奥様は……
「待てよ。最初からそれが当たり前ならば、疑問を持つ事はねぇ。オレの戦略が全部。相手に合わせて作るモノだとしたら、裏を返せば、自分をよく知っている相手ほど、通用しねぇって事だったりしないか?」
自分をよく知っていれば、その分自分の性質がよく見えてくるはずだ。自ずと、自分の弱点や癖を理解出来る。そこを突かれるのが予め分ってさえいれば、逆にそこへあえて誘いこみ、裏を掻いて手中に落とす事が可能なのではないだろうか。
次の仮眠を終えてから、カナタはラナンキュラスを観察する事にした。好みや癖はもちろん、些細な出来事への対処をも、雑用をこなしながらつぶさに観察する。
ラナンキュラスは、常に気だるげではあるが、厳しく真面目。死者裁判では極刑を多々出すが、横で手伝うトモザネの意見に納得をすれば、少し死者の刑を軽くする柔軟性もある。懐に入れた者へは寛容だが、他人には無関心。どんな者へも、拒否や拒絶をする事は無い。
言い換えればそれは、区別や差別なく万物を受け入れるという、冥界そのものの性質を体現している人物だという事だ。忙しい。と、常に眉間に皺を寄せているが、お茶の時間だけは少し気が緩むのか、穏やかな表情をしている事も分かった。
「けど、それが分かったとこで、別に弱点が分かったわけじゃねぇよなあ……」
いつも通り、カナタが書庫の掃除をしていると、書庫の外から、冥界の職員の声が聞こえた来た。
「おい! 今日、エアル様がお帰りになるそうだぞ」
「ほ、本当か! こ、これで冥王様が少し穏やかになられるぞ! や、やったあ!」
底知れない怖さを抱えている、ラナンキュラスの下で働く者達は、冥王を尊敬はすれども、いつも何処か縮こまっていた。その職員たちが喜んで声を上げてしまう、エアルとはどんな人物なのだろうか。
「あの。エアル様ってどちらさんすか?」
「お前は最近入った新人。カナタじゃないか。冥王様に気に入られてるみたいだな」
「エアル様は、ラナンキュラス様の奥方だよ。地上で、一年の半分を母君と過ごされ、残り半分を冥界で過ごされるんだ」
「お陰様で? あの人結婚してたのか……」
「そりゃあ仲睦まじくてな。エアル様がいらっしゃる時は、一時も離されないのさ」
冥府の蜘蛛の意外な事実である。どの神様もやはり女性には弱いのだろうか。話していると、広間の方が騒がしくなった。カナタは二階の手すりから、広間を覗く。
大広間の扉が開くと、桜色の長い髪に、クローバーの冠。スレンダーで長身の人物が大広間の扉を潜って来た。白いローブを身に纏う、大きな藤色の瞳。中性的な魅力を持つその人物は、王座で仕事をしているラナンキュラスの元へと歩み寄る。
「ただいま。キュラス。私が居ない間。いい子にしてた?」
「……エアルが居なくて詰まらなかった。早く湯浴みをして、地上の匂いを落として来い」
「はい。はい。分かってるよ。久々の再会なのに、相変わらずクールだねキュラス。ハグの1つでもして欲しかったのに」
「それは後でな……」
ローブのフードを脱ぎながら、ラナンキュラスへ親し気に話し掛ける、低音のハスキーボイス。ラナンキュラスの奥方だといわれるその人は、美しい人だったが男性だった。
(奥様は男の子……だと!?)
