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Last resort  作者: 蒼了一


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33/103

龍仙寺[1]

 七日ぶりに佐和山へ戻った拓真は、雷振筒の開発と生産のため、左近が用意してくれた新たな住まい、領内にある廃寺へと移った。


 寺の名は龍仙寺。かつては曹洞宗の禅寺だった。だが天正元年、小谷城攻めの戦火に巻き込まれ焼け落ち、その後十年、風雨に晒されるまま放置されていた。


 賤ヶ岳の戦いの頃には、羽柴方が臨時の砦として再整備したというが、その痕跡も今はほとんど失われている。柱は黒く焦げたまま風雨に削られ、堂の壁は半分ほど崩れ落ちていた。


 姉川の上流、伊吹山と七尾山に挟まれた谷間。四方の山は秋の薄金色をまとい、人の気配を寄せつけない。村人ですら足を運ぶことの少ない、ひっそりとした空気が漂っていた。隠し事にはこれ以上ないほどの場所──拓真は、そんな静寂の深さを胸に感じていた。


 しかし今、境内には久方ぶりの熱気が満ちている。爽やかな秋空の下、人足や大工たちの掛け声がこだまし、木槌の音が山々に跳ね返る。朽ちた塀は組み直され、建物には新しい梁が渡されていく。過去の戦乱の残滓に、新しい時代の息吹が吹き込まれるようだった。


 修繕が終わったばかりの母屋。その縁側に腰を下ろすと、風がふわりと頬を撫でる。見上げれば、うろこ雲が秋の高い天にほんのり銀色を落としていた。


 拓真は肩の力を抜きながら、雲をぼんやり目で追っている。


 ──徳川家康……あんな圧みたいなオーラ、初めてだ。あの場にいただけで汗が出てきた……。あんな人を、本当に倒せるのか?


 二日前に見た家康の眼差しが、まるで視界のどこかに焼き残っているかのようだった。


 左近は「あの男の“面”を見せることができた」と喜んでいたが、拓真にとっては逆だった。生身の家康を前にしたことで、計画の重みが急に現実味を帯びた。


 あの巨大な存在の寿命を、自分の思惑で縮めようとしている──そう思うたび、胸の奥がきゅっと締まる。


 ──俺にそんな権利、あるのか?


 罪悪感は、いつまでもじわりと消えない。


 しかし同時に、もう立ち止まれないことも分かっていた。動いてしまった歯車は戻せない。迷ったままなら、すべてが中途半端に終わる。


 そして──計画が成功する保証など、どこにもない。


 拓真は両頬を両手でぱんと叩いた。澄んだ音が縁側から境内へ、そして谷へと飛んでいく。


「……とにかく、やろう。全身全霊でやらなきゃ、家康なんて倒せるわけない!」


 口に出した瞬間、胸のざわつきがわずかに静まった。


 顔を上げ、ゆっくり深い息を吐くと、思わず自嘲めいた笑いがこぼれる。


 ほんの少し前まで、ただの殺人事件に怯え、布団の中で震えていた。


 なのに今は、戦国最強の男の命を狙おうとしている。


 その落差が、なんとも皮肉で、そしてどこか可笑しくて──。


 拓真はふっと口元を緩めた。


 *


「なんだオッサン。さっきから働きもしねえで、何してんだ?」


 境内に張りつめていた木槌の音が途切れた一瞬、背後の茂みから唐突に飛び込んできた声に、拓真は思わず肩を跳ねさせた。振り向くと、草の影から十二、三歳ほどの子供がぬっと現れる。


 陽に焼けた頬には墨がまだらに付着し、髪は鳥の巣のようにぼさぼさ。帯代わりに巻いた荒縄はゆるゆるで、片膝には破れを継いだ痕があった。まるで寺に迷い込んだ小動物のようだが、目だけはやたらと生き生きしている。


「オッサンって……何? 坊やは何処の子かな? お父さんに連れてこられたの?」


 声を掛けると、子供は「はぁ?」とでも言いたげに鼻を鳴らし、唇を尖らせた。


「何言ってんだオッサン。俺には『カツ』ってちゃんとした名前があんだよ。兄やんに言われて今日からここで仕事するために来たんだ。遊びに来たんじゃねえ」


 言葉は粗いのに、威張っているというより素直さがにじむ。きっと誰も丁寧な言葉遣いなんて教えてくれなかったのだろう。荒っぽい口調に反して、目の奥には妙な真面目さが光っている。


「仕事って、何の仕事すんの?」


 拓真が尋ねると、カツは「やれやれだ」という顔で大げさに肩を落とした。


「おめえ知らねえのか? 今度タクミサマって、天狗みてえに偉えお侍様がここで凄えモノこしらえるから、その手伝いをすんだよ!」


(タクミサマ……? ……あ、俺か)


 あまりの持ち上げられ方に胸がむず痒くなり、拓真は思わず苦笑する。


「そんな……天狗みたいに偉いってのは言い過ぎだよ」


 そう言った瞬間、カツが怪訝そうに目を細めた。


「なんだおめえ、タクミサマを知ってるのか?」


「まあ一応……」


 曖昧に返すと、カツの表情はますますきょとんとする。


 誰が吹き込んだのか、この子の頭の中で「タクミサマ」はすでに天上の存在のように祭り上げられているらしい。


(……いやいや、ハードル上げすぎだろ)


