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Last resort  作者: 蒼了一


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龍仙寺[2]

 龍仙寺に住まいを移してから、もう一月が経った。山々はすっかり錦に染まり、朝夕は肌を刺すような冷気が降りてくる。暦の上では十月──だが現代に置き換えれば十一月。季節の深まり方の違いを感じるたびに、拓真はこの世界に順応しつつある自分を意識した。


「だいぶ寒くなってきたな〜」


 起き抜けの体に残る布団の温もりが未練のようにまとわりつく。拓真は掻い巻きをぐっと引き寄せ、囲炉裏端の前に腰を落ち着けた。灰の下で赤く残っていた炭が、ふっと掻き寄せた途端に小さな火花を散らす。


 囲炉裏から立ちのぼる熱気が頬を撫で、ようやく意識が目覚めていく。ここでの暮らしにもようやく慣れた。身の回りのことは、又蔵の紹介で雇われた老夫婦がよく気を利かせてくれ、無駄に慌ただしい朝とは無縁になっていた。


 味噌汁の湯気が上がる静かな朝──その空気を切り裂くような声が飛び込んでくる。


「タクミサマ! 門の前にたくさん荷が来たぞ!」


 戸口から勢いそのままに飛び込んできた賀津は、頬を上気させ、息を弾ませていた。どうやら外の冷たい空気の中を全力で走ってきたらしい。


「ようやく届いたか! すぐ行くよ!」


 待ち続けた資材がついに届いたのだ。胸の奥がどくんと跳ね、眠気は一瞬で吹き飛んだ。


 拓真は手にしていた飯茶碗に残りの味噌汁をざっとかけると、まだ熱いそれを豪快に掻き込む。


 口の中を火傷しそうになりつつも、その痛みすらもどかしい。腰を上げた彼の動きには、どこか少年のような軽さと、これから本格的に動き出す計画への緊張が入り混じっていた。


 *


「荷物は全部、そこの部屋に並べて下さい」


 作業場に風が流れ込むたび、どこか海の名残を含んだ匂いが漂う。堺・大坂から運び込まれた木箱の山が、土間の上に影を落とした。拓真は額の汗を腕で拭い、人足たちへと指示を飛ばす。


 大八車五台──ぎしぎしと軋む音が、ようやく長い準備期間の終わりを告げているようだった。中には、マカオからの荷待ちで足止めを食った希少な薬品もある。木箱を一つ開けるたび、鼻を刺すような薬品の匂いが立ち上り、胸の奥が妙に高鳴った。


「よしよし、これでようやく製作に着手できるぞ」


 検品しながらつい独り言が漏れる。ここ一ヶ月、拓真の手元にあったのは紙束ばかり。計画書、設計図、必要物資の算段……頭は働かせ続けていたが、手は何も生み出せなかった。ようやく“ものづくり”の実感に触れられることが、身体の芯をじわりと温める。


「まずは雷汞(らいこう)だな……」


「雷汞ってなんだ? タクミサマ」


 背後から無邪気な声が飛んだ。振り返れば、賀津が荷の山の上に顎を乗せるように覗き込んでいる。好奇心がそのまま形になったような顔つきだ。


「雷汞ってのは、叩くだけで火の着く玉薬のことだよ」


 口にするだけで、現代で学んだ化学の記憶が薄膜のように蘇る。雷酸水銀。そのうち原子価二のもの──雷汞。十八世紀末の発明が、四百年遡って今ここで使われようとしている。その事実に、拓真はふと背筋が熱くなる気配を覚えた。


「そんなもん何に使うんだ?」


「雷振筒は弾を元込式にするって言ったの覚えてるか?」


「ああ、タクミサマと兄やんが最初につくった鉄砲みてえな、後ろから弾を入れるやつだろ」


 拓真は懐を探り、丁寧に畳んだ設計図を取り出した。紙を開くたび、かすかに油と薬品の混じった匂いが鼻先をくすぐる。


「使う弾にはこんな細工をするんだよ」


 賀津は両手で図面を広げ、目を皿のようにして食い入る。紙面の線一本一本まで読み取ろうとする姿勢に、拓真は思わず笑みをこぼした。理解しようとする意志が、図面よりもまぶしく見えた。


