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東洲斎写楽の懊悩  作者: 橋本洋一


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外出

「アノ、オユキサン。ワタシ、ソト、デタイ」

「……何を言っているのあなたは」


 別宅での生活が半月経った頃の昼時。

 衝撃的な一言がシャーロックから出たことで、お雪は思わずよそっていたしゃもじをおひつの中に落としてしまった。

 しかしシャーロックは「ソトデタイ」と同じ文言を繰り返す。


「駄目に決まっているじゃない。あなたがここにいること自体、法度に触れるのに」

「オウ……ダメ、ナノ?」


 しょんぼりしておかずの野沢菜漬けを食べて、ご飯を口に運ぶ様は日の本の住人らしいけど、金髪碧眼の見た目は変えられない。

 しかし一度も外出できないのもどうかとお雪は考えた。引きこもって絵ばかり描いているのは不健康にも思える。


 そこでお雪ははたと思いつく。義父上はどうやってここまでシャーロックを連れてきたのだろう。明らかに日の本の人間ではない彼を江戸まで連れてくるの至難だ。


「相談、してみようかなあ……」


 本来ならば絶対に外へ出してはいけない。それはお雪も重々承知していたはずだった。けれども、シャーロックと共に過ごすうちに情が湧いてしまったのは否めない。

 それにシャーロックの頼みなど初めてのことだった。絵を貰ってばかりのこともあり協力しようと気にもなる。

 だからこそ、重三郎に相談しようという気が起きてしまった――


「シャーロック。あなたが外に出られるかは分からない。義父上に知恵を出してもらうわ」

「チチウエハジューザブロー?」

「そうよ。とにかく今日はおとなしく絵を描いて」

「オウ……」


 伝わったのかどうかは微妙だがシャーロックは食事を終え、奥の間へと去っていく。

 肩を落としている様子はなんだか物悲しく思えて、お雪も落ち込んでしまう。

 男に対して情なんか持つのをやめたのに、どうしてこうも気にかけるのだろうと彼女自身不思議に思った。



◆◇◆◇



「外に出たいだと? それは……難しいな」


 その日の夜、重三郎がやってきたのでお雪は相談すると当然のように難色を示された。

 お雪自身、無理な相談だと分かっていたけど、ここで引き下がるわけにはいかない。だから「このままではシャーロックが可哀想です」と言う。


「まるで罪人です。それにこのまま閉じ込めておくのは身体にも障ります」


 罪人と聞いて重三郎が思い浮かんだのは最初に出会ったときのことだった。

 腕組みして「わしも可哀想だと思う」と思案顔になる。


「ちなみにどうやって江戸まで旅してきたんですか? 明らかに異国人だと分かるじゃないですか」

「頭巾と口に布を当て、顔を隠して誤魔化した。しかし今は夏が近い。そんな恰好で歩いたら思わず取ってしまうのではないか?」

「そこはシャーロックに厳しく言います」

「お前がか? そこまで親しくなったとは知らなんだ……」


 お雪は「そりゃ、毎日ずっと一緒にいますから」と髪をかき上げた。


「そうか? お前は男を信用しないだろう」

「私は義父上を信用していますよ」

「それはわしのことを男と見ていないからだ……シャーロックのこともそうなのか?」

「ええまあ。年下の子供……弟みたいに思えています」


 重三郎は深くため息をついて「わしはそこまで思えん」と正直な感想を述べた。


「確かに情はある。だがな、厄介者であることに相違はない」

「判明したら打ち首ですもの。私だって怖いですよ」

「だろう? ここはシャーロックに我慢してもらって――」

「私が眠っているうちに出て行くかもしれませんよ?」


 ここでお雪は重三郎が最も恐れることをあっさりと言った。

 途端に顔色が悪くなる義父に続けて「ずっといるわけではありませんから」と真剣な顔で訴えた。


「寝ている部屋も別々ですし。それに牢屋じゃないので出入り自由ですよ」

「ううむ。お前に見張れというのも酷だ」

「一人で見張るのはできませんよ。やれって言われても断ります」


