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東洲斎写楽の懊悩  作者: 橋本洋一


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友情

「あなたは自分が被った不幸を、他人に押し付けるつもりなんですか?」

「ええ。その認識で間違いないです」


 守屋はそこでようやく、眼鏡をかけた。

 日の本にいる以上、隠さねばならない。

 異国の者と同じように扱われる――その境遇こそ彼が最も憎むところだった。


「日の本の民もエゲレスの者も、不幸になればいい。私の行為で成せればいい。ただそれだけなのですよ」

「それを聞いた手前が――シャーロックに話すことを考えなかったのですか? そうすれば彼は死んでも言うことは聞きません。旗を手に入れられなくなります」


 重三郎は言いながらも疑問に思っていた。

 それを思いつかないほど、守屋は愚かではない。復讐に囚われているが、このような計画を考えられる時点で常人よりも賢いのだろう。


「いいえ。シャーロック、そしてあなたは従ってくれますよ。それは火を見るより明らかです」

「何を根拠にそんなこと言えるんですか? 現に今、手前はシャーロックがやろうとしても止めるつもりです」


 たとえシャーロックが祖国のために日の本に来たと分かっていても、重三郎は必死に説得する腹づもりだ。それにシャーロックも騙されていた。守屋の計画を知ればきっと三井八郎右衛門の絵比べには参加しない――


「シャーロックが参加しようがしまいが、旗は手に入れられる算段なんですよ」

「……どういう意味、なんですか?」

「言葉どおりです。ま、その方法は教えられませんがね。けれど、協力してくれればあなたとお雪さんの身の保証はできます」


 守屋は口元を歪めた。

 そして悪魔の誘惑を重三郎に持ちかけた。


「戦となればいくら豪商とはいえ、無事では済まないでしょう。いっそのこと、エゲレスに行けば安全です。奴隷にもならずに済む。あなたも、お雪さんも。シャーロックの世話にはなりますが、彼が務めを果たせば薔薇十字団から報酬が出る。それも莫大な大金です。十分暮らすことができる」

