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東洲斎写楽の懊悩  作者: 橋本洋一


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春朗

「勝川……あの勝川派の門人なの?」


 警戒しているお雪が確認のために訊ねると「まあな。俺は不出来な弟子だよ」とまたも自嘲して笑う春朗。しかしシャーロックの絵から目を離さなかった。まるで何かを掴もうとしているように、瞬き少なく観察している。


「それに師匠が昨年死んじまってな。これからの去就を考えていたところでもある」

「そうなんだ。参拝していたのも関係している?」

「そうだな……あんたの絵、すげえ技術だが誰に習ったんだ?」


 お雪の問いに半ばうわの空で答える春朗。

 だがシャーロックはどう答えていいのか分からないのか、ちらちらとお雪に助けを求めている。ここで正体が判明するのを避けたいので、彼女は「誰でもいいでしょ」と突っぱねた。


「なんだよ。俺にいろいろ訊いておいてそりゃねえだろ」

「別にそんな決まりはないわ。それによく知らない人とは話したくないし」

「拐すつもりなんてねえよ。あ、そうだ。あんたの名前聞いていなかったな」


 美人の部類に入るお雪には全く興味がないようで、シャーロックに話しかける春朗。

 絵のことしか考えられないのねとお雪は判断した。重三郎が抱えている絵師の中にも少なからずいる。それを養女であるので接する機会が多いから分かってしまう。


「その子は……写楽よ」


 昨日、重三郎に江戸まで来た経緯を詳しく聞いていたお雪は関所でのやりとりを思い出して告げた。

 春朗は「へえ。写楽か」と何故か嬉しそうに笑う。


「聞いたことねえけどすごい絵師だってえのは分かるぜ。年若いのに立派なもんだ」

「……どうして若いって……思うの?」


 分かるのと言いかけたのを止めて、お雪は慎重に言う。

 春朗はびくびくしているシャーロックを横目に「これでも見る目があるんだ」と応じた。


「観察すりゃ年の頃なんて分かるさ。十七か十八。十九ってことはねえだろ」


 重三郎の審美眼とは似て異なる観察眼と言うべきだろう。物の本質を見抜く点では同じだが美しさではなく、モノそのものを理解するというのが違いがある


「ということは、あんたも絵師かその関係者か?」


 今度はお雪に水を向けた春朗。

 お雪は「絵師じゃないわ」と端的に答えた。


「でも関係者よ。私は蔦屋重三郎の養女なの」

「蔦屋か。死んだ師匠と縁があったような……いや、なかったか。でもまあ有名だ」


 江戸で指折りの版元である重三郎はうろ覚えでも知っている者が多い。

 それ自体驚くべきことではないし反応することではないが、春朗が「じゃあ蔦屋のところで絵を売るのか」という憶測に「それはないわよ」とお雪は思わず否定した。


「写楽はまだまだ未熟よ。人前に出せる実力でもないわ」

「ははは。あんた、見る目ないんだな」


 小馬鹿にするような口調に「悪かったわね」とムッとして答えるお雪。

 異国人のシャーロックの作品を世に出すことなどできやしないと彼女は考えていた。だからこそ否定してしまったのだ。


「俺が蔦屋なら今すぐにでも絵をたくさん描かせるね。筆が早いのは才能だ」

「筆が早い……そうなの?」

「なんだい。絵に関して本当に素人なんだな」


 春朗は描くかどうか迷っているシャーロックから絵を取り上げた。

 そしてお雪に「見てみろ。迷いがない」と説明し出す。


「凡人なら戸惑うところをまったく気にしてねえ。それどころか楽しんで描いている。もし墨じゃなくて紅や藍を使わせたら……とんでもないことになるぜ」

「とんでもないって?」


 春朗はおろおろしているシャーロックに絵を返して「想像もつかねえな」と笑った。


「もしかすると後世に残るような傑作を描くかもしれねえ。もしくは誰も理解できないとんでもないものを描くかもな」

「傑作はともかく、誰にも理解できないのはどうかと思うけど」

「絵ってのは綺麗か醜いかで分けられるもんじゃねえ。いかにして心を奮わせるかが勝負さ」


