、その時だけ年齢よりずっと大きく見えた。
*
龍仙寺を出て南へと延びる街道は、朝の光を受けてゆっくりと白み、道端の草が馬蹄に砕かれては細かく散っていく。佐和山までは七里──およそ二十八キロ。騎馬なら三、四時間もあれば着く距離。この道は、拓真にとっては毎月恒例の“仕事道”でもあった。
この日も、佐和山での面接と部署間調整のために馬を進めていたが、思考はどうしても銃の開発に引き戻される。
「薬室の構造かあ……」
姉川に架かる橋のたもとで、小さく漏れた独り言が、川面から聞こえるせせらぎに混じって白くほどけた。
「殿、何かございましたか?」
背後から馬を寄せてきたのは北川五平。気遣いのある声だが、拓真には少しばかり肩身が狭い。
「あ、いや。何でもないよ。ただの独り言」
曖昧に笑って返しながらも、胸の内ではため息をつく。
(ありがたいんだけど……鬱陶しいな。独り言すら拾われるなんて、侍の身分ってホント大変)
いまや拓真は千石を賜る侍大将。奉公構えも整えなければならず、気がつけば五平を筆頭に、家来が六人もついていた。龍仙寺の研究棟にこもっている時は気にならないが、一歩外に出れば、こうして誰かの視線と気遣いが必ずつきまとう。
街道を進む一行は、青々と茂る田畑を背景に細長く影を引いた。遠く、佐和山城の鷹のような姿が朝靄の向こうにほの見える。
(俺が“家臣を連れる側”になるなんて、つい最近まで想像もしなかったよ……)
不思議な浮遊感と、逃げ場のない責任の重さが胸の奥で入り混じる。それでも馬を進める足を止められないのは、もはやこの世界で彼が背負うべき役割が、明確に形を取り始めているからだった。
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