棋譜[2]
石田三成は豊臣秀吉の天下統一以来、ひときわ鋭い眼で徳川家康の動向を見据えていた。
政権の屋台骨は外から見れば立派に見えるが、内実は脆い。秀吉自身が織田家の後継として「血統」ではなく「実力」で天下を継いだ前例がある以上、世の空気は“力ある者が天下を握る”という発想を拒まない。
そして、秀吉の晩年──。
階位、実績、兵力、そのすべてで家康は群雄の中で頭ひとつ抜けていた。
「次に天下を取るのは徳川様」
そんな噂が市井にも武家の間にも静かに浸透し、これみよがしに家康へすり寄る大名まで現れ始めている。
秀吉が没したことで、その危険はついに臨界へ突入した。
家康が近く何らかの手を打ってくることは、もはや疑いようがない。
三成と左近は、その野望をどう食い止めるか──寝る間も惜しんで策を重ねた。
徳川家は巨大だ。
まともにぶつかって勝てる相手ではない。
だがそれでも、決して退かず、一歩も譲らず、合戦すら辞さぬ覚悟で石田家は軍備を増強していた。
無謀と言われようとも、それが己らの“主君”のために選んだ道だ。
そんな野火のような緊張が満ちる中、左近は拓真を静かに見つめた。
「天のみぞ知る事の成否を知っておるわけか……それで、貴殿はそれを儂に伝えてどうしたいと言うのだ?」
問いかけは穏やかだが、その奥には老練な将の鋭い視線が潜む。
拓真は姿勢を正すと、吸い寄せられるように畳へ深く額をつけた。
しばし、その沈黙の平伏は、まるで自分の未来を差し出すような重さを帯びていた。
「……私には行く当てがないのです。元の時代に戻る術もありません。ゆえに……ここで生きていくほかありません。そのために、左近様のお力になりたいと思います」
声には決意と、不安の影と、覚悟の火が同時に揺れていた。
左近はわずかに眉を上げ、小さく首をかしげる。
その反応は驚き半分、興味半分──ただし、容易には心を許さぬ慎重さも混じっている。
「ほう……『力になる』とな。申し出はありがたいが、貴殿は何をしようと言うのだ?」
静かな問いの裏には“この勿怪にいったい何ができるのか?”という率直な疑念が透けている。
拓真は顔を上げ、左近のまなざしを正面から受け止めた。
「そのお話をする前に……お目に掛けたい物があります」
座敷の空気がわずかに揺れた。
未来から来た者が、この時代の武将に見せようという“何か”──。
それが、この先の運命を変えるきっかけになるのかもしれない。
*
山の斜面を抱き込むように築かれた佐和山城は、秋の澄みきった空を背負っていた。草木はまだ色づききらないものの、風にはどこか乾いた匂いが混じり、落ち葉が石畳をこすって音を立てる。千畳敷の広場に吹き抜ける風は、肌を撫でるたびに季節の変わり目を告げる冷たさを持っていた。
左近はその広場に足を踏み入れながら、中央に据えられた奇妙な木馬へと目を向けた。丸太の胴を四本の足で支え、その中心から鉄棒が一本伸びている。秋晴れの薄い陽光が鉄に反射し、鈍く光る。
「工藤殿。見せたいのは、この木馬か?」
静かに発せられた声には、涼風のような慎重さと、得体の知れぬ何かへ触れた時に生まれる小さな昂りが混じっていた。拓真はうなずき、左近は一歩近づくごとに、足元で落ち葉がカサリと音を立てる。
「そうです。これが……私が図面を引いて、又蔵さんに作ってもらった鉄砲です」
「鉄砲? ずいぶん妙な形じゃの」
左近は眉を寄せ、手を伸ばしかけては引っ込めた。木馬の造作は粗く、見慣れた火縄銃の優美さも均整もない。ただ無骨で、生々しく、秋の冷えた空気の中でも独特の圧を放っている。“戦場の匂い”だけは、確かにまとっていた。
「すいません。まだ銃身だけで未完成なんですが……どうしても左近様に見ていただきたくて。これで、あそこにある的を撃ちます」
拓真の言葉を受け、左近は視線を広場の端へ向けた。秋風に揺れる鉄板の的が、陽に照らされて白く浮かんでいる。
「試し撃ちを見せるというのか。しかし……あれは遠すぎる」
火縄銃で試射を行う際、的との距離はせいぜい十五間(約二十七メートル)──遠くても三十間(約五十五メートル)が常識である。それ以上離れれば、弾は風に流され、狙いなどつけようもない。
だが、拓真が指し示した的は、その常識を嘲るように秋風の中へぽつんと置かれていた。五十間(約九十一メートル)は離れている。
左近は思わず目を細めた。遠い。あまりにも遠い。
——本気で、あれを撃ち抜くつもりなのか。
胸の奥に、軽いざわめきが走った。
「まずはご覧下さい。──勘兵衛さん、又蔵さん!」
拓真の号令を合図に、空気が張り詰めた。勘兵衛が火縄を火皿に寄せる。火薬が乾いた音を立てて弾け、澄んだ秋空を裂くような銃声が響いた。次の瞬間、遠い的で金属の当たる音が微かに跳ね返ってくる。
「次!」
拓真の号令が再び響くと、又蔵がすっと前へ出た。迷いのない動きで鉄砲に手をかける。
銃尾から一尺弱の位置に穿たれたT字の小窓──そこには閂のように鉄棒が差し込まれ、銃身と密着している。把手のついた鉄棒は、窓の切欠にぴたりと嵌め込むことで固定される仕組みだ。
又蔵はその把手をつかみ、軽くひねって引き抜くと、小窓が静かに口を開いた。
その隙間へ弾丸と火薬を流し込み、無駄のない動作で再び閂を戻す。
火薬の匂いがほのかに立ちのぼる中、手元の火皿に火薬をまぶすと、勘兵衛がすぐさま火縄を寄せた。
轟、と銃声。火花。
続いて、また同じ手順が素早く繰り返されていく。
慣れた職人の手仕事のような滑らかさで、弾と火薬が装填され、火蓋が切られ、火縄が落とされる。
五度目の発砲が終わる頃には、千畳敷には硝煙が薄く漂い、鼻腔を刺す匂いが風に混じって充満していた。
試射が終わると、又蔵が駆け足で的を回収して戻ってきた。左近が手に取れば、十五寸(約四十五センチ)四方の鉄板には四つ、まるで錐で穿ったような穴が並んでいる。
「……これは一体、何という鉄砲じゃ」
左近は秋空を仰ぎ、思わず息を飲んだ。
命中精度、貫通力、そして何より信じがたい装填速度──どれもが、従来の火縄銃の“限界”を軽々と飛び越えている。
左近の胸の奥を走る戦慄は、秋の涼しさとは比べものにならなかった。
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