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東洲斎写楽の懊悩  作者: 橋本洋一


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死体

 死体だらけだ――重三郎が真っ先に思ったのがそれだった。部屋中に老若男女の死体が十数体倒れている。それも仰向けで、生気のない顔を見せつけていた。目立った外傷はないものの、既に息絶えていることは明白だった。


「シャ、シャーロック。どこにいる……?」


 これが誰の仕業なのかも分かりきっている。だから下手人の名を恐る恐る呼んだ。

 すると部屋の隅で「ジューザブロー……」と弱々しい声がした。


 重三郎が視線を向けると膝を抱えて座っているシャーロックがいた。時刻は昼時だが日の光が届かないほど曇りだった。それ故に薄暗い部屋の中で一際金髪がきらきらしていて不気味に見える。


「シャーロック、そうか……こういう理由なのだな」


 重三郎は得心したのか、それとも悲しみを感じているのか、己でもわかっていないような口調で、シャーロックに言う。


「お前が人の絵を描かなかったのは――こういうことなのだな」


 そのとき、外からぱらぱらと音が鳴った。そして次第に雨が酷く強くなる。

 天が良くないものを引き寄せていた。

 重三郎の胸中に穏やかではない、不安な気持ちが広がっていく――



◆◇◆◇



 送り主の分からない手紙をシャーロックに渡すか、重三郎は大いに迷ったが結局指示通りにすることにした。もちろん葛藤がなかったわけではない。そのまま見せずに捨てられた。けれどもシャーロックにとって重要な手紙だったら彼に申し訳なくなる。それに重三郎自身に危害が加わる可能性もあった。


 シャーロックを別宅に匿っていることを送り主は知っている。つまり重三郎をいかようにもできるということだ。幕府の役人に密告すれば破滅させられる。その場合シャーロックも捕縛されるのでありえないが、それに近しいことができるだろう。直接重三郎を殺めるかもしれない。


 いろいろ熟慮した結果、重三郎は翌日すぐにシャーロックと会おうと決めた。

 別宅に訪れると庭先で洗濯物を干しているお雪の姿が見える。


「あ。義父上。おはようございます」

「うむ。ご苦労だな」


 重三郎は「昨日はどうであった?」と様子を窺った。

 お雪は「変な人と関わってしまいました」と眉をひそめる。


「変な人? それは誰だ?」

「勝川派の絵師で、勝川春朗と言っていました。シャーロックの絵を見て驚愕していましたね」


 聞いたことのない名だ。だからたいしたことはないだろう。

 そう判断した重三郎は「役人でなければ構わぬ」と頷いた。


「シャーロックは相変わらず部屋にこもって絵を描いておるのか?」

「あの子、外出たことで気分が高揚しているみたいです。昨日からほとんど寝てないようで」


 寝食を忘れて没頭するのは絵師にはよくあることだ。

 重三郎は「そうか」と言って縁側に座った。

 お雪が洗濯物を干し終えるまでのんびりと日に当たる。


「明日も晴れるといいですね。洗濯物が乾きますから」

「そうだな……言葉通り、晴れやかな気分になるからのう」


 そんな会話をしつつ、別宅の奥の間に入る二人。そこではシャーロックが楽しそうに絵を描いていた。神社の神木だと誰もが分かるが、その写実的な絵柄はとてもじゃないが凡百の絵師では真似すらできないだろう。


