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東洲斎写楽の懊悩  作者: 橋本洋一


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29/31

名作

 そして――十日後。

 澄んだ空気が心地よい、実に晴れやかな空の下、絵比べが仕切り直された。

 集まったのは前回の絵比べに来ていた客たちだ。元々あった予定を取り消してまで来ていた。


 そのうち、審査に参加するのは三井を含めて五人。

 客の中でも特に芸術を解している者が選ばれた。

 これならば下手なことは起こらないだろう――誰もがそう思った。


 また当然のことながら、重三郎と勇助もこの場にいた。

 重三郎は涼しやかな表情で、勇助はやや緊張した面持ちで、準備が整うのを待っていた。

 それに加えて――シャーロックと春朗も彼らの後ろに控えていた。三井が是非会いたいと望んだからだ。


 春朗はともかく、異国人のシャーロックが私的とはいえ、大勢の集まる場に行くことは危険極まりないが――病を持っているという理由で頭巾と口に布を添えることが許されている。先ほどから好奇の眼で見られているがシャーロックは意に返さない。


 一方、春朗は落ち着かない様子だった。このような場に慣れていないせいだろう。シャーロックに話しかけようか、それとも今は控えた方がいいのかと、彼には似合わない遠慮を見せている。


「大旦那様。こたびの絵比べ――手前共の勝ちです」


 勇助が重三郎にしか聞こえない声量で勝利を宣言した。


「まだ始まってもおらぬのに、ずいぶんと余裕ではないか」

「勝川春朗という絵師が手前の想像をはるかに超えていた。ただそれだけの話です」

「それを言うのなら、東洲斎写楽という絵師は想像すらできないほど優れている」


 重三郎は「まずは絵を見てから判断するんだな」と慎重な返しをした。


「……大旦那様は写楽を高く評価しているようで」

「でなければ己の全てを賭けたりしない。お前が春朗殿を信頼しているようにな」

「ふふふ。信頼、ですか……」


 鼻で笑ったのはそんなものはないという表れだった。

 脅して描かせている――話すつもりはなかった。


「ま、大旦那様が言うとおり、絵を見て判断なさってください。きっと手前が正しいとお分かりになるでしょう――」


 勇助が言い終わるかどうかのときに、進行役の三井の番頭が「長らくお待たせしました」と皆に聞こえる声で挨拶をした。


「口上はそこそこに、さっそく見ていきましょう。まずは――勝川春朗の作品です」


 以前と同じ、巻物に描かれた絵を皆に見えるようにゆっくりと広げていく番頭。

 皆の注目が集まる中、縦に広げられたそれに描かれていたのは――少女の絵だった。


 それも少女が楽しそうに絵を描く姿だった。紙に向かい、筆を取りながら自由闊達に描くその様は、躍動感にあふれていた。少女はあごが特徴的で可愛らしい顔をしている。見る者に安心感を与える、和やかな構図とも言えた。


 女性の絵と聞いていた客は、始めに肩透かしを食らった気分になった。

 だが以前の絵とは違う、素朴な画風に引き込まれていた。

 肩の力を抜いて描かれている――まさに自由を象徴していた。


 子供とは元来、自由奔放である。言われなくても分かることだが、それをことさら強調しているのが春朗の絵だった。

 富士の山のような壮大さ、雄大さはこの絵にはない。

 けれども自由があった。それが客たちに心地よく映るのは、彼らの境遇に依る。


 豪商の者や芸術を解する者は己の地位に縛られている。その地位のおかげで贅沢はできるが、同時に自由がなかった。子供が無邪気に遊びような気安さがなかった。それを突きつけられていると全員が分かった。


