回転[3]
いまは石田家の庇護下に身を置いている──だが、その安寧が長く続かないことを拓真はよく知っていた。
この静かな佐和山の空気も、鳥の声がのどかに響くこの時間も、あと二年もすれば消えてなくなる。関ヶ原の戦いで石田三成は敗れ、家は滅亡する。それは未来の歴史として確定している“結果”だ。
風が川面をなで、細かな波紋が光を散らす。その揺れをぼんやり眺めながら、拓真は深くため息をついた。
「関ヶ原までに……自立の道を探さないと。でも……そんなの出来るのか? この時代で通用する技能なんて何一つない俺が、石田家の世話なしで生きてくなんて……」
言葉にしてみると、現実の重さがぐっと増して胸に沈む。
現代では当たり前にあった便利さも安全も、この時代には一つもない。自分という存在がいかに無力か、日を追うごとに痛感させられた。
思考がそこまで沈んだとき、心の奥底からふっと浮かび上がる──禁断の誘惑が……。
「……いっそのこと、石田三成に勝ってもらうか……?」
その瞬間、胸がざわりと騒めいた。
歴史に興味のある人間なら、誰もが一度は考える“もしも”。
本能寺の変がなかったら──。坂本龍馬が暗殺されなかったら──。
歴史の分岐点に手を伸ばしてみたいという衝動は、ごく自然なものだ。
まして拓真は、そうした“if”を題材にしたゲームに青春を捧げた男だ。
戦国シミュレーションは大好物で、学生時代に何度も天下統一を成し遂げた。
その“もし”が、今ここで本当に──現実として出来てしまう。
喉が乾くほど強烈な誘惑だった。
だが、同時に自嘲がこみ上げる。
──あくまでゲームはゲーム。妄想は妄想。
ただのゲーム好きが戦国の世に来て、何が出来る?
歴史の知識を少し知っている程度で、戦局を変えられるはずがない。
それでも、退屈を持て余した頭は、もう少しだけ妄想に逃げ込んだ。
「石田三成に勝ってもらう……って、もし本当にそんな事になったら……俺、消滅したりしないか?」
過去を変えることで未来の自分が存在しなくなる──フィクションではよくある理屈だ。
この世界の法則がどうなのかは分からない。分かるはずがない。
「……って言っても、消える消えないの線引きなんて分かるわけねぇし。それにもし“歴史に関与したら消える”って設定なら……もう手遅れなんだよな、俺……」
ふっと、伏見で見た“あの男”が脳裏に浮かんだ。
名前も知らない、死ななかったかもしれない誰か。
史実では別の運命をたどったはずの人物が、拓真の存在によって、垣屋勘兵衛の一撃で胴を両断されて死んだ。
──もうすでに、歴史は歪んでいる。
自分がこの時代に存在し続ける限り、その歪みはさらに増大していく。
“歴史に関与せずに生きる”など、土台から不可能だったのだ。
「消えるなら……そのときはそのときだ。だったら……石田三成に勝ってもらおうじゃないの!」
声にしてみると、思いのほか軽かった。
ただし、その勢いのまま現実へ踏み込めるほど甘くもない。
「……って言うのは簡単だけどさ。どうすりゃいい? 俺に何が出来る?」
そこで言葉が途切れる。
妄想の羽根も、ついに折れかけていた。
戦国の歴史に多少明るい。
二年後に関ヶ原が起こり、石田三成が敗北することを知っている。
──しかし、知っているのはそれだけだ。
川の音が静かに流れ、拓真の胸には、どうしようもない無力感だけが残った。
「石田三成が勝利するためには、結局のところ徳川家康を倒すしかない……」
拓真は土手の草を指先でちぎりながら、ぽつりとつぶやいた。
川面を吹き抜ける風がひんやりと頬を撫でる。清涼な風景とは裏腹に、思考は重く沈んでいく。
三成は史実において、関ヶ原へ至るまで何度か家康暗殺を企てた。
だが、すべて失敗し、その果てに豊臣家は歴史から姿を消した──拓真はそれを知っている。
だからこそ分かる。
もし三成に“何か”を助言したところで、家康を仕留める成功率は限りなく低い。
そもそも肝心の三成自身が暗殺に積極的ではなく、あくまで戦場で決着をつけることを望んでいた。