「この筒の中に玉薬を入れて、弾でフタをするのか。なんか早合(はやごう)みてえだな」


 早合というのは、火縄銃の装填を素早く行うために、弾丸と火薬をあらかじめ紙などで包んで一つにした弾薬包のことだ。戦場ではこれが常備品として広く使われている。


「近いけど、早合と違ってこれはこのまま撃つんだ」


「えっ、じゃあどうやって火ぃ着けんだ? この筒、黄銅(きがね)でできてんだろ」


「だから筒の底に雷汞を塗るのさ。これで後ろを叩けば弾が飛ぶ」


 説明しながら、胸の奥に小さな震えが走る。紙に描かれた理屈が、ついに現実の形として息を吹き始める瞬間だ。


「すげえ! タクミサマは何でも知ってんだな。一体誰にそんなこと教わったんだ?」


 素直すぎる賞賛に、拓真は思わず視線を逸らす。懐かしさと切なさがわずかに胸を刺した。


「雷汞のことは、西田先生って偉い学者さんに教わったんだ」


 西田先生──その名を思い浮かべるだけで、拓真の胸にわずかな懐かしさが滲む。かつて自分が携わった銃器史の単行本、通称ヒスポン──『History of Weapon』。その監修を務めた人物。


 近代ヨーロッパ史を専門とする大学教授でありながら、裏の顔は熱狂的なガンマニア。火薬史においても第一線をゆく存在だった。


 中田靖と独立したばかりの頃、最初の大きな仕事が西田教授の論文制作の手伝いだった。雷汞をはじめ、旧来の黒色火薬から各種の発火薬まで、ありとあらゆる火薬の製造工程をCGで図解していく作業。その過程で学んだ知識は、嫌でも細部まで脳裏に刻み込まれていた。


(まさか西田先生も、俺が戦国時代の山寺で雷汞を作るなんて、夢にも思ってないだろうな……)


「俺もその西田先生に会って、いろいろ教わりてえよ」


 隣で覗き込むようにしていた賀津が、素直すぎるほどの声で言った。


「俺だって会いたいさ。でも……それは無理なんだ」


 言葉を選ぶまでもなく、胸の奥がほんの少し締め付けられる。


 戻れない世界。決して交わることのない縁。


 賀津もそれを察したのか、視線を落とし、小さくうなずいた。


「……そうか。じゃあ、代わりにタクミサマが教えてくれよ」


「もちろん。でもその前に、この山ほどの荷物を片付けないとな」


 見れば、部屋いっぱいに積み上げられた木箱が存在感を主張している。


 水銀、硝酸、雷汞製造に不可欠な薬品類。


 さらにエタノール精製用の器材一式。


 ビーカー、フラスコ、蒸留器——まるでどこかの錬金術師の研究室を丸ごと運び込んだような光景だった。


 当初、拓真はガラス瓶や陶器製のランビキ程度の器具が手に入れば御の字だと思っていた。


 だが、とある大坂の商家に、当時ヨーロッパで流行していた錬金術の器具がなぜか大量に揃っており、その異様な品揃えに彼は目を疑った。


 思わず歓喜し、端から端まで買い占めた日の胸の高鳴りが、今でも指先に残っている。


「よし……やっとスタートラインに立てるな」


 そう呟く拓真の胸には、不思議な高揚と、ほんの少しの緊張が入り混じっていた。


 *


 拓真は、いままさに歴史の分岐点に手をかけている。彼が作ろうとしているのは——ボルトアクション方式のライフル銃。


 把手の付いた鉄棒で薬室を確実に閉鎖し、その中心を通る撃針で雷管を叩く。単純でありながら強度と安全性に優れ、そして何より現在の技術水準でも実現可能な構造。雷振筒を形にするうえで、これ以上ふさわしい機構はなかった。


 又蔵と夜遅くまで頭を突き合わせ、線を引き、何度も消し、手を黒くして描き直した設計図はすでに完成している。雷汞も作れる見通しが立ち、準備は着実に整いつつあった。雷振筒一号機——その誕生は、もう手を伸ばせば触れられるところまで来ている。


 だが、それはあくまで始まりにすぎない。


 銃ができれば終わりではない。むしろそこからが、本番だ。


 武器に適した装備品の整備、隊列や運用法の再構築、兵の訓練体系の刷新。すべてをこの世界に合わせて一から設計し直さねばならない。


 いずれ人材は送り込んでもらえると約束はされているが、その骨組みを作れるのは拓真しかいない。


 締切は存在し、遅れは許されず、その果てに待つのは「敗北=死」。


 現代で味わったどんな修羅場よりも厳しい、大仕事だった。


「ここからだ……ここから始まるんだ」


 呟いた声は、囲炉裏の残り火がかすかに揺れる音に溶けていく。


 作業場の板敷きに並べられた薬品、工具、金属部材——どれもがこれからの戦国を変えるための欠片だ。


 それらを前に、拓真の胸は高鳴りで満ちていた。


 恐怖もある。しかしそれ以上に、この世界を動かす原動力を自分の手で作れるという、震えるほどの期待があった。

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