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東洲斎写楽の懊悩  作者: 橋本洋一


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贋作

「俺は、あんたを恨むぜ――蔦屋さんよ」


 絵比べが終わった数刻後、春朗は重三郎、そして勇助と話していた。

 場所は三井八郎右衛門の屋敷ではない。

 蔦屋の店の中である。


 誘ったのは重三郎だった。シャーロックから話を聞く限り、春朗が絵比べに参加するような絵師ではないと判断していた。私利私欲のためや賞品である天草四郎の旗を手に入れたいということもなさそうだった。

 だから詳しい話を訊くために場を設けたのだった。


 そこで語られたのは春朗の娘のお栄のことだ。

 悲しげに語る春朗を前にして、勇助は無言を貫いていた。


「あんたを恨む、か。写楽のことは恨まないのか?」

「あの人はただ、絵を描いただけだ。それが罪だと言えねえ。おそらく勝負云々より描くのが楽しかっただけだろう。ま、目的はあっただろうが」

「なるほどな……その、娘さんの容態はどうだ?」


 春朗は「今は小康状態が続いているよ」と眼を背けた。


「だがいつ悪化してもおかしくないって医師の野郎が言うんだ……治るには高価な薬が必要だってさ。そんなもん、俺が払えるわけがねえ」

「……わしとしては、立て替えても良いと考える」


 その言葉にそっぽを向いていた春朗が「本当か!?」と強く反応した。

 一縷の望みを懸けている――病の子を持つ親ならば、誰もが同じ気持ちだろう。


「ああ。さっそく、手配を――」

「待ってください、大旦那様。その役目は手前が行ないます」


 待ったをかけたのは勇助だった。

 唖然とする春朗に対して、重三郎はやはりかという風に頷く。


「お前が支払うと言うのか? 春朗殿は負けたのだぞ」

「手前が取引した条件は、傑作を描くこと。十二分に満たされています」


 そうして勇助は「申し訳ありませんでした」と春朗に深く頭を下げた。


「今までの無礼と利用したこと、お詫び申し上げます」

「あ、あんた……」

「どうか手前に、償わせてください」


 勇助の行動を予測していたのか、重三郎は「野暮なことをさせるな」と笑った。


「お前が言い出せないから、こうするしかなかったのだ。わしは商人だが、人の恨みを買うのは御免だ」

「……大旦那様には、勝てませぬな」


 そんな二人のやり取りを見て、春朗は「そ、それじゃあ……」と喘ぐように言う。


「お栄を助けてくれるんだな? い、いや、お栄は助かるんだな!?」

「ええ。約束しましょう」


 春朗の眼からどっと涙があふれた。

 畳に額を摺り寄せて「ありがとう、ありがとう……!」と何遍も感謝を告げた。


「では手配を……春朗殿、お栄さんの様子を見に行かれたらどうですか?」

「あ、ああ! こうしちゃいられねえ!」


 春朗がけたたましく去っていくと「そうはさせませんよ、大旦那様」と勇助はじろりと重三郎を睨む。


「春朗殿に恩を着せて、絵を描かせるつもりでしょう」

「なんだ。見抜いておったのか」

「春朗殿は手前が依頼します。写楽に負けたとはいえ、なかなか優秀な絵師ですから」


 重三郎は「奇貨居くべしが分かるようになったのか」と大笑いして。

 勇助は「旦那様に鍛えられましたから」と笑わなかった。


「ところで旗は守屋殿に渡すつもりですか?」

「もちろんだ。そういう取り決めだからな」

「良いのですか? 日の本が戦に巻き込まれるのですよ?」


 不安が隠しきれていない勇助。

 しかし重三郎は「シャーロックに考えがあるらしい」と答えた。


「ま、心配するな。わしはシャーロックを信じている。お前と等しいくらいにな」

「異国人と一緒にされても、嬉しくはありません」

「ははは。言うではないか!」



◆◇◆◇



 そして絵比べから三日後。

 シャーロックがいる重三郎の別宅に守屋が訪れた。

 賞品が届いて半刻もしないうちに来たのだ。


「さっそく渡してもらいましょうか」

「……ドウゾ」


 シャーロックは包み紙にくるまった旗を守屋に渡した。

 傍にはお雪もいる。彼女ははらはらしながらやりとりを見ていた。


「では、見させていただきますよ」


 包み紙を取り、旗を広げる守屋。

 白い生地に西洋風の絵が描かれていた。聖なる杯が中央に置かれ、その両側に天使が祈っている。杯の上には十字架が浮いていて、旗の上部にはポルトガル語で聖句が記されている。