「手前を、脅しているのですね……」

「そう捉えても構いません……あなたはやるしかないんですよ。私の計画を知ってもなお、やらざるを得ない」


 どこか勝ち誇った声で、守屋は重三郎に宣言する。

 己の計画の完璧さを自慢するようだった。


「やらないとあなたの大切なものは全て無くなりますよ。シャーロックとお雪さんはとても大切なのでしょう? だから……やるしかないんです」


 言い切った後、守屋は立ち上がった。

 話は済んだと言わんばかりの態度だった。


「そうそう。シャーロックにこの話を聞かせなかったのは――余計な茶々を入れたくなかっただけです。好きに話してけっこうです」

「シャーロックを騙していた……そのことに対しては、言い訳はないんですか?」

「何故、言い訳をしなければいけないんですか? だって――」


 去り際にふすまに手をかけながら、守屋は当たり前のように言う。


「シャーロックもまた、私が憎むエゲレスの者なのですから。悩んで苦しめばいい」


 守屋は部屋から出て行った。

 途端に弛緩した空気になる――いや、何の解決にもなっていない。

 まさか日の本を揺るがす企みに加担していたとは夢にも思わなかった。早急に対処するべきことだが、どうすればいいのか見当もつかない。


「……シャーロック。いるのだろう?」


 重三郎が奥の間のふすまに声をかける。

 ゆっくりと開いた――シャーロックの顔が白を通り越して青になっている。


「ジューザブロー。ワタシ、トンデモナイコトニ……」

「ああ、そうだな。わしとて同じ気持ちだよ」


 ため息をついて、これからの方策を考える重三郎。

 守屋の計画を阻止せねばならない。

 そのためには――シャーロックを絵比べに参加させないことだ。


 しかし守屋には他にも旗を手に入れる策があるようだ。

 それの詳細は分からない。だから事前に阻止はできない。

 かといって、素直に参加するのも困りものだ。


「ワタシ、ソコクノタメニ、ヒノモト、キタツモリダッタ」


 シャーロックが悲しげに話す。

 自分の使命が薄汚い陰謀だと知って衝撃を受けているようだ。

 重三郎は「絵比べ、どうする?」と喫緊の問題を言う。


「参加するのか、しないのか……お前が決めていい」

「デモ……ジューザブロー、オユキサンハ?」

「わしはお前の選択を尊重するよ。エゲレスがどんな国か分からぬが……お雪とお前となら楽しく暮らせると思う」


 重三郎は日の本を捨てる覚悟を決めていた。

 そしてシャーロックが決めたことにも口を出さない。

 信用とも信頼とも違う、言うならば絆でシャーロックに任せようとしたのだ。


「ジューザブロー、ホシイモノ、アル」

「欲しいもの? それは絵比べに必要なのか?」


 シャーロックの眼には光が宿っていた。

 守屋と同じ碧眼だが、こちらは希望が含まれている。

 その眼を――重三郎は信じた。


「分かった。言ってみろ。わしが力を尽くして用意してやる」


 返事を聞いたシャーロックは――笑った。

 これもまた、守屋と違って自然な笑顔だった。



◆◇◆◇



 絵比べが行なわれる日の十日前。

 シャーロックは神社に来ていた。

 それもお雪を伴わずに一人だけで。

 頭巾と口に布は添えている。お雪がいないのは、シャーロックがそう頼んだからだ。もちろん、お雪は渋ったが、絶対に正体が分からないようにすると約束したので、仕方なく許した。


 その日は肌寒いくもり空だった。それを見てシャーロックは故郷を思い出した。霧深い街を懐かしむように彼は眼を細めた。

 神社の境内を進み、本堂へ行くと覚えのある顔がお祈りしているのが見えた。

 勝川春朗である。いつの日か、必死になって祈願していたときを思い出させるような、険しい顔だった。


「オー、シュンローサン! オヒサシブリデスネ!」


 知り合いだったので思わず声をかけてしまったシャーロック。

 すると春朗は驚いたように振り返った。そして嬉しそうに「写楽さん! 久しぶりだなあ!」と返した。


「秋ごろに会って以来だから……随分とご無沙汰だったな」


 二人は勝川春好が示唆を与えた出来事以降も、時々は会っていた。

 けれども、春朗が言ったように秋ごろから会っていなかった。


「サビシカッタデス。デモ、オアイデキテ、ヨカッタ」

「まあな。俺も引っ越ししたりしてここには来れなかった」

「マタ、ヒッコシシタノ? ナンカイメ?」

「十から先は覚えてねえよ。それよりさ、また腕上げたろ? 時々、蔦屋さんの店行っているんだぜ」


 そこからシャーロックの最近の絵について話し始めた二人。

 一方的に春朗が喋っていて、シャーロックは相槌を打つだけだが、それが心地よいと互いに思っていた。


「ソウイエバ、イノッテタノ、ドウシテ?」


 シャーロックが疑問に思って訊ねると、春朗は顔を曇らせた。

 訊いては不味いことだったとシャーロックが「ゴメン」と謝る。


「いや、別にいいさ。だけど人に話すことじゃねえ。悪いな」

「ウン。アリガト」

「だけどよ。それに関した話、していいか?」


 春朗は空を見上げた。

 口の端を上げて「おかしな話だ」と珍しく小さな声で言う。


「俺は絵を描くのが好きだ。描く以外のことはなるべくしたくはねえ。どうしてかって言うと、絵を描くのが楽しくて仕方がねえからだ。それ以外の快楽を知らねえってくらいに」

「……ワカルヨ」

「あはは。あんたなら分かってくれると思ってたぜ……それが駄目になるとは思わなかった」


 春朗はふいに俯いた。

 地面を這うミミズがそこにいて、春朗は足で払った。


「絵以外、大切なもんはねえと思っていた。ガキの頃から大人になっても、そう信じていた。でもさ――あったんだよ。こんな俺にも絵の他に大切にしたいもんがな」

「ソレモ、ワカル」


 シャーロックが思い浮かべたのは、重三郎とお雪だった。


「情けない話だ。これだから絵で大成できねえんだろうな」

「ソンナコト、ナイ」


 シャーロックは春朗が何に悩んでいるのか分からない。

 それでも否定するのは――自分の経験からだった。


「タイセツナモノ、ソノタメニ、カケル」

「写楽さん……」

「モット、スゴイモノ、シュンロ―サン、カケル」


 それは絵を描く者同士しか分からない、絆と呼べるものがあった。

 重三郎との間のものとも異なる、絵師への尊敬の念だ。

 あるいは友情とも言える。


「ありがとうな、写楽さん。俺、もう迷わないよ」


 春朗は背伸びして「じゃあ俺、帰るわ」と告げる。


「写楽さんに会えて良かった。またな」

「ウン、マタアイマショ」

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