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Last resort  作者: 蒼了一


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19/103

回転[3]

 いまは石田家の庇護下に身を置いている──だが、その安寧が長く続かないことを拓真はよく知っていた。


 この静かな佐和山の空気も、鳥の声がのどかに響くこの時間も、あと二年もすれば消えてなくなる。関ヶ原の戦いで石田三成は敗れ、家は滅亡する。それは未来の歴史として確定している“結果”だ。


 風が川面をなで、細かな波紋が光を散らす。その揺れをぼんやり眺めながら、拓真は深くため息をついた。


「関ヶ原までに……自立の道を探さないと。でも……そんなの出来るのか? この時代で通用する技能なんて何一つない俺が、石田家の世話なしで生きてくなんて……」


 言葉にしてみると、現実の重さがぐっと増して胸に沈む。


 現代では当たり前にあった便利さも安全も、この時代には一つもない。自分という存在がいかに無力か、日を追うごとに痛感させられた。


 思考がそこまで沈んだとき、心の奥底からふっと浮かび上がる──禁断の誘惑が……。


「……いっそのこと、石田三成に勝ってもらうか……?」


 その瞬間、胸がざわりと騒めいた。


 歴史に興味のある人間なら、誰もが一度は考える“もしも”。


 本能寺の変がなかったら──。坂本龍馬が暗殺されなかったら──。


 歴史の分岐点に手を伸ばしてみたいという衝動は、ごく自然なものだ。


 まして拓真は、そうした“if”を題材にしたゲームに青春を捧げた男だ。


 戦国シミュレーションは大好物で、学生時代に何度も天下統一を成し遂げた。


 その“もし”が、今ここで本当に──現実として出来てしまう。


 喉が乾くほど強烈な誘惑だった。


 だが、同時に自嘲がこみ上げる。


 ──あくまでゲームはゲーム。妄想は妄想。


 ただのゲーム好きが戦国の世に来て、何が出来る?