 だからこそ、この絵を批判する者はいなかった。

 己が築いたものと対極にあるはずの絵だからこそ、受け入れることができた。


「……とても、素晴らしい絵ですね」


 ようやく感想を述べたのは三井だった。

 彼もまた自由を久しく味わっていない者の一人だった。


「ええ。どこか懐かしさを感じますな」

「この子供は手遊びで絵を描いているのでしょうか?」

「絵を描く者を描く。面白い発想ですね」


 口々に賞賛の声が上がる――勇助は勝利を確信した。

 三井の他、四人の審査をする者も高く評価しているようだ。


「えー、それでは東洲斎写楽の作品です」


 春朗の絵が左に移動され、右側にシャーロックの絵が出される――こちらも巻物だった。


「写楽さん。あんたの誇張の絵じゃあ、俺には勝てないよ」


 ぼそぼそとシャーロックに話しかける春朗。

「……スゴイエ、デシタ。ケッサクト、イエマス」

「俺には絵比べに勝たねえといけない理由があんだ。悪いな」

「アヤマルヒツヨウ、アリマセン。ワタシノエ、ケッサク、デハナイ」


 負けを認めたのか――そう思ったのは一瞬で、シャーロックの次の言葉でそれが違うと分からされる。


「ワタシ、カイタノハ、メイサク、ダカラ」


 春朗が意味を問う前に――絵が衆目にさらされた。

 そこに描かれていたのは、お雪の姿だった。


「な、なん、だと……? 写楽さん、あんた……」


 春朗が驚愕したのは無理もない話だった。

 何故なら、そのお雪の絵は、誇張などされていなかったからだ。


 ありのままの美しさを描いている。

 正座をしている女性という単純な構図だが、以前の絵のように死体は描かれていない――この絵は生きている。生命力にあふれていて、見る者にも活力を与える。絵ということを忘れて話しかけたくなるようだった。

 たおやかに微笑む顔も自然体で、まるで談笑しているかのようだった。


 こちらもまた、自由を描いている。

 しかし春朗の絵と異なるのは、それに可能性を含んでいることだ。

 春朗の絵は子供が描く姿をそのまま描いている。

 けれど何もせず座っているという姿は――様々な想像を描きたてる。

 家事をするのか、そのまま床に就くのか。はたまた食事をするのか。

 次の行動までの休息を描くことで、見る者の想像を引き立てるのだ。


 自由と可能性。

 両方の要素を捉えているシャーロックの絵。

 客たちは女性の美しさに感動していた。


「なんと見事な……」

「こんな美人画、見たことがない!」


 これもまた、口々に出る称賛の声。

 聞きながら春朗は――涙を流していた。

 負けたとは思っていない。むしろ同等だと思っている。

 純粋にシャーロックの絵に感動しているのだ。

 己が生涯かけても描けないであろう、芸術の極致を今、垣間見ている。

 そう思うと、涙が止まらなかった。


「馬鹿な……写楽は、誇張の絵でしか、人物を描けないはずでは……」

「間違いではない。今でも描けないだろう。しかしお雪は別だ」


 重三郎は動揺している勇助に言い聞かせるように種を明かした。


「一年以上、接していたお雪のことを写楽はよく見ていた。観察とは違う。洞察とも違う。お雪という一人の人間を見続けていた。だからこそ、お雪の生きている絵が描けたのだ」


 これもまた、絆と言うべきだなと重三郎は笑った。

 勇助は悔しさのあまり、何も言えなかった。


「それでは、審査の結果を発表します」


 三井の番頭がそう宣言すると、ざわついていた場が静まり返った。

 順に審査の結果を言っていく。


「私は春朗の絵を評価する。子供の元気良さが伝わってくるようで、実に楽しいものだった」

「私は写楽の絵に一票だ。活き活きとしている絵もさることながら、ここまで心を捉えて離さないのは素晴らしい」

「私も写楽の絵を高く評価したい。あれだけ美しく女性を描いた絵は知らない」

「私は春朗の絵が気に入った。工夫も素晴らしいが、何より絵から言い知れない愛情のようなものを感じた」


 票は二対二である。

 残されたのは三井だ。

 重三郎とシャーロック、勇助と春朗が固唾を飲む中、三井が選んだのは――


「両者とも素晴らしい絵でした。しかしどちらか一方を選ばざるを得なければ――私は写楽殿の絵を推したい」

「な、なんですと!?」


 勇助が驚くと「理由は単純です」と三井は説明する。


「春朗殿の絵も生きていますが、それよりも生きていると感じたのは写楽殿の絵です」

「…………」

「正直、誇張の絵ではないのにここまで私を引き付けたのは、見事としか言いようがありません」


 最後に三井はシャーロックに話しかける。


「ありがとうございます。こんなに素晴らしい絵と出会わせてくれて」


 シャーロックは皆の前で話すかどうか迷って、重三郎を見た。

 重三郎は――黙って頷いた。


「コチラコソ、アリガトウゴザイマス」


 そう言って日の本の礼儀通り、頭を下げた。

 客の誰かが拍手をした。つられて一人二人と重なっていく。

 そして最後は全員が拍手をした――

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