 神聖さを感じさせる設えで、異国の神への信仰心のないお雪でさえ、神々しさを覚えた。


「これが、天草四郎の旗……」


 守屋はしばらく眺めていた――確認が終わるとそそくさと包み紙に戻した。

 懐に仕舞った後、守屋は「ご苦労様でした」と労いの言葉をかけたが、もはやシャーロックのことはどうでも良いと思っているらしい。それが態度から伝わった。


「これであなたの務めも終わりです。エゲレスに帰りたいのなら手配しておきますよ」

「……モリヤ。ホントウニ、トメラレナイノ?」


 言葉が足りなかったが、守屋だけではなく、お雪も分かってしまった。

 守屋は口の端を歪めて「無理ですね」とにべもなく拒絶した。


「私ですら私を止められないのです。犠牲になった五百人のためでもありますしね」

「ナニモ、ウマナイ……」

「復讐とは自己満足のために行なうのです。日の本の民が死に、エゲレスの者が多く死ぬことで――私の人生はようやく始まるのですよ」


 だから何も生まなくて当然です、と守屋は目を伏せた。


「本当にそれで良いの? あなたと同じ境遇の子が増えるかもしれないのよ?」


 二人のやりとりに口を挟まないと決めていたお雪だったが、とうとう我慢しきれなかった。彼女は日の本が好きではない。しかしそれでも捨てておけなかった。


「増える? けっこうなことじゃないですか。私と同じ痛みを味わう……それもまた、満たされる要因となります」

「あなたは……それが幸せなの?」

「さあ? 幸せなんて感じたことありませんからねえ」


 お雪は少しだけ守屋に期待していた。思い留まってくれるかもしれないと。

 だけどそうはならなかった。守屋は復讐にとり憑かれている。

 それはおそらく、お雪にとっての重三郎がいなかったせいだ。誰かが守屋を肯定し愛してくれれば、別の人生もあっただろう。でもそれがいなかったのだ。


「そうそう。これだけは言わなくては」


 守屋が去り際にシャーロックに告げた。

 なんだろうとお雪は訝しがる。


「どうして自分が選ばれたのか、理由が分かりますか?」

「ソレハ、エガカケルカラ?」

「違いますね。あなたもまた――五百人の子孫だからです」


 驚きのあまり、口元を押さえるお雪。

 シャーロックもまた、声に出せないほど衝撃を受けていた。


「どうして日の本の言葉を話せるようになったのか。どうして日の本に馴染めたのか。どうして日の本の風景が描けるのか……理由がはっきりと分かったでしょう?」

「…………」

「あなたの金髪が羨ましいですよ。妬ましいほどにね」


 そう言い残して守屋は去っていった。

 別れの挨拶はなかった。


「これで、日の本に戦が起こるのね……」


 ふと零すお雪に対し、シャーロックは「ソンナコトニハ、ナラナイ」と言った。


「でも、守屋が旗を手に入れたから……」

「オユキサン、ダマッテイテ、ゴメンナサイ」


 そう言ってシャーロックはお雪の手を引いて奥の間へ向かう。

 何だろうと思っていると――奥の間に包み紙が置いてあった。


「えっ? これって――」

「ホンモノノ、ハタ」


 シャーロックが旗を広げる。

 先ほどの旗よりも薄汚れていて、銃創や切り傷がところどころにあった。

 確かに価値はあるが売り物にはならない。


「じゃあさっきのは……偽物?」

「ワタシ、カイタ。ガンサク」


 傑作を描き、名作を描くに至ったシャーロックが、守屋に描いたのが贋作なのは、皮肉なものである。あるいは神の思し召しなのかもしれない。


「ワタシ。トウシュウサイ。マネガ、トクイ」

「そうね……そうだったわね!」


 実を言えば賞品である旗はその日のうちに手に入っていた。

 三日置いたのは贋作を作る時間でもあった。

 無論、重三郎が事前に用意した生地であることは言うまでもない。


「これで、日の本は戦に巻き込まれずに済むのね! ありがとう、シャーロック!」


 ここでお雪はシャーロックに抱き着いた。


「――オユキサン!?」


 驚きのあまり、あたふたしてしまったが、なんとか背に腕を回せたシャーロック。

 しばらくの間、二人は抱き合っていた。

 喜びを噛み締めるようだった。

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