 期待と誤解が入り混じった子供のまっすぐな視線がやけに眩しく、拓真は少しだけ居心地の悪さを覚えた。


「お賀津! 勝手にウロチョロするなって言っただろう!」


 怒鳴り声が谷に反響し、カツ──いや、賀津の背後の茂みががさりと揺れた。次の瞬間、全身が沈むほどの荷物を担いだ又蔵が、汗をにじませながら姿を現す。肩に掛けた道具袋やら木箱やらががちゃがちゃと鳴り、その重さを見ているだけで腰が痛くなりそうだ。


「あれっ、又蔵さん! もう着いたんだ!」


 左近の取り計らいにより、又蔵は正式に石田家の家臣となった。今日からは龍仙寺に住み込みで雷振筒の開発に専念する──その決意は、背負った荷物の量以上に、顔つきに表れていた。


「これは内匠様、ご無沙汰しておりやす。……コイツが何か、内匠様に無礼を働きやせんでしたか?」


 又蔵は心底申し訳なさそうな顔で、賀津の頭をわしっと掴むと、ぎゅうっと押し下げて無理やり頭を下げさせた。その力の入り方に、賀津は「いってぇ!」と顔をしかめる。


「なんだ、タクミサマってオッサンのことだったのか。お侍の頭じゃないから、どっかの人足が怠けてんのかと思った」


 その無邪気すぎる勘違いに、又蔵の怒気が爆ぜた。


「こらっ! 無礼なことを言うな!」


 境内に雷鳴のような一喝が響く。賀津はびくっと肩を跳ねさせたが、どこか怯える様子はなく、むしろ反抗心がきらりと光る。


 拓真はそんな二人のやり取りに、思わず苦笑してしまった。


「まあまあ又蔵さん。俺は別に怒ってないよ。男の子はこれぐらい元気でなきゃ!」


 軽く笑いかけると、賀津がむっと唇を尖らせた。


「何言ってんだタクミサマ。俺は女子(おなご)だぞ!」


「マジか!?」


 *


 龍仙寺の台所には、薪のはぜる音と、煎れたばかりの番茶の香りがほのかに広がっていた。外の喧噪が壁越しにくぐもって聞こえ、ここだけが少し落ち着いた空気に包まれている。


 拓真は湯呑を三つ並べ、湯気の立つ番茶をそっと注いで又蔵と賀津の前に置いた。


「誠に申し訳ごぜえやせん。男所帯で育ったもんで、どうにもこんな風になっちまいやして……」


 又蔵は深々と頭を下げ、向かいの賀津は、というと……湯呑の縁を覗き込んだり匂いを嗅いだり、落ち着きのない仕草を繰り返している。


「又蔵さんの子供? あ、妹か!」


 拓真が軽く笑って尋ねると、又蔵は少し苦い顔をした。


「いえ、お賀津はあっしの姉の子でして。姉はコイツを生んだ時に死にやした。それからはあっしの親父と、お賀津の親父と……三人で面倒を見て参りやした」


「ふーん。じゃあ国友に親父さん達がいるんだ」


「いえ……二人とも一昨年の流行り病で死にやして。今は、あっしとコイツの二人だけでごぜえやす」


 その言葉に、台所の空気が少し静かになった。


 だが次の瞬間、賀津が茶を両手で包みながら、ぽつりと呟く。


「俺がいるもんだから、兄やんに嫁が来ねえっていっつもボヤいてるよ」


「こらっ! 大人の話に入ってくんな!」


 又蔵の太い声が台所に響き、賀津は「へいへい」と肩をすくめ、しかしすぐにわざとらしく不満げに唇を尖らせた。


「だってつまんねえんだもん。俺だってタクミサマと話がしてえよ」


 その拗ね方があまりに素直すぎて、拓真は思わず吹き出した。


 又蔵が叱っても、賀津はまるで堪えた様子がない。二人の間には、長年積み重ねてきた信頼と家族ならではの甘えが、言葉の端々に滲み出ていた。


「そういえばさっき、手伝うって言ってたけど、お賀津ちゃんは何をするの?」


「俺を呼ぶ時は“お賀津”でいいよ。俺がやるのは薬合わせだ」


「薬合わせ?」


 拓真が首を傾げると、今度は又蔵が慌てて補足した。


「玉薬の調合でごぜえやす。お賀津の親父は堺から来た玉薬職人でして、腕は村でも一番でやした」


「おれ、小せえ頃から親父に仕込まれたからな。どんな玉薬でもこしらえるぞ」


 胸を張って言う賀津。その姿は幼いのに、職人の自信に満ちていた。


「お賀津はこれでも中々の腕前で、今では国友一の玉薬をこさえやす。口は悪いですが……必ず内匠様のお役に立ちやす」


 又蔵の真剣な声に、拓真は自然と背筋が伸びた。


 見た目は粗野で勝気な少女──しかし、その小さな手が雷振筒の命とも言える火薬を握っているのだと思うと、不思議と心強さが湧いてくる。


「又蔵さんがそう言うなら安心だ。お賀津、よろしくな」


「任せてくれタクミサマ。俺の玉薬は天下一だ!」


 賀津は椅子の上でぐいっと胸を張り、小さな身体をめいっぱいふんぞり返らせた。


 その姿があまりに誇らしげで、拓真は思わず笑みを返すしかなかった。

読んでくださり、本当にありがとうございます!


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