 偉そうに講釈を垂れている春朗に、お雪は「でもあなたは迷っているんでしょ」と核心を突く言葉を言った。途端に困り顔になる春朗。


「あなたの作品を見たことがないからよく分からないけど、心を奮わせる作品を描けていたら神頼みなんてしないわ」

「痛いところを突きやがって……ああ、そうだよ」


 頬をぽりぽり掻きながら「俺は未熟者だよ」とあっさりと春朗は認めた。


「師匠にも言われたよ。お前はもう少し素直に描ければ大成するのになって」

「じゃあ素直に描きなさいよ」

「……俺が描いた絵がこれだ」


 懐から四つ折りした紙を取り出す春朗。お雪とシャーロックに見せるように広げた。

 それは海の光景を描いたもので、色はついていない。下書きなのだろう。しかしその特徴は波しぶきで、まるで船を襲うようなそれは円を多用したものだった。重三郎の養女であるお雪は絵を見る機会が多いが、そんな極端かつ独特に描かれている絵は見たことがない。


「ずいぶんと個性のある絵ね」

「それこそ素直におかしな絵って言えばいいじゃねえか」

「……そうかもね。普通の絵とは違うかも」


 気遣いを見せることが必ずしもその人に為にならないことはままある。

 お雪は「どうしてこんな絵を描いたの?」と訊ねた。


「俺にはこう見えているんだ。波しぶきが海の青から白く変わっていたのを切り取ったんだ」

「ふうん……あ、ちょっと!」


 唐突にシャーロックが春朗から紙をひったくり、手に取ってしげしげと眺め始めた。

 新しい技法を感じ取っているみたいで「オー、スバラシイ……」と感嘆の声をあげる。


「ミタコトナイ……ビューティフル……」

「うん? びゅうてふるってなんだ?」

「……とにかく感激しているのは分かるわ」


 あまり突っ込まれたくないので誤魔化すお雪。

 春朗は嬉しそうに「感激してくれるのか!」と笑った。


「失っていた自信ってのを取り戻せそうだぜ」

「それは良かったわね……そろそろ私たち行かないと」


 これ以上絵狂いの変人に関わっていたら日が暮れてしまう。ましてや鋭い観察眼を持っている春朗だ。ふとしたことが正体の判明につながるかもしれない。お雪はシャーロックから絵を取って「はいこれ」と春朗に手渡した。


「おう悪いな。下書きだけどよ、いつか描こうと思っているんだ」

「それでは。あんまり根を詰めないように気をつけてね」


 お雪は別宅へ帰ろうとシャーロックの袖を引っ張る――だけど動かなかった。

 あれ? と思っているとシャーロックが春朗に「アリガトウ」と言う。


「ヨキエ、ダッタ」

「おいおい。売れねえ絵師の絵を褒めるなんて、あんたお人よしか?」

「オヒトヨシ? ソレハナニ?」

「なんだよ……本心なのか?」


 きょとんとするシャーロックになんと言えばいいのか分からず、苦笑してしまう春朗。


「そんじゃあまたな。俺骨接ぎに行ってくるわ」

「骨接ぎ? どこか骨折でもしているの?」


 お雪の疑問に春朗は「俺は骨折してねえよ」と返す。


「人を描くには身体のことを知らねえと駄目だからな。それに関して骨接ぎはおあつらえ向きなんだよ」


 やばい。この人絶対変だわ。

 お雪は自分の顔が引きつっているのがはっきりと分かってしまった。


 しかし江戸で初めて会った絵師が勝川春朗という奇人にして変人だったことは、シャーロックにとって本当に幸運だったようだ。自分にはない作風を知ることで成長することがある。それはシャーロックだけではなく、春朗もまたそうだった――



◆◇◆◇



 さて。その日の夕方のことである。

 仕事を終えてしばしの休息を取っていた重三郎の元に一通の手紙が届いた。

 手代が持ってきたそれを私室にて読むと――


「……なんということだ。いったい、何者なんだ?」

 手紙は二枚に分かれていて、一枚には異国の言葉で長々と書かれていた。

 もう一枚には日の本言葉で短く書かれている。


『シャーロックに見せろ。そして奴に人の絵を描かせるのだ』


 重三郎の胸中に不安が巡る。

 自分たちは見張られている――そう思えて仕方がない。

 しかし同時に言うことを聞かねばならないことも分かっていた。

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