 歴史の知識を少し知っている程度で、戦局を変えられるはずがない。


 それでも、退屈を持て余した頭は、もう少しだけ妄想に逃げ込んだ。


「石田三成に勝ってもらう……って、もし本当にそんな事になったら……俺、消滅したりしないか?」


 過去を変えることで未来の自分が存在しなくなる──フィクションではよくある理屈だ。


 この世界の法則がどうなのかは分からない。分かるはずがない。


「……って言っても、消える消えないの線引きなんて分かるわけねぇし。それにもし“歴史に関与したら消える”って設定なら……もう手遅れなんだよな、俺……」


 ふっと、伏見で見た“あの男”が脳裏に浮かんだ。


 名前も知らない、死ななかったかもしれない誰か。


 史実では別の運命をたどったはずの人物が、拓真の存在によって、垣屋勘兵衛の一撃で胴を両断されて死んだ。


 ──もうすでに、歴史は歪んでいる。


 自分がこの時代に存在し続ける限り、その歪みはさらに増大していく。


 “歴史に関与せずに生きる”など、土台から不可能だったのだ。


「消えるなら……そのときはそのときだ。だったら……石田三成に勝ってもらおうじゃないの!」


 声にしてみると、思いのほか軽かった。


 ただし、その勢いのまま現実へ踏み込めるほど甘くもない。


「……って言うのは簡単だけどさ。どうすりゃいい? 俺に何が出来る?」


 そこで言葉が途切れる。


 妄想の羽根も、ついに折れかけていた。


 戦国の歴史に多少明るい。


 二年後に関ヶ原が起こり、石田三成が敗北することを知っている。


 ──しかし、知っているのはそれだけだ。


 川の音が静かに流れ、拓真の胸には、どうしようもない無力感だけが残った。


「石田三成が勝利するためには、結局のところ徳川家康を倒すしかない……」


 拓真は土手の草を指先でちぎりながら、ぽつりとつぶやいた。


 川面を吹き抜ける風がひんやりと頬を撫でる。清涼な風景とは裏腹に、思考は重く沈んでいく。


 三成は史実において、関ヶ原へ至るまで何度か家康暗殺を企てた。


 だが、すべて失敗し、その果てに豊臣家は歴史から姿を消した──拓真はそれを知っている。


 だからこそ分かる。


 もし三成に“何か”を助言したところで、家康を仕留める成功率は限りなく低い。


 そもそも肝心の三成自身が暗殺に積極的ではなく、あくまで戦場で決着をつけることを望んでいた。


「戦場で……確実に勝つ方法、ねぇ……」


 空を漂う雲を眺めるように、遠い問いを眺める。


 ふと名前が浮かぶ。


「小早川秀秋をどうにかするとか……いや、でもなぁ。そんな簡単にいくわけないよな」


 軽口のように言ってみても、胸に返ってくるのは虚しさだけだった。


 あの島左近でさえ成し遂げられなかったことを、自分がどうこうできるはずがない。


「やっぱ、無理だよなぁ……現実的に考えりゃ」


 ため息が、乾いた草を揺らす。


「俺が自衛隊の一個中隊を率いてるとか、四次元ポケット持ってるとかなら話は別だけどさ。フリーライターなんて、この時代じゃただの無職だしな〜……」


 自嘲気味の声が空に溶けていく。


 思考がすっかり磨り減ったところで、拓真はとうとう草の上に大の字になった。


 両手足を思い切り伸ばし、空を仰ぐ。


 青空のまぶしさに目を細めながら、ぽつりと漏らす。


「こんなところで考えても、一発逆転の手なんて思いつくわけないか……」


 あくびがひとつ、気の抜けたようにこぼれた。


 それから両手を頭の後ろに組み、ゆっくりと目を閉じる。


 考えるより、眠る方がまだ生産的だ。


 そう思えるほどに、もう脳も心も疲れきっていた。


 目を閉じてどれほど経っただろうか。


 遠くから甲高い笑い声が、秋の風に乗って運ばれてきた。最初は夢の残響のように聞こえたが、次第に現実の輪郭を帯びてくる。


 農家の子供達だろう。家の手伝いを終えたのか、五、六人の影が土手を駆け降り、川辺を占領する。


 聞き取れないが、騒ぎながら何かを川へ投げ入れる音──軽く弾けて沈む、石の落ちる水音。


「……ああ、水切りか」


 のそのそと体を起こし、音のする方へ視線を向ける。


 薄茶色の河原で、子供達が小石を選んでは投げ、それが水面で数度跳ねて沈む。跳ねた回数に一喜一憂し、肩を小突き合っている。


「そういや……ガキの頃、よくやったなぁ」


 思い出が胸の奥で、静かにほどけていく。


 実家は多摩川のそばだった。草野球に夢中のオッサン達に「危ねぇぞ!」と怒鳴られながら、それでも夕暮れまで石を投げて遊んでいた。


 あの湿った土の匂い、草のざらつき、夏の光──記憶が一気に押し寄せ、胸がじんわり熱くなる。


 気づけば拓真は立ち上がり、子供達のそばまで歩いていた。


 足元から手頃な石を拾い、試しに川へと弾いた。


 石は鋭い直線を描き、水面を軽やかに七度、八度と跳ねて遠くへ飛ぶ。


「すげぇ! おっちゃん、えらく飛ばすなぁ!」


 子供達の歓声が弾け、わっと取り囲まれる。


「……おっちゃん、か」


 別に若者ぶるつもりはないが、初対面の子供にそう呼ばれると胸に小さな傷ができる。


 せめて“兄ちゃん”にしてほしい。


「おっちゃん、やり方教えてくれよ!」


 容赦ない笑顔が突き刺さる。


 だが、この無邪気さに抗えるはずもない。


「ああ、簡単だよ。まずは、こういう平たい石を探して……」


 苦笑しつつ、足元の石を拾い上げ、子供達に見せる。


 ゆっくりと構え、投げる動作を再現する。


「低い位置から、水平に……回転をかけるように──」


 その瞬間、拓真の脳裏に、稲妻のような閃光が走った。


 キーワードが脳内で渦巻き、重なり、結びつき、一つの絵図が、突然、鮮明に立ち上がった。


「投げないのか? おっちゃん?」


 子供の声が聞こえているはずなのに、耳に届かない。


 拓真は石を持ったまま、硬直したように立ち尽くした。


「……回転……距離……場所……家康……螺旋……十五……」


 呟きながら、構想は雪崩のように組み上がっていく。


「……いける……かもしれない。いや、可能かどうかなんて……やってみなきゃ分からない……けど、どうなんだ……いやっ、とにかくやってみよう!」


 独り言をこぼすと、怪訝そうに見つめる子供達など目に入らないまま、拓真は土手を駆け上がった。


 胸の内に、久しく味わっていなかった熱が宿る。


 退屈を埋めるための妄想じゃない──。


 “実現しうる策”としての、初めての光が灯ったのかもしれない。

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