あまりの意外性に、カナタは困惑を隠せない。エアルが湯浴みへとその場を離れると、ほんの少しだけ、ラナンキュラスの口元が綻んでいるのが分かった。エアルが地上から持ち込んだ食べ物や飲み物が、その日は振舞われた。
余った物は、地上からの客人用の食料倉庫へと運ばれるとの事で、その食料や飲料は、カナタ達が自由に飲食をしていいそうだ。
「キュラス。ここ。確かに彼女は殺人を犯したけど、愛する娘がいいようにされて殺されてるんだ。母親としての気持ちを考えると、この記述には情状酌量の余地がある」
「なるほど。それではそこを考慮して、一段階ほど極刑を軽くしよう。次は……」
カナタがもう何回目かの仮眠を終えて、広間の掃除をしていると、膝にエアルを抱っこしたまま、裁判の資料に目を通す2人の姿があった。確かに職員達が言っていた通り、仲睦まじい。良すぎる程で、カナタは目のやり場に困ってしまう。
「カナタ。今、仕事がひと段落したので、お茶を飲みながら、30戦目を始めましょう」
ラナンキュラスが指すボードゲーム。カナタは頷いて、手早く人数分のお茶と茶菓子を用意した。
「君がカナタ君か。私が居ない間に、キュラスの息抜きの相手をしてくれてたんだってね? ありがとう。キュラスには勝てた?」
「いや、まだっすね。というか、ずっとそこに座ってるんですか?」
「うーん。私も恥ずかしいんだけどね。離れると、キュラスの機嫌が悪くなっちゃって、部下達にやつあたりとか始めちゃうから……ごめんね。気になってしまうよね」
「い、いえ」
「エアル。余計な事は言わなくていい。さあ、カナタ。始めますよ」
意外過ぎて動揺してしまう。動揺からカナタは、相手に合わせる方法を使い忘れてしまっていた。自然といつもと違う指し方、方法になってしまっており、相手の模倣や、考え無しの素直な戦法に偏ってしまう。
そんな方法を繰り返していけば、自駒を犠牲にすれば勝てるような。そんな珍しい盤面へとなっていた。盤の上には、盤目を1つ飛びに移動できるソーマ。自由な方向に移動出来る、キングにあたるケファリ。真っ直ぐに2マス移動出来るトクソ。相手の手駒に落ちていれば、一度だけ復活出来るアナヴィオスィ。
(素直に自駒を犠牲にすりゃ勝てるけど……)
ラナンキュラスは勝ちの為の犠牲を誘う。カナタは乗った振りをして、アナヴィオスィで後方からケファリを落とした。犠牲予定だった手駒も無事だ。
「か、勝った……?」
信じられない思いで口にするカナタ。ラナンキュラスは無表情だ。隣のエアルが驚いたように瞬いた。
「キュラスが油断するなんて珍しい。どっか調子悪い?」
「いや、浮かれていたからだろうな。エアル。責任を取れ」
「何だよそれ。仕事に響かない程度だったらいいけど」
見つめ合い、微笑むエアル。美形同士が並ぶと絵になる。先日も同じような事を思ったなと、カナタは思い出した。
「カナタ。お前の勝ちです」
「じゃ、じゃあ。オレに戦術の手解きを……」
「お前はもう、身についているでしょう? 私に勝てたんですから」
今まで、ラナンキュラスの息抜きのボードゲームに付き合っていると思っていたが、その息抜き自体が、カナタの戦術修行になっていた事を知らされる。
「何かを教えるのは苦手なんです。カナタが賢くて助かりました」
「わお。素直に褒めるキュラスも珍しい。カナタ君のことそんなにお気に入りなんだ? 少し妬けちゃうかも」
「仕事に戻ります。エアル。書類の続きを……」
「ふふっ。はーい」
2人は仕事へと戻っていく。未だ勝利の実感が湧かないカナタは、その場で二人を眺めていた。性別など関係なく、助け合い、支え合っている光景は、夫婦の形の1つに見えた。
「オレとイツキも……」
あんな風になれるだろうかと、呟き掛けてカナタは飲み込んだ。まずはイツキを取り戻さないといけない。その日はなんだか眠れなくて、カナタは部屋を出た。三階の廊下の突き当たり、一番大きな扉の部屋は、ラナンキュラスの私室だ。その横にある客人用の食料庫へ、飲み物を取りに向かう。
そろそろ食料庫に差し掛かろうとした時、ラナンキュラスの私室の扉が少しだけ開いていた。
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