「シャーロック。久しいな」

「ウン? ジューザブロー? オハヨウ!」


 筆を止めて挨拶するあたり、シャーロックは重三郎のことを信頼しているのだろう。懐から件の手紙を出して「お前の手紙だ」と手渡した。


「テガミ? ワタシノ?」

「そうだ。異国の言葉ゆえ内容は分からぬがな」


 シャーロックは戸惑いながらも手紙を読み始めた。重三郎の後ろにいたお雪は「誰からの手紙ですか?」と警戒している。


「送り主は不明だ。名が書いていなかった」

「大丈夫なのですか? 義父上がここに匿っていることを知っているのでは?」

「だろうな。しかしそれを知った上で役人に告げ口しないのは、わしたちをどうこうするつもりがないのだろう」

「少し楽観的に思えますが……」


 お雪の心配は正しかった。けれども重三郎の判断もまた決して間違ってはいない。彼らを破滅させるのであればそもそも手紙など出さないだろう。


「……オー、ジーザス!」


 シャーロックが唐突に叫んだ。

 それもかなり動揺しているみたいだと重三郎は分かり「何があった?」とすぐさま訊ねる。


「……ジューザブロー。ワタシ、オネガイアリマス」


 手紙から目を離して、寄ってきた重三郎にシャーロックは真剣な顔で言う。

 お雪はいつもと雰囲気が違うと思い、ごくりと唾を飲み込んだ。


「願いだと? 言ってみろ」

「イロ、クダサイ。クロデハナイモノ、クダサイ」

「……つまり、顔料のことか?」


 表情を崩さずに「ガンリョー、ガンリョー……」と何度も呟くシャーロック。鬼気迫る様子に二人は何も言わずに見守るしかなかった。


「ジューザブロー、ガンリョー、クダサイ。ワタシ、イリマス。オネガイシマス」


 カタコトの日の本言葉で懇願するシャーロックに「分かった。用意する」と請け負ってしまった重三郎。版元を営んでいる彼にしてみれば容易い願いだった。


「それで、人の絵を描くのか?」

「カク。ヒト、カク……」


 おそらく手紙にも人の絵を描くように指示があったのだろうと重三郎はあたりをつけた。それならばますます用意せざるを得ない。


「義父上……シャーロック、大丈夫でしょうか?」


 お雪の言う大丈夫とはいろいろな意味を含んでいた。それを分かったうえで「安心しろ」と答えた重三郎。


 シャーロックの絵に色がつくだけだ。何も変わりはしない。むしろ今まで以上に凄いものを見せてくれるはずだ。

 商売人であるのと同時に芸術を解する者として、重三郎はシャーロックに期待している。その思いが後押ししたのは間違いない。


 そして重三郎は三日後。

 死体を見ることとなる――



◆◇◆◇



 重三郎が顔料を持ってきたのは翌日のことだった。渡されたシャーロックは奥の間に引きこもり延々と描き続ける。それこそ寝食も忘れるほどだった。お雪のご飯をまったく食べずに行なうので、彼女は急いで重三郎の元へ走る。このままだと死んでしまうと思ったからだ。


「分かった。お前はここにおれ。わしが様子を見てくる」

「お願いします。義父上……」


 心配のあまり憔悴してしまったお雪を店の者に預けて、重三郎は別宅に向かった。着いたのは昼時で天候はあまり良くなかった。


「シャーロック、どこに――」


 奥の間を開けるが薄暗くて判然としない。

 仕方がないので灯りを点けた。

 死体が大勢倒れていた。


「こ、これは――」


 一瞬、死体に驚いたが、次の瞬間――それが『絵』だと気づく。しかし死体と誤認させるほどの精度と迫力がそれにはあった。


 顔に生気が無くて完全に息絶えていることが見て取れる。目が開いていて頬に紅が差しているのに、どの角度から見ても死んでいた。死体そのものを描写した印象を受ける。老若男女描かれているが、全員がそのように描かれていた。それも日の本の者たちである。部屋に留まっていると精神に異常をきたしてしまいそうになった――


「シャ、シャーロック。どこにいる……?」


 重三郎が呼ぶと部屋奥で膝を抱えて座っているシャーロックがいた。安堵したがすぐに

険しい顔になる――


「ジューザブロー……」

「シャーロック、そうか……こういう理由なんだな」


 重三郎はシャーロックに同情を覚えた。

 描くことが楽しいのに。

 楽しくて仕方がないのに。

 人を描くと死体のように見えてしまう。

 それはどれだけ悲しくてつらいことなのだろうか。


「お前が人の絵を描かなかったのは――こういうことなのだな」


 雨が降り出してきた。

 それもなかなか止まない類の天の涙だった。


「ジューザブロー、オネガイシマス……」


 シャーロックは青い顔のまま、手をついて頭を下げた。


「……タスケテ、クダサイ」

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