 シャーロックが外に出たがっている。それは大いに困ることだった。

 しかしもっと困ることは本当に外に出ることだ。それも一人きりで。

 それならば――


「……分かった。外に出してもいい。だがお前が常に傍にいること。いいな?」


 許可が出たことにお雪は心から安堵した。

 もし出なくてシャーロックが勝手に出たらそれこそ目も当てられない。

 重三郎は「これは邪推だが」と言いにくそうな顔になる。


「もしかして、外に出られないのが可哀想だと思うのは、お前自身の経験から来ているのか?」

「……それこそ邪推ですね」



◆◇◆◇



 そして翌日。

 頭巾と布を付けたシャーロックは外に出ることを許され、意気揚々と別宅の門をくぐった。隣にはお雪がいて警戒するように辺りを見渡した。当のシャーロックは風呂敷を大事そうに持ちながら待っている。


「……シャーロック。日が暮れる前に帰るんだからね? 言うこと聞いてね?」

「ショウチ、シタ……タダシイ?」

「ええ、正しいわよ。分かってくれればいいの」


 時刻は昼を少し過ぎたくらいだった。

 外で買い食いしないようにと昼食をたっぷり食べさせたのでその心配はない。

 問題はシャーロックがどこに行きたいかだった。


「それで、どこに行きたいの?」

「ワカラナイ。ワタシ、エドシラナイ」

「じゃあ近所の神社にでも散歩に行きましょうか」


 確か小野篁が祀られている芸事に御利益のある神社があったはずだとお雪はシャーロックの着物の袖を掴んで歩き始める。二人はまるで親子のようだが、シャーロックのほうが背は高いのでちぐはぐに見えた。


 しばらく歩いて神社の境内に着くと、シャーロックは風呂敷から紙と墨汁の入った竹筒を取り出す。ここで絵を描くつもりだ。お雪は座り込んだシャーロックの隣に腰かける。


「シャ……あなた、絵を描くのが本当に好きなのね」

「ハイ。ワタシ、エヲカク、スキ」


 片言だがだんだんと発音が日の本らしくなっている。

 それに意味も分かっているようだ。言葉を区切っていることからそれが分かる。

 シャーロックが社の絵を楽しそうに描いていると、そこに参拝にやってきた一人の男が見えた。


 パンパンと柏手を鳴らし、じっと何かを祈るように目を瞑って手を合わせている。

 どこか必死さを感じたお雪はなんなのかしらと不気味に思っていた。

 しばらくしてその男はぶつぶつ言いながらシャーロックたちのほうに足を進めてきた。

 おそらく考え事をしているのだろう。お雪はなるべく目を合わせないように顔を背けた。


「あん? ……その絵は!?」


 その男はシャーロックの絵に過敏に反応した。

 無言のまま、シャーロックが絵を描く様を睨むように見る。

 お雪は正体が分かったら不味いと思い「あのう……どうかなさりましたか?」と訊ねた。


「……並の絵師じゃねえな。普通、そんな自由かつ繊細に描けやしねえ」


 シャーロックが描いているのは社だけではない。傍らにある木や石畳、空や雲まで細やかに描き、それでいて墨だけなのに質感も各々違っていた。写実的と評するのが適当だろう。男が言うとおり、自由かつ繊細な絵だった。


 とうとうお雪を押しのけ未だに絵を描き続けているシャーロックの隣に座る男。

 シャーロックは夢中で絵を描いていたが鼻息の荒い男に気がついて「ナ、ナニ?」と驚いた。


「続けろよ。もっとあんたの描く様を観察してえんだ」


 お雪は改まって男を怪しいと思った。

 年の頃は三十前半。町人の髷をしているが、ところどころ汚い印象を受ける。特に手が汚い。黒々としていてろくに手を洗っていなさそうだ。目がぎょろっと大きく、それが印象的で他の部位は目立たない。無精ひげがあって身なりに気を遣わないようだ。


「アナタ。ダレ?」

「ああ、俺か。たいした男じゃねえよ」


 軽く自嘲して、それから笑顔で言う。


「俺の名前は勝川春朗かつかわしゅんろう。絵師もどきのどうしようもねえ男さ」


 それはまだ己の芸術を確立できていない男が必死になってもがいている――そんな印象を受ける名乗りだった。

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