「戦場で……確実に勝つ方法、ねぇ……」
空を漂う雲を眺めるように、遠い問いを眺める。
ふと名前が浮かぶ。
「小早川秀秋をどうにかするとか……いや、でもなぁ。そんな簡単にいくわけないよな」
軽口のように言ってみても、胸に返ってくるのは虚しさだけだった。
あの島左近でさえ成し遂げられなかったことを、自分がどうこうできるはずがない。
「やっぱ、無理だよなぁ……現実的に考えりゃ」
ため息が、乾いた草を揺らす。
「俺が自衛隊の一個中隊を率いてるとか、四次元ポケット持ってるとかなら話は別だけどさ。フリーライターなんて、この時代じゃただの無職だしな〜……」
自嘲気味の声が空に溶けていく。
思考がすっかり磨り減ったところで、拓真はとうとう草の上に大の字になった。
両手足を思い切り伸ばし、空を仰ぐ。
青空のまぶしさに目を細めながら、ぽつりと漏らす。
「こんなところで考えても、一発逆転の手なんて思いつくわけないか……」
あくびがひとつ、気の抜けたようにこぼれた。
それから両手を頭の後ろに組み、ゆっくりと目を閉じる。
考えるより、眠る方がまだ生産的だ。
そう思えるほどに、もう脳も心も疲れきっていた。
目を閉じてどれほど経っただろうか。
遠くから甲高い笑い声が、秋の風に乗って運ばれてきた。最初は夢の残響のように聞こえたが、次第に現実の輪郭を帯びてくる。
農家の子供達だろう。家の手伝いを終えたのか、五、六人の影が土手を駆け降り、川辺を占領する。
聞き取れないが、騒ぎながら何かを川へ投げ入れる音──軽く弾けて沈む、石の落ちる水音。
「……ああ、水切りか」
のそのそと体を起こし、音のする方へ視線を向ける。
薄茶色の河原で、子供達が小石を選んでは投げ、それが水面で数度跳ねて沈む。跳ねた回数に一喜一憂し、肩を小突き合っている。
「そういや……ガキの頃、よくやったなぁ」
思い出が胸の奥で、静かにほどけていく。
実家は多摩川のそばだった。草野球に夢中のオッサン達に「危ねぇぞ!」と怒鳴られながら、それでも夕暮れまで石を投げて遊んでいた。
あの湿った土の匂い、草のざらつき、夏の光──記憶が一気に押し寄せ、胸がじんわり熱くなる。
気づけば拓真は立ち上がり、子供達のそばまで歩いていた。
足元から手頃な石を拾い、試しに川へと弾いた。
石は鋭い直線を描き、水面を軽やかに七度、八度と跳ねて遠くへ飛ぶ。
「すげぇ! おっちゃん、えらく飛ばすなぁ!」
子供達の歓声が弾け、わっと取り囲まれる。
「……おっちゃん、か」
別に若者ぶるつもりはないが、初対面の子供にそう呼ばれると胸に小さな傷ができる。
せめて“兄ちゃん”にしてほしい。
「おっちゃん、やり方教えてくれよ!」
容赦ない笑顔が突き刺さる。
だが、この無邪気さに抗えるはずもない。
「ああ、簡単だよ。まずは、こういう平たい石を探して……」
苦笑しつつ、足元の石を拾い上げ、子供達に見せる。
ゆっくりと構え、投げる動作を再現する。
「低い位置から、水平に……回転をかけるように──」
その瞬間、拓真の脳裏に、稲妻のような閃光が走った。
キーワードが脳内で渦巻き、重なり、結びつき、一つの絵図が、突然、鮮明に立ち上がった。
「投げないのか? おっちゃん?」
子供の声が聞こえているはずなのに、耳に届かない。
拓真は石を持ったまま、硬直したように立ち尽くした。
「……回転……距離……場所……家康……螺旋……十五……」
呟きながら、構想は雪崩のように組み上がっていく。
「……いける……かもしれない。いや、可能かどうかなんて……やってみなきゃ分からない……けど、どうなんだ……いやっ、とにかくやってみよう!」
独り言をこぼすと、怪訝そうに見つめる子供達など目に入らないまま、拓真は土手を駆け上がった。
胸の内に、久しく味わっていなかった熱が宿る。
退屈を埋めるための妄想じゃない──。
“実現しうる策”としての、初めての光が灯ったのかもしれない。
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